その昔、「一頭捕ったら七村潤う」と言われた鯨。日本の鯨肉食の歴史は古く、遠く11,000年前の縄文時代に遡ります。
鯨は非常に優れた資源で、肉や脂には脳を活性化させるといわれる(DHA)や血中コレステロール値を下げる(EPA)をはじめ、各種ビタミンや必須アミノ酸、鉄分をバランスよく含みます。
また、皮や骨、髭まで、全ての部位が無駄なく活用されました。
1936年~ セミクジラ、ホッキョククジラ
1948年~ コククジラ
1963年~ シロナガスクジラ
1966年~ ザトウクジラ
しかし、1972年の国連人間環境会議でのアメリカの突然の「全ての商業捕鯨を 10年間禁止」提案可決、やがて、1982年商業捕鯨全面中止へとつながります。
1978年以降、捕獲が認められていたのはミンククジラだけだったのですが。
では、1972年になぜアメリカはこう言う提案をしたのでしょう?
それは、ベトナム戦争でアメリカが行った自然破壊、枯葉剤の散布によるがんの発生、奇形の発生、免疫の異常、発育の異常などが起こります。これに対する国際的非難をクジラでかわすという政治的判断であったと言います。
アメリカが捕鯨禁止を唱えはじめたのは、ベトナム戦争の泥沼化で高まった反政府世論をかわし、政府のイメージ回復をはかる目的だったのです。米国民の目が、ベトナムの「枯葉剤」から「捕鯨国の残虐行為」に移ることを狙った作戦だったのです。
彼らが唱えたのは、「クジラやイルカなど、人間の友達になれるほどの高度な知能を持つ海洋哺乳類を捕獲することはけしからん」 「シロナガスクジラのような大型種が、捕鯨国の乱獲により絶滅の危機に瀕している」と言うことでした。
捕鯨を禁止する科学的根拠があるのでしょうか。
ミンククジラの捕鯨禁止については国際捕鯨委員会の科学小委員会でさえ科学的根拠が無いとしています。南氷洋だけで、1970代始め7万頭だったミンククジラが1990年頃31万頭に増えているそうです。これに反して、絶滅が危ぶまれるシロナガスクジラなどの回復は思わしくありません。
皮肉なことに、ミンククジラの増加により絶滅が危ぶまれるクジラの増加を妨げていると言う可能性も大きいといいます。大型の鯨の餌が不足しているのです。
鯨類が1年間に世界で食べる餌の量は2.8から5億トンにのぼり、これは、世界の海で人間が獲っている魚の量(9000万トン)の3~6倍にあたるそうです。
ということは、このまま放置すると、人間の食料となる魚がいなくなり、鯨もいなくなるということになります。
一方、アメリカは自国民にホッキョククジラの捕獲を認めています。確かに年20数頭と少ないのですが、全体の生息数が約7000頭(1990年頃)を考えると決して無視できる数字ではありません。
海洋汚染でクジラの胃の中からビニール等の異物の発見も多くなっていますし、化学物質の影響も調べる必要があります。
しかし、アメリカでは海獣保護法(1972年)でクジラに触ることさえ法律違反と言う事で、実態把握のための発信機取り付けさえ手続きが大変といいます。
実際、カルフォルニアでのアシカよる漁業被害にアメリカは一切手が出せない状態です。
政府が利用した過激な環境保護団体が逆に政府を突き上げる状態が続いているのです。
政治的判断で利用した子犬のような「環境保護団体」が、凶暴な大型犬になるとは思いもよらなかったのでしょう。
良識ある科学者は、このような現状では天然資源を損なわれ環境は保護できないとしています。
本当に、放って置くのが正しいのでしょうか?
人間が、クジラの数のバランスを壊さず、環境を汚染してない状況下では正しいのでしょうが、これだけ乱獲をし、環境を汚染してしまった現状下での放置は、将来に深刻な問題を生じる可能性が充分考えられます。
日本もクジラの保護が必要だと言っているのです。ただ科学的根拠に基づき、クジラを含めた漁業資源の永続的な利用を使用と主張しているのです。
しかし、1985、86年にアメリカ主導による国際捕鯨委員会(IWC)の議決により、大型船による捕鯨が禁止されて日本の商業捕鯨は事実上幕を閉じ、今では「調査捕鯨」の副産物として、年間400頭前後捕鯨されています。
クジラが激減した背景には、クジラを捕食しない国々(アメリカ)の乱獲がありました。彼らが捕鯨する目的は「鯨油」でした。-40℃でも凍らない「鯨油」は、産業革命による機械の発達に欠かすことのできない高価なもので、競って大型のクジラを捕獲しました。
鎖国を開国に導いたペリーが日本に立ち寄った理由は、捕鯨航海中の食料補給が目的だったといわれています。
日本では、鯨は海からの恩恵として、鯨の胎児を埋葬した「鯨墓」の建立や「鯨鯢(げいげい)過去帖」という鯨に人間と同じように戒名まで付け手厚く葬り、その優しい思いをあらわしていた。「鯨塚(くじらづか)」とは、海浜において岸に打ち上げられた鯨を祀った塚も各地に存在する。
日本人とは違い、その当時の捕獲数はすさまじく、捕獲した鯨を舷側に手繰り寄せ、「鯨油」だけを抜き取って後は海に捨て、「鯨油」の入った樽だけを持ち帰っていました。
大阪の天然山瑞光寺(てんねんざん ずいこうじ/大阪市東淀川区瑞光2丁目2番2号)は,クジラの骨でできた「雪鯨橋(せつげいきょう)」があることで有名なのだそうです。「雪鯨橋」は,1756年(宝暦6年),和歌山県の太地でクジラ漁を営む村から,同寺の潭住知忍(たんじゅうちにん)禅師への報恩として納められた鯨骨でつくられた橋だといわれています。人びとの糧となって恵みを与えてくれたクジラへの感謝と供養の気持ちが込められています。
自然、海からのクジラの肉から骨まであますことなく活用していた日本とは、その捕獲数に莫大な差があったのでした。
捕鯨は古くから伝わる日本の文化でありながら、その文化を持たざる国に理不尽な目的で禁止されています。
日本人は他の文化を自国の文化と融合させ、独自のものとして確立させていきました。だからこそ他国に類を見ないほど急速に発展できたのですが、筋の通らない理由で国の文化を禁止する行為を、黙認すべきではありません。
北海道では鯨を食べる習慣がなく、少なくとも私はあまり食べた記憶がありません。鯨肉は魚屋で売っているのでしょうか、それとも肉屋なのでしょうか・・・。私は「鯨ベーコン」、缶詰の「鯨の大和煮」の記憶しかありません。
しかし、鯨文化は、日本各地に歴然として存在しているのです。
とんだところで、目くじらを立ててしまいましたが、鯨に関しては今日で終わります。
したっけ。