ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

台風に向かって

2013-06-14 05:00:00 | 田舎

「台風がやって来てる」と古谷魚店の店主から連絡が入ったのは先週末の日曜日の夜、未だブログに載せていない船の話はしたくないけど、今係留している港から船溜まりへと避難させなければなりません。三男は小型船舶免許1級の学科は通ったけれど、実技が残っているし、私は7月8日から2級の免許を取りに行く予定、しかも免許が届くのは試験に受かってから4週間もかかるそうで、今回の避難には役に立ちません。とにかく11日の火曜日に串本へ出発、テレビの天気予報では台風の影響で梅雨前線が刺激されるので大雨に注意とか言ってたけど、未だ台風が来るには2日ほどかかりますし、台風が直進するのか、どの方向へ逸れて行くのかも定かではありません。

             

梅雨だと言うのに雨が降らないのですが、この日は大阪で朝から霧雨のような雨が降りました。とうとう雨かと思ったのですが、出発する頃には雨が止み、南の空には青空が見えます。ここは関空と阪和道へ分かれる手前の湾岸線、家を出てから40分ぐらい経っています。まっすぐ行けば関空、実は未だ車で関空へ行ったことがありません。左へと登れば関空線を経て泉佐野JCから阪和道に入ります。

この辺りまで来ると道路も空いているので、走りながらでもシャッターを切ることが出来ます。でもどう写っているかよく分かりません。

             

この道路が関空線、湾岸線の延長みたいなものですが、名前が変わると料金も変わるのです。東に向かって走っていますが、東の空も晴れています。この道路は直線が長いのでよくスピード違反の取り締まりをしているので、スピードの出し過ぎには要注意、まぁ阪和道でも捕まっている車をチョクチョク見かけます。

             

泉南付近、2車線なのに渋滞、この先で植栽工事をしているのでした。停まっているのでゆっくりとシャッターを切れます。上空はよく晴れています。

             

串本は前日も雨のマークが付いていたけど、ホンマに雨が降ってるのかと疑問に思っていたけど、湯浅御坊道を過ぎて、再び阪和道に入るころになると雲がだんだん厚く低くなってきました。

             

田辺市内、もう何時雨が降ってもおかしくありません。この先、椿の手前から雨が降り出しましたが、暫らくすると止み、再び串本町に入る辺りから降り出しましたが、有田まで来るとまた止んだのでした。どうやらこういう降り方をしているようです。

             

家に着くと庭には雑草がいっぱい、前回来た時に見えている草は抜いておいたのですが、もうこの頃は草の成長も早いようです。

結局のところ、古谷魚店の知り合いの若い人が早い目に動かしてくれたそうですが、台風が去ると船溜まりから撤去しなければなりません。串本港の船溜まりには古座や出雲の船も避難して来ていました。8月には私も免許を取得しているでしょうが、それまでにまた台風がやって来ないとも限りません。何処か台風がやってきても耐えられそうな港に係留できないものかと探して貰っているところです。

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九州土産

2013-06-13 05:00:00 | 大阪にて

我が母校の名前を無断で利用した“アベノミクス”ですが、株価の暴落、円高への兆候等、だんだんと正体がばれ始めていますが、またまた大見栄を切りました。今後10年で一人当たりの収入は150万円増えると言うもの、そうなれば日本国も消費が増えて豊かになれるでしょう。しかし、そうなるためには労働者には毎年、月1万円以上の賃上げが必要ですが、経営陣にはそんな素振りはありません。一人当たりと言うのがウソの大元、一人づつではないのです。日本国全体としての総所得(GNI)が一人当たりで150万円増えるというのが正解で、その増額分は勤労者に回るのではなく、資本家側に大儲けをさせようという魂胆が丸見えです。多少は労働者に回ったとしても、勤労所得(賃金)の無い私などは、もし10年後まで生き永らえていたとしても、その恩恵には預かれそうもありません。こんなこと、私が書かなくても誰もが解っていると思うのですが、何故か選挙になると自民党に投票するのですね。“アベノミクス”を“アホノミクス”とダジャレた解説者がいましたが、そういう風に言えば私から「母校の名を騙るな!」と文句を言われずに済むし、本質を得ているように思います。

                        

丁度1週間前になりますか、福岡からN田君の奥さんが『東方神起』のコンサートを観に京セラドームへ行くと言う連絡があり、コンサートの時間までヒマを潰して欲しいと頼まれ、私もヒマなので「では昼食でも」ということで難波で待ち合わせをしたのでした。なんと福岡空港から関空までピーチで3000円ぐらいで来れたとか、それにしても久留米から福岡、福岡から大阪までと相当なお金と時間を費やしてまで、コンサートにやってくるなんて、私には信じ難いことで、そんな真似は出来そうもありません。

その時お土産に頂いたのがこのお菓子、私は滅多にこのようなものは食べないので、今回串本への手土産にさせていただきました。

             

こちらは先月T中君が船(実は買おうかと迷っていた船を買った)の初出港時に船にかけるようにとくれたお酒、美味そうなので一旦家に持って帰ったら叱られました。今回姫にまた持ち帰ってきています。

             

こちらは串本のO崎さんに頂いた焼酎、私は最近焼酎の甲乙混合されたものは極力飲まないようにしているのですが、その混合酒をくれたのです。最近は甲乙混合酒を飲むと翌日調子が良くないのです。A竹君の家に行っても有名な混合酒が置かれてあり、「止めとけ」と言っているのに相変わらず何時行ってもその焼酎なのです。甲乙混合酒は本格焼酎に比べると、やはり値段が安いので買い易いのでしょうが、その分体に良くないと思っているのです。

                      

これはコンサートに来たN田君の奥さんが持って来てくれたお酒と焼酎、お酒は今年4月に仙台に転勤になった娘さんからのもの、焼酎は大分県産で名前が『トヨノカゼ』、相撲取りみたいな名前です。大分県と言えば『いいちこ』や『二階堂』など麦焼酎造りで有名な県、樽の色が染み込んだ琥珀色をしています。

もう後1週間もすれば夏至、我が家から見える日の出も随分北の位置から登って来るようになりました。

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馬場ナス

2013-06-12 05:00:00 | 大阪にて

維新の会の代表として、橋下徹が八尾の飛行場にアメリカ軍のオスプレイを配備したらどうかと政府に持ちかけたと言う話を聞きました。維新の会の代表ではあるけれど、大阪市長でもある人間が他市の管理物件に対して物申すという行為自体が主権侵害なのですが(そういうことをしたいのなら大阪市長を辞任してから)、当の八尾市に相談も無く政府に進言すると言うのも順序を間違えているし、当にオスプレイ自体が危険極まりない物体(何度も事故を起こしている)であるだけに八尾市や付近の東大阪市の住民にとっては一大事でしょう。何度となく八尾空港の傍を通ったことがありますが、小さな空港の滑走路の周りだけを少し広く取ってあるだけで、四方八方すぐに民家がぎっしりと建ち並んでいます。何故関西空港にと持ちかけないのか、関西空港なら周りは海ですから、少なくとも住民が困ることは他市の比較になりません。「負担を沖縄だけに押し付け続けるのはアカン、全国で広く受け入れたい」などと妄言を吐くのは、何も慰安婦問題だけではありません。沖縄に負担と言うなら八尾にだって負担なのであり、全国何処へ配備しても負担なのです。負担をみんなで我慢すればいいのですか?何故アメリカ軍の言うことに対して日本国民が我慢しなければならないのでしょう。要するにオスプレイは要らん、アメリカ軍の基地は要らんという要求こそ日本国民の願いであろうことは間違いありません。メッキが剥がれてきたのか、正体がばれてきたのか、誰かが『復古の会』にすればいいと言ったのを聞きました。

             

先々週の土曜日のお昼、私は吉本新喜劇が終わってからソフトボールの練習に行くのですが、その吉本新喜劇の前に『せやねん』を見ていたら、貝塚市の馬場というところで馬場ナスというとってもフルーティな茄子が採れるという話をしていました。丁度今が旬の水ナスの先祖だとか、馬場ナスを改良したのが水ナスだと言うのです。みんながみんな「これはジューシー、フルーティ」だというのについ乗せられて、一度味わっておきたいと思い、馬場ナスなど売ってるのを見たことがないので、一週間後の金曜日、天気も良いので、わざわざ貝塚まで行ってみたのです。

             

写真の中の家が、その馬場ナスを販売している『いろどりの店』、『たわわ』と名付けられた農園の一角にあります。

テレビでは茄子がいっぱい写っていたのに、行ってみると茄子なんか一つも置いてありません。9時半ごろに家を出て11時半前に着いたので遅かったのかも知れません。この店の営業時間は平日は9時から12時までなのです。『せやねん』いい加減にせぇよ、売ってもしてないものを紹介したから、ガソリンと時間を割いてわざわざ貝塚まで行ったのをどうしてくれるんぢゃ!6月末ごろになったら出回るって書いてありました。でも、わざわざもう一度行こうとは思いません。

             

店から南の方角に阪和道の橋桁が見えます。姫からの帰りに貝塚インターで降りれば近いかも知れませんが、12時までに着くには、9時半からしか開いてない『よってって』で買い物をするので、8時ごろには出発しなければなりません。あんまり急ぐとすぐに忘れ物をしてしまう今日この頃の私。

             

広い駐車場には殆ど車は停まっていません。この駐車場が満杯になることはあるのでしょうか。団体客が来るのかも知れません。芋掘りや栗拾い、イチゴ狩りやブドウやシイタケやタケノコまで収穫が楽しめるようになっているとのこと。

             

昨年の正月に行った水間寺とは1kmぐらいの距離ですが、雰囲気が全く違います。トンビやヒヨドリの鳴き声が聞こえて、のどかなのです。

             

近くの川には小魚も泳いでいました。

それにしても我が車のナビはいつもいつも何処へ連れて行くのか・・・到着はするけど何故か遠回りをしているような気がしてなりません。帰りは大きな道まではナビの言うとおりに走りましたが、大通りに出てからは自分の思い通り、元の道を選ぼうとするのを無視して、真っ直ぐ大阪湾の方へ進み、湾岸線の下の道を北上して帰ったのでした。

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日本美術の至宝

2013-06-11 05:00:00 | 展覧会

ボストン美術館所蔵の日本から流失した至宝を観に行って、美術館周辺の話題ばかりでは「何じゃ!それだけか」と叱られそうですから、昨日に続いて今日は内容を少し紹介しておきます。勿論館内は撮影禁止ですから、2000円も出して買った図録の写真を写真に撮っての再掲です。

             

大枚1000円札を2枚も出費して買った図録、もちろん消費税別です。図録の表紙、チケットのデザイン、案内のリーフレット、館内にあった記念撮影用のディスプレイとどれもが同じ作品、龍の頭が描かれています。これは曽我蕭白という人の描いたもの、私はこの曽我蕭白という人を習った覚えがありません。でも因みに“そがしょうはく”と打ってみると曽我蕭白に変換します。“蕭”などややこしい字なのに変換するということは結構有名な人なのですね。

                       

展示室に入場するとやけに暗いのです。“仏のかたち 神のすがた”という副題が付いています。この絵には『馬頭観音菩薩』というタイトルが付いています。顔が三つ、手が八本有りますが、足は二つしか有りません。古来の神仏画は左右対称とは言いませんが、ややシンメトリー的な構図の絵が多いようです。

                       

こちらは海外に絵画に対して流出した量が少ないと言われる仏像の一つ、弥勒菩薩立像。快慶の初期のころの作品だとか、日本国にあれば国宝級です。文治5年の銘が入った弥勒上生経が納入されていました。

             

次は“海を渡った二大絵巻”のコーナー、まずは『吉備大臣入唐絵巻』です。吉備真備が遣唐使として唐に渡り、そこで役人からの数々の難問に、唐で客死した阿倍仲麻呂の霊(幽鬼)に助けられて立ち向かったお話し、この場面は役人たちが眠りこけている隙に試験問題を盗み聞きする真備と幽鬼、顔の白い方が真備で赤いのが幽鬼です。

                       

こちらは『平治物語絵巻』の一部、平清盛が熊野詣に出かけた隙を狙って、後白河法皇を三条殿から連れ出し内裏へと連れ出す藤原信頼と源義朝が三条殿に火をかけるシーン、昨年の大河ドラマ放映中にこの絵巻が公開されていたら、もう少し視聴率が上がっていたのかも知れませんね。

             

次のコーナーは『静寂と輝き』、鎌倉後期以降に中国から伝わった水墨画がテーマ、当初は禅宗の僧が描いていましたが、応仁の乱以降は狩野派の職業画家が描くようになりました。写真は『韃靼人狩猟図』、韃靼ってモンゴル系の人が住む地域で当時の日本人の画家がそう簡単に行けるところではありません。中国から輸入されたものの模写なのでしょうね。

             

4番目は“華開く近世絵画”、安土桃山から江戸時代前期まで狩野派や長谷川派、琳派など今ではよく知られている画人が登場します。この絵は『十六羅漢図』、伊藤若冲の作ですが、若冲と言えば華麗で緻密な絵を想像します。こんな単純な絵も描いていたのですね。

             

長谷川等伯の『龍虎図屏風』、こんなに向かい合っているのではありません。別々の屏風に描かれています。

串本の無量寺にも龍虎の屏風が有りました。永沢芦雪のものでした。

             

最後のコーナーは“奇才 曽我蕭白”、最初に書いたように私はこの人の名を聞くのも絵を見るのも初めてです。この催しに一役も二役も買っている雲竜図の展示は日本初です。雲竜図はマンガのような絵ですが、この鷹図は緻密です。いずれにせよ鷹を描いてくれていたということはホークスファンの私との縁を感じます。

             

山水画も描いています。至る所に点が散在し、何を表現したいのかと思ってしまいます。しかし曽我蕭白の銘の上に鬼神斉とか蛇足軒とか、ダジャレた名を付けているところが面白い人だったんだろうと想像させます。

ボストン美術館には10万点以上の日本の美術品があるとか、明治維新後の混乱期、戦後の混乱に乗じてかき集められたのだろうと思いますが、本来は日本国にあってしかるべきもの、どのような経緯があったにせよ、返して欲しいものです。

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大阪市立美術館

2013-06-10 05:00:00 | 展覧会

梅雨に入ったその日の夕方、当に甲子園で降られてからは大阪では一切雨が降っていません。空梅雨とでも言うのでしょうか。それにしても私が野球観戦に行った日だけ雨が降ったなんて、私にとっては納得のいかない話です。

この日も良い天気、6月になったら終了すると思っていたボストン美術館に所蔵される『日本美術の至宝』を鑑賞しに行こうと、5月の一番最後の日に大阪市立美術館へ行って来ました。

天王寺へは地下鉄に乗ると大国町駅で乗り換える際にホームの階段を上り下りしなければならず、それが嫌で自転車で行きます。しかし問題は駐輪場、難波も天王寺も(おそらく梅田も)駐輪場をわざわざ設けて、お金を払って停めされられるようになっています。年金暮らしの私は、自転車を停めるだけなのにお金を払うと言う行為が納得できません。自転車で上町筋を東へ登り、登り切るとあべの筋を左折、天王寺駅の手前500mぐらいにベルタの駐輪場が無料であるので、そこで降ります。昨年はひと月に1回はハローワーク通いでしたが、それが修了してからは御無沙汰です。

                 

天王寺駅まで歩くと昨年工事中だった、歩道橋が完成しています。ハルカスも完成していますが、未だ営業はしていません。この交差点は昔から歩行者にとっては非常に困り者で、信号が無いのです。ですからこの歩道橋が無い時は、地下街を通るか、わざわざ四方とも100mほど離れた信号まで歩かなければなりませんでした。でも歩道橋が完成したからと言って、喜んでいるわけではありません。だいたい人間が何故階段を上り下りしなければならないのか、動力のある自動車の方が上り下りは楽なはず、そういう道路に造り変えて欲しいものです。

             

自転車を降りてから1kmほど歩いて、目的の大阪市立美術館、私は昔、天王寺美術館と呼んでいました。途中のチケット屋で入場券を買いましたが、1500円の入場券が1450円、これではたいして割引になっていません。前売り券が1300円でしたから、前売り券を買っておけば良かったと思った次第ですが、普通チケット屋では前売りの値段で売っているものです。

             

玄関まで来て気付いたのですが、この催しは6月14日までやっているのです。慌ててこの日にやって来なくても良かったのでした。それに10時開館だと思っていたら9時半開館です。私は家を10時ごろに出、着いたのが10時半、入場したら人でごった返していました。平日なので空いていると思ったのですが、あてが外れてしまいました。

             

館内は勿論撮影禁止、人が多いので整理員もたくさんいます。目を盗んで写真を撮るどころではありませんし、室内は思ったより暗いのでフラッシュを点けないと何も写らないでしょう。館内に有った記念撮影用のディスプレイ、撮ったのはこれ1枚だけでした。

入り口付近では混雑していた館内も奥へ行くほどに人が少なくなり、1時間半ほどで全て観て回ることが出来ました。でも作品を身近に見たのは数点、いつも人だかりの後ろ、遠くから眺めていました。

       

12時を回っていましたが、少しだけ北の方へ歩いてみました。古墳だと思った方もおられると思いますが、茶臼山です。大阪冬の陣では徳川家康の冬の陣では真田幸村の本陣となったところ、この山が古墳なのか、そうでないのかは意見が分かれています。手前は堀ではなく、河底池という名の池です。美術館の北出入口がありましたが、通常は使用されていません。美術館の正面から西側、眼下の眺望が良いのですが、逆に美術館の全体像を正面から写すことが出来ません。

             

12時を回ったせいか、人が絶え間なく通ります。木陰で昼食をとっている人も見かけます。私も昼食をとりに駅方向を目指します。

             

来た道ではなく、天王寺公園の中を歩く道を選び、歩道橋から振り返ると美術館の南側を見ることが出来ます。手前は旧黒田藩蔵屋敷の長屋門です。

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モモの散歩

2013-06-07 05:00:00 | 大阪にて

大阪に居るときはモモの散歩は私が早朝に連れて行きます。飼い主の三男は5時出勤なので朝の散歩は連れてはいけないので、そうなっているのですが、私が早朝に連れて行ったからと言って、昼過ぎに帰ってきても夕方散歩に連れて行くわけではありません。飼い主のくせに滅多に散歩に連れて行かないのは、責任放棄、動物虐待であろうと思っているのです。今は5時前から明るく、陽が登って暑くなるとアスファルトも熱くなってきてモモも足裏が熱かろうと可哀そうなので朝早く行くのです。

冬は冬で夜が明けて明るくなってから、5時台に行っても真っ暗で、何処にウンコをしたか分からないから、第一人間が寒いものね。

       

この時計、時間は合っています。今回姫へ行く前から止まったままでしたが、帰った次の朝に見た時も壊れていました。その翌日から動き出しているのですが、未だにこの貼り紙が貼られたまま、何故だろうと思っていたら、裏側の時計が止まっています。以前は逆だったのに・・・つまり直したわけでは無く、裏表逆にしただけなのです。

いずれ裏側も直すつもりなのか、公園内で遊んでいる子供からは裏側の時刻は見えませんし、外から見るにしても木の葉が邪魔で見えるとは思えません。不要とは言いませんが、あっても役に立ってないのです。でも直そうと思ってるから、貼り紙を残したままなのでしょうね。

             

公園の東側、今の日の出は4時前ですが、大阪市内では東に生駒山がありもう少し遅い筈、平地の公園からはマンションなどの建物が邪魔して5時半を回っても未だ太陽は見えません。

この毎朝やって来る公園を南海公園と言います。この辺りは明治当初は西成郡勝間村と呼ばれていました。大正末期に大阪市になってからは玉出町、昭和2年に南海通りという町名が付きました。私が小学生の頃は未だこの辺りを南海通りと呼んでいました。南海電車の本線と高野線が交差する岸里駅があったから、南海の地名が付いたようですが、今は駅名は20年ぐらい前に岸里玉出、地名は50年ぐらい前に岸里に改称されています。

             

こちらは北側、実は見えている白い車にどデカいシェパードが顔を出して、乗っているのです。もう1匹散歩していて、時々リードを付けないで歩かせているので気色悪い、おとなしくしているのですが、所詮犬畜生です。モモや私に何時飛びかかってくるか知れたものではありません。モモなら飛びかかってきてもなんともないけど、その犬は立てば私ぐらいの大きさはあるし、警察犬にも使われる犬ですから噛みつかまれますよね。

             

最初の写真が西側で、こちらが南側、南の方は一般家屋や比較的低いマンションが多く見られます。一つ上の写真にもこの写真にも白い掲示板が写っています。

             

そこにはこんなことが書いてあります。“園内に掲示物・・・を設置しないでください”では、これは何なんですか?掲示物では無いのですか?自己矛盾していますよね。というか自分だけは良いのでしょうか?こんなことを書くと現の大阪市長が立てたものかと思われがち(日頃の言動がそう思わさせる)ですが、前の市長時代から設置してありました。

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次の日も甲子園

2013-06-06 05:00:00 | スポーツ

雨中の逆転劇(途中までしかみていませんが)の翌日は、一日中雨の天気予報でした。もう前日から29日の甲子園は雨天中止になると決め込んでいたのですが、朝起きてみると雨は降っていません。モモの散歩にはその方が好都合なのですが、もしこのまま雨が降らなければ、この日も甲子園まで行かなければならなかったのです。ソフトボールの連中が1000円チケットを取っていて、その中に無理矢理私も入れられているのです。年老いた私には二日連続、それも1日目は雨という強行軍、せめてドームでの試合ならと思うのです。そう思うとやはり甲子園は遠い、京セラドームなら良いのにとひしひし感じます。だいたい梅雨入り宣言してから雨が降ったのは、28日夕方から、当に試合が始まってから、夜中のことは知りませんが、それ以降今日に至るまで一週間以上雨は降っていないのです。

             

この日の先発はタイガースが榎田、イーグルスは忘れました、イーグルスの試合なんて大阪では観る機会がありません。近辺ではオリックスの試合がたまに京セラドームで有るけど、わざわざ贔屓でもないチームの試合を観に行きたいとは思いません。

             

因みにこの両チーム、先頭バッターは西岡と松井稼頭央、両人とも大リーグ帰りですが、打率は西岡の方が上のようです。写真に写っているのはそのどちらでもありません。このところバッティング好調、四球選びが得意な人ですが、よく見ると肘と足首のプロテクターと手袋が赤、ひょっとしたら広島へのトレードを願っているのかなぁと思ってしまいます。

       

もう藤波のレプリカユニフォームを着ている人が居るのに対し、もうタイガースには居ない人のレプリカを着続けている人も居るものです。余計なお金を使いたくないのは分かるのですが、居ない人のレプリカを着ていても仕方ないと思うのですが、如何なものか、私なら着ない方がましだと思うのですが・・・。

             

イーグルスの応援は東北人らしく、おとなしい。未だ優勝したことが無いので自信が過剰では無いのが良いのかも知れません。この2連戦は火・水だったのですが、金曜日に天王寺でイーグルスのレプリカを着た人が歩いているのを見かけました。金曜日はパリーグの持ち試合のはず、イーグルスは宮城に帰ってます。

             

首位ジャイアンツはホークスに連敗していたのに、タイガースはこの日もまた完封負け、ジャイアンツが負け続けている時に奮起しないようでは、なかなかタイガースの優勝は見えてきません。と言うか同じ鳥でもホークスには勝つのにイーグルスに負けるとは・・・そういうところが許せません。

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雨の甲子園

2013-06-05 05:00:00 | スポーツ

近畿地方が梅雨入りしたと宣言された28日、以前から予約してあった1000円チケットで甲子園球場へ行って来ました。前の職場の人たちと併せて6人の予定でしたが、昼ごろから雨が降ると言う予報だったのになかなか降り出さず、これでは大丈夫かと思っていたら、私が家を出る前に弱虫の男性二人が「雨が降って来たから今日はゴメンするわ」とメール、私のところでは未だ降ってなかったけど、私より西にある尼崎・西宮ではもう降り出していたのかも知れません。

             

家を出るときは降ってなかったので、一応折り畳み傘は持ったけど、カッパは嵩張るし重いので持たずに出かけました。甲子園に行くには「どうやって行くんやったかな」などと思いながら、久し振りに乗る地下鉄を物珍しく思いながら、阪神電車の梅田駅の切符売り場まで来ると、阪神ファンらしき人がもうカッパを着て重装備をしています。甲子園駅に着いたのが5時半前、未ださほど降ってると言う感じはしなかったのに、ダイエーでビールや焼酎や肴を買って出てくると、かなり雨はきつくなっていました。

これはアカンと思い、球場で売っているタイガースのロゴ入り(私はそんな物が欲しいのではありません)のポンチョを買うことに、アメニモマケズやって来た女性3人もカッパを着ると言います。先に席に着いて貰って私は通路をウロウロ、でもなかなかポンチョを売ってる店が見つかりません。探すのに5分ぐらいかかったと思います。往復すると10分ほど、先に入った3人は私が遅いので何をしてるのかと思っていたことでしょう。

             

弱虫二人からメールを貰った時、私もチラッと「止めとこうかな」と思ったのですが、今日の目当てはマー君、六角精児演ずる米沢守ではありません。いや日曜日にやってた『相棒 鑑識米沢守の事件簿』という劇場版に鑑識課の米沢が別れた奥さんから「マー君」と呼ばれていたのに気が付いたので、つい余計なことを書いてしまいました。目当ては田中将大、パリーグの試合はホークスVSオリックスぐらいしか見れない私は、実際の目で田中将大の投球を見たことがありません。

             

期待に反してマー君は先に2点先制され、イーグルスはスタンリッジの投球に手も足も出ません。途中雨も止んだ時もあったのですが、5回が終わって強く降り出したので、試合も成立したし、このままタイガースが勝つやろと思い、もう帰ることにしました。

       

京セラドームのビールを移し替えるコップは新しく変わっていたけど、甲子園は昔のまま、ポップコーンを入れる容器みたいでイマイチです。

座った席はアルプスの最上段、せめて銀傘の下なら雨を避けることも考えられたのですが、途中で帰ったのですから、他人のことを弱虫と笑ってばかりはいられません。

途中ダイエーでチキンラーメンのハンカチやタオルが安かったので、2~3枚買ったのでした。

帰る時間が早かったので、甲子園駅の近くで飲み直してると、私からは見えなかったのですがTV中継もやっていて、楽天に点を入れられたとか言っていましたが、それもゲームを最後まで見ることなく帰ったのでした。翌朝新聞を見るとタイガースは逆転負け、最後まで観てれば良かったのか、早く帰って良かったのか、タイガースファンでは無い私には判断出来ません。

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5月23日の釣り

2013-06-04 05:00:00 | 田舎

24日は大阪に帰ろうと思っていた前日、釣りを午前中で打ち切って、道具を洗って、干して、乾かしてから仕舞っておこうと思っていました。今回はタモも使ったし、ウキなども塩分を抜いておかなければなりません。仕事をして少ない年休を使って釣りに来ていた頃は、そんなことなど考えもせずに、釣行すれば道具は放ったらかし、やはり最近は時間に余裕があるせいなのか、道具を大事にしなければと思うせいなのか、はたまた歳を取ったせいなのか、ともかく道具を洗わずにはおれません。今回は撒き餌にオキアミを使わなかったので、バッカンを洗うのも1つだけで済み、楽と言えば楽です。

             

前日と同じように9時過ぎに大島港に到着、いつものポイントには道具をいっぱいに広げて一人が座っています。でもどう見ても道具立てが前の意地悪なオッサンではありません。明らかに置いといたらエエワという感じで置いてあります。暫らく見ていたのですが、紀州釣りをする女の人でした。チヌでも狙っているのかも知れませんが、コッパグレがたまに釣れています。

             

私はその人の7mぐらい奥の低い所に脚立を立てて釣りを始めました。私の右横には円錐ウキで釣ってるオジサンがいましたが、どうやら私の両脇は夫婦のようで私の頭越しに会話をしています。会話をしていると言うより、男の人が一方的に喋っていて、女の人は聞こえているのか、いないのか言葉を返しません。時々男の人が仕掛けの面倒を見ていたようですが、釣れるのは女の人ばかりでした。

             

暫らくすると右側の男の人がやってきて、タナやエサの話をしかけてきます。大島港に来たのは初めてみたいだったので、面倒臭いけど、ついでにオモリやウキの話もしてあげました。どうみてもインターネットはしてなさそうだったので、私のブログの話はしていません。

どちらにしてもあまり釣れないので、予定通り昼前に引き上げました。昼食を串本の海布という店でとって、家に帰り後片付け、この日は天気も良かったので洗ったものも早く乾き安心です。この季節、ちゃんと乾かないとカビが生えて道具がわやになってしまいます。

             

帰る当日、10時20分紀伊姫駅発の電車に乗ります。駅の裏側はもう何処の田んぼも田植えが済み、何故だか案山子まで突っ立っています。今頃案山子でも無いやろと思うのですが・・・

             

2体数えられた案山子は何故だか2体とも向こうを向いていました。どうやら案山子は田んぼを見張っているのではなさそうです。

             

10時20分発の電車に乗ると、串本駅で特急に乗り換える便は有りません。紀伊田辺に11時59分に着き、それに続く特急は12時41分発なので40分以上待たないといけないので、先に御坊行きの電車に乗り換えました。御坊に12時55分に着き、未だ特急はやって来ませんから、13時発の和歌山行の電車に乗り換え、途中何処かで特急に追い抜かれたけど、14時過ぎには和歌山に到着、ついでに天王寺まで臨空快速に乗って、特急券は使わず仕舞いで帰ってきました。因みに紀伊姫からでも串本からでもいいのですが、安く大阪まで行くには紀伊田辺で高速バスに乗り換えると湊町バスターミナルまで3710円で行くことが出来ます。

三男には15時過ぎに天王寺まで迎えに来るよう頼んでおいたけど、天王寺で特急券の払い戻しに時間がかかり過ぎ、私は払い戻しの手数料に210円かかると言われたけど、使って無いものを返すのに何故消費税までかかるのかと内心思ったけど(クーリングオフ期間も過ぎてないのに使って無いものを返すのに手数料を取るのは乗り物ぐらいか)、何にも言わなかったのにもう16時前になっていたのでした。

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アイゴ

2013-06-03 05:00:00 | 田舎

翌22日、前日釣り人が多かったので少し早目に家を出ました。早目と言っても『あまちゃん』を見てからですから、たいしたことはありません。オークワに寄って弁当やお茶を買い、三平に寄ってエサのオキアミを買ったりしたので、大島港に着いたのは9時を回っていました。

             

グレのポイントには先客が居たので、その向こう側に脚立を立てて、暫らく釣りをしていました。この日は天気も上々、爽やかな風が吹いて暑さは感じません。釣り日和とでも言うのでしょうか、これで大物が釣れれば絶好の釣り日和だったのですが。

       

たまに釣れるのはコッパグレばかり、前日の方が数的には良く釣れました。前日は撒き餌も刺し餌もペレットでしたが、アタリが判り難いのでこの日は刺し餌にオキアミを使ったのですが、アタリは同じような感じでした。どうもウキがスゥーッと沈み切りません。ウキ下を浅くすれば良いのでしょうが、あまり浅くすると大物が釣れないのです。

             

昼を過ぎてグレのポイントが空いたので移動、暫らく全く釣れない状況が続いたのでしたが、2時半ごろ、ウキが少し入って、その後ゆっくりと沈んで行くので「よっしゃ!」と合わせると手応え十分、頭をゴンゴンと振るのでグレでは無いなと思ったのですが、こんな所でサンノジでも無いやろと思っていたら、途中で斑模様が見えたので「アイゴか」と少しがっかりとしたのでした。でも海の中ではなかなかの暴れ者、陸に上げると途端におとなしくなりましたが、いつ撥ねて鰭が刺さるか分かりません。アイゴの鰭にはきつい毒があるのです。

       

何時か何処かでアイゴ鋏を買った覚えがあったので、バッグの中を探すと有りました。100円か200円のプラスチック製のものですが、役に立ちました。その後4時ごろまで粘ってみたのですが、何も釣れず、古谷魚店に持って行って、鋏で鰭を切り、干物にしようと捌かせてもらいました。アイゴの内臓はこれまた独特の臭さがあり、家で捌くのには抵抗があります。家で測ると36cm、立て塩に浸けるのに大きな容器がありませんから、バッカンに立て塩を作って1時間ほど浸けておきました。丸一晩干しておいたのですが、未だ乾ききっていなくて、日中も陽の当たらないところに干して、三男が食べると言うので、冷蔵庫に入れて翌々日に大阪へ持って帰ったのでした。

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