季節は浅いとはいえ、春が日ごと近づいています。
私は、季節も私達も変わり続けるという不変の中で自分はどう感じ、どう考え、どのように行動して行くのかを最近、特に意識します。
1年前の震災、それ以前の出来事、今起こっている事、これから起こるであろう事、その中で自分がどうありたいのか何が出来るのかを模索しています。
何かに気づいたら、気づかない振りはしたくない。。
何かを感じたら、それを無視はできない。
なぜなら、
そんな事を繰り返して行くと私はカラッポになってしまうから。
自分の中で葛藤が起こったり、誰かと衝突したり、自分の思うような結果を得ることが出来なかったり、誰かの期待に添えなかったりして心が苦しくなる事がります。
でも苦しくてもボンって弾けてカラッポになるのが嫌だから、自分の心に触れて行くのです。
慎重に、
大切に、
自分の心も、人の心も、
とてもやわらかいものだから。
家族も友人もヨーガの生徒さんも、そして私もみんな揺れながら生きています。
私が揺れることで何かが誰かが揺れてしまうこともあります。
でも、揺れるものはとても美しい。
風で揺れる植物たちや揺らぐ水面、ろうそくの灯りのように
その揺らぎに気づくってことはその美しさに気づくということ。
自分の美しさに気づくということ。
自分の美しさに気がつくと強くなれる。
ものの感じ方や見え方が変わってくる。
私の信頼している人が「自分が苦しくなると自分の周りのが苦しくなる」って。
私も、自分の家族が、友人が苦しいと苦しい。
苦しさから逃げるつもりはないけれど
そんな苦しみは嫌。
だから、私は揺らぎの中で自分を慎重に注意深く扱いながら、自分に出来ることを自分のペースで楽しみや感動をもって続けて行きたい。
胸を張って、美しくありたいって踏ん張る。
そう、想えたら苦しいことも悲しいことも想いどおりにならないことも不安でも怖くもなく、自分にも誰かにも後ろめたいこともないって。
今、そう想えます。
世の中の事に、人の行動に何が正しいのか正しくないのかなんて本当のところは誰にも決めれないと思います。
ただ、今の自分に出来ることをやる。
今まで、やって来たことも、今やっていることも、これからやっていくことも
全部つながっているのだから。