飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

日本のエリート達の買春及びその他!!

2008-03-14 17:20:46 | 日本

日本のエリート達の買春及びその他!!

 大方バレバレなことでも、なかなか公式には言われないことがある。それが表向きと裏実態と言うことである。これまでは表向きだけが明かされて、裏実態は厳に隠されてきた。下々の韓国旅行、台湾旅行、タイ等東南アジア旅行もそうである。実は、買春旅行というのが実態である。それは『利得追求の精神』が、もてはやされた結果である。利欲追求=色欲追求も同義である。
 しかし、これは偽善である。組織的に行えば、犯罪である。人間に利欲があることは認める。それによる生き方は偽善である。常に、良心により利欲をコントロールすることを人間には課せられている。本末転倒で、利欲により良心を乗っ取られて何が人生であろう。
 この先、人生の道標に『良心』の言葉はない。道標はすべて『利得』である。故に売国奴が生まれる。

2008年03月14日

在米・日本大使館の惨状

<http://alternativereport1.seesaa.net/archives/200802-1.html>
 在米の日本大使館を通じ日本の官僚・政治家達が米国にやってくると、その旅行案内、接待を依頼されている旅行代理店の経営者が以下のように話していた。

 日本の官僚・政治家達は、税金で米国に旅行にやってくる。名目は「視察旅行」であり、財務省の官僚であれば、米国財務省の施設、金融機関等の視察・研究に来る「事になっている」。しかし実際には、観光地巡りと美食の旅を行い、財務省施設には全く顔を出さない。この観光と美食は、税金で行われている。さらに海外駐在費として、「ごくろうさん」という意味で特別手当が官僚の給与には上乗せされる。

 滞在期間が3週間として、高級官僚の3週間分の給与が80万円であれば、特別手当は同額の80万円。つまり給与は、160万円に倍増する。

 観光と美食、そして給与2倍。これが高級官僚の「海外研修」である。

 さらに担当する旅行代理店には、売春婦の世話が義務化されている。政治家と官僚は税金で、毎晩、女性の体を「金で買う」。

 帰国後、官僚と政治家は「海外研修レポート」の提出を求められる。財務省施設等の視察の成果、報告を上司に義務付けられている。

豪遊していた政治家・官僚にレポートが書ける訳は無い。しかし彼等に代行し財務省施設等を見学・視察しレポートを書く、ゴーストライターの仕事が存在する。このゴーストライターの仕事だけで年収1000万円以上の収入になる。費用は、外交機密費、官房機密費から出ている。高い報酬には「口止め」料の意味もある。

 このゴーストライターをやっていると、当然、米国政府の内情に詳しくなる。そうした人達が日本に帰国し、事情通の評論家になったりしている。

 仮に官僚が3週間滞米し、その豪遊費用が100万円であったとして、官僚が5人訪米すれば、費用は合計500万円。旅行代理店は、500万円の領収書を 作成する。しかし、官僚・政治家は1人1人、個別に500万円の領収書を要求する。つまり500万円の領収書を5人分、総計2500万円の領収書を作る。 官僚は帰国後、その領収書を官庁に提出し、「研修費用」として500万円受け取る。実際には1人100万円しか使っていないので、残金の400万円が官僚 個人の預金通帳に入る。こうした預金の蓄積が、民間より給与の安い国家公務員であるにも関わらず、高級官僚が豪邸に住む資金になる。税金がダマシ取られていることになる。

 旅行代理店の支配人は、こうして次々に「視察旅行に来る」官僚・政治家の旅行の手配に、在米大使館の職員は仕事時間の大半を取られ、政治・経済・外交の重要な情報収集等行う時間が「ある訳が無い」と、日本の大使館、政治家・官僚を罵倒していた。

 諜報組織の無い日本では、大使館、領事館こそ情報収集の要であるはずだが、実態はこうした状況である。


アメリカ炎上!!⑲

2008-03-14 09:22:13 | 日本

『アメリカ炎上』転載弟19弾!!

     小石 泉(牧師)著

再臨の時間

<M104銀河;記事には無関係>
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M104  私は二〇〇〇年に一連の本の最後のものを出版した。その題名を出版社から聞いたとき一瞬血の気が引いた。「人類の歴史は二〇二六年で終る」。それは私の意図するところではなかった。ああ、もうこれで私の牧師生命も終わりかなと思った。それは、すでに印刷に入っていて止めることも出来なかった。

 確かに私は二〇二六年という年が特別の年だと書いていた。しかし、あくまで“キリストの初臨から二〇〇〇年目にキリストが再臨するとすれば、それは二〇二六年が最も可能性が高い”ということだった。それによって人類の歴史は神の御手にゆだねられると言う意味だった。しかし、もはや訂正する時間はなかった。

 私は二〇二六年再臨説を唱えるとんでもない無謀な牧師と言うことになっている。何しろキリストが言う言葉に違反しているのだから。

「その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」マタイ24:36

 しかし、前述のように繰り返し前提条件を提示している。これはあくまで仮説である。仮説までいけないと言うのだろうか。

 問題はキリストの誕生を紀元元年とするか、洗礼を元年とするかということなのである。それについてもう一度書いてみようと思う。

 旧約聖書のダニエル書にメシアが現われる年が限定されている。

「あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。これはとがを終らせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。」9:2426

 エルサレムを建て直せと言う命令が出てから七週と六二週、すなわち六九週目にメシヤは現われるのである。ダニエルは紀元前五八七年にユダ王朝がバビロンによって滅ぼされ国のうちの有力なものたちが捕囚として連れて行かれたものたちの中に居た。彼は信仰によって有能な知恵を与えられバビロンのネブカドネザルに重用された。その後、バビロンはメドペルシャによって滅ぼされたがダニエルはそのときもペルシャの王によって手厚く迎えられている。これはバビロンにいたときに与えられた預言である。

 ペルシャの王は代々、他国の宗教に寛大で、ユダの人々の、帰国して神殿建設をしたいという願いに答えてBC五三六年にはゼルバベルという人物を中心にエルサレムに帰還することを許し、ささやかな神殿建設を許している。しかし、BC四五七年、エズラという指導者に率いられてかなりな人数が帰ってきた。その時のペルシャ王アルタクセルクセスの命令が「エルサレムを建て直せ」であった。

 さて、聖書は「神にあっては一日は千年の如く、千年は一日の如く」と言っているが、日や時間は預言的な意味を表すときにはかなり重複した意味を持つ。この六九週を日にすると六九×七、四八三日である。この一日を一年と考えるとエズラの帰還したBC四五七年から四八三年目にメシヤが現われると言うことになる。

 私はこれらの計算をアメリカの有名な聖書教師ヘンリー・H・ハーレーのバイブルハンドブック英語版によっているのだが、それによるとイエス・キリストが生まれたのはBC四年である。そうするとイエスが洗礼を受けたのは三〇歳のときだからAD二六年になる。それはまさにエズラの帰還したBC四五七年から四八三年目であった。実に一年の狂いもなく実現している。ところで最近の研究でイエスの誕生はBC六年ではないかということが言われている。そうすると二年の違いが出てくるが、もともとエズラの帰還の年がBC四五七年と厳密に言えるとも思えない。長い時間の間にはうるう年や太陽暦太陰暦の違いなどで±二年ぐらいの差は出てくると思う。さらにイエス誕生の年は皇帝アウグストの人口調査の年との関連で推察できる。

「そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。 これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。」ルカ2:1~2<o:p></o:p>

 これはキリストの両親ヨセフとマリヤが故郷のベツレヘムに行って人口調査をした記録で、この年にマリヤはイエスを産んでいる。

塩野七生さんによればアウグストは紀元前二八年、八年、紀元後一四年の三回人口調査をしている。この内キリストの誕生に最も近いのは紀元前八年のものであった。しかし、同じ塩野さんによれば人口調査の命令がその年の内に完了するということはなかった。広大なローマ帝国の辺境の地では数年の誤差はあったであろう。いずれにせよ私はハーレーの見解からその年を導き出した。

私が主張しているのは、メシヤの時刻表は誕生ではなくメシヤとしての戴冠式だったバプテスマのヨハネによる洗礼を基点とすべきであるということである。それから二〇〇〇年目に再び来るとすればそれは西暦二〇〇〇年ではなく二〇二六年であるということである。ただし、二〇〇〇年目に来るとは聖書に書かれていない。しかし、二五二六年とか三〇二六年とかになるとは思えないのだ。最近の世界情勢を見ているとやはり二〇二六年説は正しいのではないかと自画自賛している。

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千年王国Photo <o:p></o:p>

 さて、再臨したキリストは何をするのだろう。これが全く判らない。一般的なキリスト教の理解ではその後千年の平和な時代、いわゆる千年王国が来るという。ところがこの教義の元になったのはジョン・ネルソン・ダービーのDispensational Truth(日本語で時代真理と訳す、神の摂理という意味)という教えであった。ダービーは一九世紀のイギリスの弁護士であったが、アイルランド教会の按手礼を受け、ウィックロー教会の牧師となったが(1826年)、国教会制度、教職制に疑問を持ち,国家と宗教の分離を主張して、国教会の牧師を辞任した(1827年).そして,プリマスに赴き、有志を集めて、プリマス・ブレズレンというグループを組織した(1830年).彼らは、聖書の逐語霊感説を信じ、ディスペンセーショナルな聖書解釈を採用し、千年期前再臨説を主張した。彼の教えはイギリスよりもアメリカに強大な影響を与えた。しかし、彼は神学校に学んだことはなかった。<o:p></o:p>

 Dispensational Truthは世界の歴史を七つの千年に分け、アダムの創造からキリストまでを四〇〇〇年、キリストから再臨までを二〇〇〇年、その後、キリストの千年の地上での統治をもって神の摂理が完結すると説いた。これが非常に簡単明瞭で幾分歴史的な真実性を含んでいると思われたから、その後、現在のプロテスタントの主流となった。そして、特にアメリカのファンダメンタリスト、世に言うキリスト教原理主義のバックボーンとなっている。<o:p></o:p>

 ところが私は、ダービーはフリーメーソンだったということをフリッツ・スプリングマイヤーから聞いた。その他にも彼がフリーメーソンだったことは、よく知られたことのようだ。もっともその当時の教会ではフリーメーソンであることはそんなに不思議なことではなかったようで、結構有名な神学者にもフリーメーソンがいる。今のようにはあからさまにサタンによる世界統一の運動を始めてはいなかったからかもしれない。<o:p></o:p>

 フリーメーソン・ブリティッシ・コロンビア、ユーコン・グランドロッジのホームページにはダービーとDispensational Truthの詳しい紹介があるのだが、ダービーはフリーメーソンではなかったとわざわざ書いている。読んでいて非常に違和感を感じる。なんでダービーをそんなに擁護する必要があるのか。しかも、ダービーから生まれたファンダメンタリズムはフリーメーソンを攻撃したからダービーがフリーメーソンであるはずがないとも書いている。私は素直にそうですかという気持ちにはなれない。もし、本当にフリーメーソンでなかったらもっと簡潔に無視していいはずだ。妙に念入りに好意的に取り扱っている。逆にダービーは彼らの有能、有益なエイジェントだったのではないかという印象を受ける。これはビリー・グラハムも同じである。彼らのやったことが教会を重大な誤りに導くことになったとしたら、そう結論づけてもいいだろう。このような重大な教義が、多くの専門的な学者の長い検討によって決まったのではなく、たった一人のフリーメーソンの疑惑の絶えない人物によって決まっているというのも不思議な話である。<o:p></o:p>

 残念ながら、ダービーの Dispensational Truthに勝る簡単な聖書解釈法は今のところない。実に単純でどんな田舎のおじいちゃんおばあちゃんでも判るのだ。しかし、だからと言って、それが真理だとはいえない。私は大いに疑わしいと思っているのだが、まだ十分な批評が出来るほど学習していないのでこれ以上のことは言えない。ダービーは生涯結婚しなかったが、裕福な未亡人のパトロンが居た。<o:p></o:p>

 それにしても千年王国も聖書の中のほんの数行から導き出されたことなのである。<o:p></o:p>

「またわたしが見ていると、ひとりの御使が、底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から降りてきた。彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たへびを捕えて千年の間つなぎおき、そして、底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終るまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた。また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。(それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった。)これが第一の復活である。この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。千年の期間が終ると、サタンはその獄から解放される。そして、出て行き、地の四方にいる諸国民、すなわちゴグ、マゴグを惑わし、彼らを戦いのために召集する。その数は、海の砂のように多い。彼らは地上の広い所に上ってきて、聖徒たちの陣営と愛されていた都とを包囲した。すると、天から火が下ってきて、彼らを焼き尽した。そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。そこには、獣もにせ預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである。」黙示録20:1~10<o:p></o:p>

「彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。」ここから、キリストによる千年間の地上支配という話が出来上がった。人類が果たせなかった、平和と愛の千年間である。なるほど。判りやすい。しかし、どういう形で? どういう政治形態で? これが全く判らない。それこそおとぎ話、神話、ゆめまぼろしの世界である。二〇世紀までならこれでよかった。しかし、二一世紀になると、これでは困る。というのもダービーにせよ、キリスト教徒全般にDispensational Truthキリストの初臨から再臨までの二〇〇〇年は二〇世紀で終わりと思っていたからである。はっきりはそう言わないがそう信じていたのは確かである。私は神学校でアメリカ人の教師からそう聞いたことがある。<o:p></o:p>

 二一世紀になっていよいよ再臨が近づくと(本当は終わっていたはず???)これは神話でもおとぎ話でもなくなったので、千年王国の明確なアウトラインが求められるのだが、これが全く判らない。一体、キリストは本当に地上に来てエルサレムに住むのか、そこから世界を統治するのか。千年間も? その間、誰が内閣を作ったり、行政をつかさどるのか? イスラエル人、ユダヤ人か? (どうもファンダメンタリストの言うことを聞いているとそうらしい。)税金は払うのか? その間、人間は相変わらず、生まれたり、死んだり、結婚したり、家庭を築いたりするのか? 何とも不可解な話である。