ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

夜明け前

2011-04-14 05:00:00 | 大阪にて
徐々に夜明けが早くなり、日没が遅くなってきました。そんなことは冬至が過ぎてからはずっとそうなのですが、家を出る前から明るくなってき、家に帰り着く頃に陽が沈んでいくのが見えるようになってきたということです。

マンションのベランダから東南の方角、羽曳野から富田林、河内長野の方向です。

二つの山が並ぶ二上山、古くから信仰を集め、こちら大阪側の麓には聖徳太子所縁の寺と言われる叡福寺があり、むこう奈良側にはいくつもの古墳があります。

             

堺から松原、羽曳野、太子町を通って葛城市へ至る日本最古の官道・竹内街道が二上山の南を通っていますが、推古天皇の命で造られたといわれるのですから、未だ日本と呼ばれる国は出来てなかったはずです。

私の住んでいるこのマンション、平安時代は未だ海だったようで、ここから2kmほど東へ行くと、往古から陸地であった上町台地に登れます。その高台から眺めるこの山々は途中遮るものも無く、広々とした平野の果てに神秘の山が聳えていたのでしょう。

             

左の山が葛城山、右の山が金剛山、葛城山は春のツツジと秋のススキで有名です。葛城山へは若い頃一度だけ登った記憶がありますが、金剛山へは1月の末から2月の初めにかけて雪中登山で年に一度は登っていました。冬はシーズンオフで練習もありませんから、丁度トレーニングの再開にはもってこいの場だったのです。

             

こちらはマンションの廊下から見る西側の日没、丁度お湿り程度の雨が降りそうな時、もう少し早ければ陽が沈んでいくのが見えたのでしょうが、この残照が暗い雲と対照的で何ともきれいです。

             

方角的には住之江の南港方面ですが、建物がゴチャゴチャしていて、何が何だか判りません。赤い鉄橋は港大橋、南港方面は昭和の後期の新興住宅地、人がいっぱい住んでいます。

             

右端に少し写っている黒い塊は六甲山地の山、ここから見える先端部が神戸のどの辺りなのか、あれだけ神戸で働いていながらも、よく判りません。

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汚染物質は無かったのか

2011-04-13 05:00:00 | 大阪にて
敷地内に重大汚染があると貼られたビラを報道してから1ヵ月半が経ちました。

外販からの帰りに何気なく歩いていると、工場内から何かカチーン・カチーンと金属を打つような音とモーターの回っているブーンという音が聞こえてきたので、思わず立ち止まったのでした。

倒産して閉鎖した筈の工場からの怪音、人のいる気配は毛頭ありませんなどと言うと怪談めいて面白いのですが、人が居ないのにそんな音がする訳がありません。

                  

ちょっと戻って周りを見ていると、共同上宅を建設すると言う告知がされていました。あの“敷地内重大汚染有”のビラは完全に剥がされています。ミカドの従業員はどのような汚染があると告発していたのか、そしてその有無を調査したのか、敷地内は完全に汚染されてなどいなかったのか、いつも傍を通る私達にとっても重大な問題です。

             

今は工場と言う建物で覆われていて外に汚染が拡がるということはないのでしょうが、新たに住宅を建てるとなると工場は一旦壊さなければなりません。大きな共同住宅を建てるとなると基礎を打つにも相当掘り返さなければならない筈です。

もし本当に汚染物質があったとしたら、付近に重大な被害をもたらすことになるでしょう。

             

まさかプルトニウムではないでしょうが、ミカドだけにカドミウムだったりして・・・

調査の上、全く何も無かったのなら「何もありませんでした」と表示すべきです。横を通る私達はとても気色悪い思いなのですから。

             

どのような規模の住宅が、この土地のどのような配置で建つのか、皆目分りませんが、南北に長く東側に建てるなら西日が、西側に建てるなら東からの陽が遮られ、夏は涼しいでしょうが、冬は寒くなるのでしょう。でも完成は私の退職後のことだろうと思っています。

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工事

2011-04-12 05:00:00 | 大阪にて
瓦礫の山、残念ながら東北地方へ支援に行ってきたのではありません。JR尼崎駅の近くの道路を造っている現場、いつ壊すのかと思っていた工場が一つ、二つと無くなってきました。

             

これは未だ2月下旬の寒い頃、道路の裏側の撮影ですが、右の工場は潰れ左の方も骨組みだけになっていました。

             

今は二つの工場ともすっかり壊されてしまい、面影すらありません。
真ん中やや左寄りの薄緑の工場の横に尼港線のレンガで出来た橋塁がありました。

             

JRの線路の下を潜るトンネルの工事はもう終了しているのかも知れません。こう見ると道幅が狭いような気がします。

             

道はこういう風に出来るらしい。片側1車線でトンネルの手前からは歩道も出来て、向こう側へ抜けるようにしてありますが、長いトンネルの中を歩いたり自転車で走ると、自動車の騒音が相当に喧しく、怖いような感じがするのですが、尼崎駅は1番から8番までホームがあるので、幅にすると結構長いような気がしているのです。

             

二つの工場を潰している現場ですが、作業車のすぐ後ろに見える工場は建て替えられたもの、それより先の工場はそのまま残るのでしょう。道路の曲がり具合が教えてくれているようです。

             

今はこの現場も落ち着いて何もなされてません。面積は十分あるのに、何故片側1車線しか取らなかったのか、元の道が片側1車線だからなのか、この辺りは大きなトラックが頻繁に通るのに十分な配慮がなされたとは言えないと思います。

                   

後はこの工場が撤去されれば、道路の完成を急ぐのでしょう。でもこの工場、以前は朝早くから夕方は遅くまで仕事をしていたようですが、今は昼しか仕事をしてないようです。この間口いっぱいの何かしら得体の知れないものを造っているのを見たことがあります。

             

こちらは浪洲通りの一つ南の道路、ここは朝鮮初級学校がありました。私達がこの地域にやって来た頃は未だやっていたのかも知れませんが、気が付いた頃にはもう閉鎖状態が続いていました。何度も潰す工事をやろうとしていましたが、何故だか延期・延期になり、先頃やっと工事に着工し始めたところです。

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小学校の桜

2011-04-11 05:00:00 | 大阪にて
昨日は統一地方選挙の投票日、私の地域は小学校が投票所になっています。先々週の土曜日にソフトボールの練習をした時は「今年の桜は遅いなぁ」と話していたら、金曜日の雨も跳ね返し、1週間後には満開となりました。

例年は春休み中には満開となって桜の通り道として学校を開放するのですが、今年はもう1学期が始まっているので、開放していません。

                  

この学校のサクラを見るのも今年が最後かも知れません。来年3月に咲けば、もう一度見ることが出来るかもなどと思っていますが、まぁあまり期待せずに待つこととしましょう。

             

サクラのトンネルが出来るこの小径ですが、学校のプールの配水管が詰まっているらしく、今年グランドを掘り返すことが計画されており、その際にはサクラの木も数本駄目になるかも知れないと言われています。

             

私自身がこの小学校の出身ですが、こんなに沢山サクラの木が植わっていたのかどうかは覚えていません。いろんな動物を飼っていて、その小屋がこの辺りに並んでいたのですが、30年前に長男が入学した頃には無くなっていました。

いつ頃、動物の小屋を撤去したのか知る人は見かけないのですが、10年ほどの後輩は未だ動物を飼っていたのを覚えていました。

             

東門の近くにあるこの古木はきっと私の在学中からあったものと思われます。

             

私が6年間、弟も6年間、私の子供たちが12年間、この学校に通っていたのです。大変お世話になった学校です。長男が入学した年からこの学校でソフトボールを始めましたから、もう相当長い付き合いになりますね。

                  

尼崎記念公園の前にもこのような葉桜を見かけましたが、何処にでもあるものなのですね。

             

花はソメイヨシノより白いです。

             

この池も私の在学中からありました。中央の島へ飛び移ったりして遊んでいましたが、今の子供たちもそうして遊んでいるのでしょうか。去年の秋には金魚も沢山泳いでいたのですが、練習中に見かけていた鷺がみんな食べてしまったそうです。

                  

このミカン、食べれるのかどうか知りませんが、沢山実がなると何処かへ出荷して、いくらか学校の費用の足しにしているということです。

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チケット

2011-04-08 05:00:00 | 大阪にて
東北・関東大震災のためプロ野球の開幕が延期されています。一貫していたパ・リーグは良いとして、セ・リーグの二転三転振りには往生してしまった私ですが、2月の時点で地元での開幕カードのチケットを手に入れていました。

別段阪神タイガースファンではありませんが、大阪球場のなくなった今、会社から一番近いのが甲子園球場、職場にも熱心な(?)タイガースファンがおられ、この三連戦のチケットが1枚1000円で購入できるということで、みんなで観に行こうと決めていたのでした。

このチケットは3月31日分で、勿論甲子園ではセンバツ高校野球の真最中ですから、開催は京セラドームなのでしたが、残念ながら観に行くことは出来ませんでした。

                  

さて購入したチケット、試合が無くなれば払い戻しをしてくれなければなりません。

このチケットは知ってる人の知り合いの方から購入したもの、払い戻しについては“降雨その他の事情により試合が中止または成立しなかった場合は、試合翌日から3週間は阪神甲子園球場窓口または、プレイガイドで払い戻しいたします。それ以降はシーズン終了まで阪神甲子園球場窓口のみ払い戻しいたします”と記されています。

なので、先週の日曜日、センバツの決勝戦を観に行ったついでに、球場窓口で払い戻しをしてもらおうと思っていました。プレイガイドで払い戻しを受けると何割かの手数料を払わなければならないらしい。

窓口に行ってみると、受付嬢が「このチケットは未だ払い戻しが出来ません」と言うのです。「書いてあることと違うやないか!」ともう少し穏便に言ったのですが、「今回は特別ですから」などと言う、そりゃ降雨中止とは違うでしょう。でもこのゲームが中止になることが分ったのは随分前のこと、降雨中止が翌日から払い戻し出来るのに、何日も前から分っていたものを払い戻し出来ないと言うのは納得できません。

どう特別なのか・・・大震災があったから払い戻しを自粛してるとでも言うのでしょうか?

             

こちらは4月12日からの当にオープニングカードのうちの13日のチケット、阪神甲子園球場での開催です。

昨日の新聞では新たな日程が決まったとありました。セリーグは5月7日から9月19日までの日程は当初通りに開催し、延期分を9月下旬から10月に・・・と書かれていました。それなら5月7日までの日程はどうなるのか?このチケットのカードは予定通り開催されるのかどうか明確ではありません。

             

これはK川氏にいただいたセンバツの決勝戦のチケット、話のついでに載せただけです。

             

昨年から始まった女子プロ野球、尼崎市の記念野球場が近くにあるので地元スイングスマイリーズのファンクラブに去年加入したら、今年のチケットを10枚も送ってきました。前期の日程が発表されたところ、ベイコム野球場と名前が変った記念野球場での試合が1試合しか無いのです。わざわざ高い運賃払って、時間をかけてまで明石総合運動場、西京極まで行けません。

どうも今年はプロ野球に縁がないのかも知れません。

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2011-04-07 05:00:00 | 大阪にて
先週末の曇った日曜日、甲子園で高校野球を観戦しましたが、翌日以来雲一つ無い青空続きで気持ちの良い春を迎えています。先週もいい天気が続いていたので、私が甲子園に行った日だけ曇ったということになり、何と運が悪かったのかと思ったりもしています。

そういうこともあったけど、今年のセンバツは雨が降らず、一日の順延も無かったのですが、考えてみるとここ暫くは雨が降っていません。3月の末からようやくサクラも咲きだし、私達の目を楽しませ、ようやく暖かくなるんだなぁと心を和ませますが、地震に見舞われた東北地方や福島の原発近辺の方々はきっとそれどころじゃないんでしょう。あの地震から4週間が経ち、避難所生活も限界に近くなっていることでしょう。一日も早く仮設住宅が建設され、全員が入居できるよう祈っています。

             

例年より咲き出すのが遅かったように思われる今年のサクラ、最初に咲いたのを見たのが3月の30日のこのサクラの木でした。これは今週の初めに撮ったもの、1週間ほど経っていますが寒くなったり暖かくなったりの繰り返しで、なかなか満開には至りません。

             

こちらは西長洲八幡公園のサクラ、去年はこの木の下で花見をした筈ですが、何故かこのブログには載っていません。

             

あまりにも咲くのが遅いと感じるので、会社近くで今までに撮ったことのあるサクラを求めて歩いてきました。ここはJR尼崎駅の近く、道の両側にサクラの木が植わっているので、満開になるとサクラのトンネルが出来ますが、まだまだですね。

             

こちらは尼崎市記念公園の前、ここの並木もきれいに咲くのですが、全く咲いてないです。

             

産業道路を隔てて住友金属の工場がありますが、どこかと合併したのかするのか、増築中のようです。この場所は以前は歩道橋があり、今は信号にとって変っています。サクラの花を撮るのに歩道橋に登ったりしたことを覚えています。その際の写真を載せた記事を探したのですが、見つからないと思っていたら、タイトルが全く違った記事に載せていました。

                  

その並木の一角、このサクラは種類が違うのでしょうか?花が散ってしまったのではないのに、葉桜になっています。

             

尼崎市の所有だったこの公園、とうとう民間に譲渡してしまったのでしょうか。尼崎市民でない私にはよく分らないのですが、ベイコムというケーブルテレビの会社の名前に変っています。おそらく今は残っている『尼崎市記念公園野球場』という字も、いつかは削り取られる運命なのでしょう。

                  

こちらは会社に一番近い、金楽寺小学校の門の前付近、こういう風に撮ると満開かなと思えるのですが・・・

             

少し離れるとまだまだなのが分ります。

                  

会社の横を流れる用水路に植えられたサクラ、朝からの陽が当らないので、なかなか咲く様子がありません。一昨年の今日4月8日にもサクラの記事を書いていますが(一番最後の写真が同じ用水路のサクラ)、投稿はいつも写真を撮った日より遅いので、もっと早い日の写真だろうと思われます。

             

ずっといい天気が続いていますが、明日は天気予報では雨が降るとか、今年のサクラは満開を待たずに散ってしまうのか、花見は出来ないのかも知れませんね。

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センバツ高校野球決勝戦

2011-04-06 05:00:00 | スポーツ
このところずっといい天気が続いていますが、土曜の夕方からまた寒くなっています。

ずっといい天気が続いていたはずなのに、その日だけ曇っていたという先週の日曜日、幼馴染みのK川氏から、甲子園のチケットを頂いていたので、土曜日に練習に来ていた中学生Y理君を連れてセンバツ高校野球の決勝戦を観に行ってきました。

去年はK川氏と一緒に甲子園に高校野球を観に来ています。そのK川氏、今年は心臓手術で入院状態、「高校野球のチケットあるから取りに来い」という電話を貰ってビックリ、何処へ行くのかと思ったら吹田の国立循環器病センターだったのでした。

             

11時に地元の駅で待ち合わせ、地下鉄で梅田まで出て、昼食をとってから、阪神の直通特急に乗り、甲子園に着いたらもう試合開始の10分前、昼食時に余分な時間も食ってしまったのかも知れません。

グランドでは整地も終わり最後の水撒き、当日は曇っていたのでそんなに撒かなくてもいいのではないかと思うのですが、水撒きも一種のセレモニーなのでしょうか。

             

対戦は東海大相模VS九州国際大付属、神奈川対福岡なので私としては手に力が入らないのですが、福岡へ帰ったN田君も応援していることでしょうし、私も応援しようかなとは思いつつ、きっと東海大相模のほうがよう打つだろうと思っていました。

試合前のスコアボード、国旗や大会旗も半旗になっています。

             

席は3塁側の特別内野席、一番前列で観るのと、高い所から観るのとでは、見えようが違います。全体的な動きを見るには上段の方が見よいのです。

東海大相模先発の長田選手の投球、立っているところを中心にしていたら、投球すると体は右へずれてしまいますね。

             

こちらは九州国際の先発・三好投手、撮るのに慣れてきたのか真ん中で捉えることが出来ました。

             

打っているのは東海大相模の佐藤捕手、柳葉敏郎の甥っ子だとか、これ五回表の第3打席でホームランを打った瞬間です。この選手の写真を一枚だけ撮ろうと思ってシャッターを切ったら、ホームランを放ったのでした。因みに写真のプロパティのデータは、2011/3/4 13:26になっていました。

             

東海大相模のリリーフ近藤投手、背番号はエースナンバーの1でした。

             

試合終了後のスコアボード、ずっと曇っていて寒い観戦でしたが、試合がとてもスムーズで、焼酎の湯割を買って飲もうと思っていたのに、そんなヒマさえ無いぐらい短時間で終了しました。

                  

スコアボードはオーロラビジョンに切り替わり、グランドを写しています。

          

写真のサイズ上最後に回しましたが、9回裏、九州国際大付属高校の攻撃の場面、この後2塁走者はホームに帰り完封を免れたのでした。

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彦根勤労福祉会館

2011-04-05 05:00:00 | 
やっと春めいてきた先週末、最初の桜の開花を見たのは30日でした。陽の当るところだけ少し咲いてきたなぁと思いつつ、次の日はもう少し咲いていて、このまま順調に行けば今週辺りは満開かと思いきや、土曜日の夕方から又冷え込みが続いています。

その土曜日は天気予報でも夕方から冬型の気圧配置になって、冷え込むと言っていましたが、私がソフトボールの練習を始めた3時ごろはキャッチボールをするだけで汗ばみ、一旦上着を脱いだのですが、トスやノックを終わった後、動いている筈なのに寒いのです。皆上着を着直していました。天気予報も気温の変化まで予想し、しかも当るのですね。

              

さて、彦根勤労福祉会館の食事処『たちばな』、彦根市の市樹が橘であることは井伊神社の項で紹介しました。当日の食事はちゃんこ鍋、普通のしょうゆ味のちゃんこに、塩ちゃんこと味噌ちゃんこの三種類を17人前、一人2時間の飲み放題付きで5000円、他に退職者への記念品代として、退職者以外の人は500円余分に徴収しました。

当日来れなかった人からも厚志が届いており、予算は万全でした。こんなことまで詳しく書いているのは、今年は私が幹事だったから、来年からの参考になればと思っているのです。

厚志を届けて下さったお二方、ありがとうございました。来年の退職者は私一人ですから、是非来てくださいね。

             

途中の様子は割愛、自分も飲んでいたので、写真を撮るということも忘れてました。

今年の例会も無事終了、玄関で記念撮影という段取りなのに・・・いつの間にやら何処かの市会議員候補も一緒になって写真に収まっています。どういういきさつだったのか、私は知りませんが、今は統一地方選挙も始まり、この方達も奮闘されていることでしょう。

             

このY木さんという先輩、名古屋の職場で私の隣に座っていた人でしたが、久し振りと言うこともあってか、来た時からテンションが高く、楽しいけどうるさいなぁと思っていました。

だいぶ酔いが回って道路に座り込んでいます。

             

ここから有志は毎回同様、近くのお店でもう少しだけ、近江の珍味を堪能しました。

毎年、この彦根の地で催しているこの例会ですが、1年おきに大阪・名古屋で開催しようという案も出ていました。そうですね、私もたまには名古屋に行ってみたいと思っています。


             

最後に寄った店の前にこんな人形が二体、どちらもあまりかわいいとは言えません。

4時から始めて2時間の飲み放題ですから、6時には終了、記念撮影して、もう少し飲んだとしても8時には電車に乗って、家には10時ごろには到着するだろうと思っていましたが、先ほどのY木さんが駅で酩酊、とうとう救急車まで出動いただいて、Y木先輩には当日は病院で寝ていただきました。そんなおまけが付いたので、家に帰ったのは12時近くになってしまいました。

翌日昼過ぎ、そのY木さんから電話があり「迷惑かけました」と謝っていましたが、未だ彦根にいるということにはびっくりでした。

3月18日の一日の行動を綴っていたら、なんと今日は4月の5日です。長く引っ張ってきたものと自分で感心しています。

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市街へ帰る

2011-04-04 05:00:00 | 
清涼寺を後にして、彦根の市街地へと戻ることにしましたが、いくらなんでも今まで辿ってきた道を引き返すのは無駄足みたいに思えるので、そのまま南へと下ります。

途中山手に『佐和山城跡』という看板が見えましたが、そちらへ寄っている時間はありません。どうやら龍潭寺の脇を通り抜けるハイキングコースが出来ているようです。

             

清涼寺の入口に設置されたお地蔵さん、バックに煙が見えますが、遠くから眺めた時は地蔵さんから煙が出ているように見え、ビックリしました。


             

清涼寺を過ぎて振り返ります。弁財天の看板まで一直線に道が整備されています。この道の右側にお寺と神社が並んでいます。左の塀は清涼寺の生垣、中は墓地でした。

                  

佐和山城跡への道のり、Aコースが3.2km、Bコースが4.6kmと記されているものの片道なのか、往復なのかが解りません。この位置から清涼寺まで120m、清涼寺kら龍潭寺までが80m、龍潭寺から井伊神社までが30m、井伊神社から大洞弁才天までが330mですが、この330mはずっと登り道ですからチョットエライですね。

             

こんな立て札も見られて楽しいです。三成に過ぎたもののもう一つは何なんでしょう?

                  

彦根から歩いてきて最初に見つけた龍潭寺の看板の際にこのような道標がありました。この道標を見ていたらこちらのコースを歩いたかも知れません。来た時は気付かなかったのです。でもその方が良かったと思っています、このコースを選ぶと弁財天の石段を下ってこちらへ帰って来ることなど思いもよらなかったと思います。

             

彦根の街並に戻って、この日の宴会場『彦根勤労福祉会館』を探しながら歩いていると、旧家風の建物に出会い、そこには『建部伝内墨縁之家』と彫られた碑を発見。如何にも城下町といった風情です。

                  

でも建部伝内って誰?調べてみてもよく分りません。秀吉右筆の書家だったらしいことだけは分りました。

             

続いて『中村商家保存館』の立て札、お酒を造っていた家らしいです。

             

この中村商家と建部云々の家とは、中はどうなってるのか知りませんが、一体の物でした。

                  

調べてみたいと思っても、この日は閉館になっていました。金曜日の昼過ぎだったのにね。

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清涼寺

2011-04-01 05:00:00 | 
2011年度の開幕です。プロ野球は開幕しませんが、センバツ高校野球はやってます。震災復興と冠してサッカーも29日はナイターでやってました。どうも辻褄が合ってないような気がします。

今日からの毎日は、来年のその日はもう今の会社では働いていないといういことを意識しながら過ごそうと思っています。

             

龍潭寺前の広場、弁財天からの道が左に見えています。駐車場は龍潭寺用のものだと思います。駐車場と弁才天からの道の間に井伊神社への参道があります。

             

広場の一角に佐和山城や石田三成、井伊直憲らの説明が書かれた掲示板がありました。佐和山城跡に行きたかったのですが、ここから未だ3~4km歩かねばならないので、時間との関係で諦めました。

             

龍潭寺から南へ少し下ると清涼寺があります。少し下るというより、もうすぐ傍に見えています。

玉石が敷き詰められ、並んだ松も手入れが行き届いていて、大名の屋敷の体が感じられますが、お寺です。

                  

門の前には例の石柱、禅寺なのでしょうね。この清涼寺は井伊家の菩提寺、関が原の戦いで功績のあった井伊直政が18万石で佐和山城を与えられ、その死後1602年に三成の家臣・島左近の居宅跡にこの清涼寺を創建しました。

             

禅堂の前に鮮やかなピンクの梅が咲いていました。

同じ井伊家所縁の寺でも、龍潭寺はやたらと像や碑が建ち並んでいるものの、自然を基調とした雰囲気のあるお寺でしたが、ここ清涼寺は造形美を追求したお寺の雰囲気が漂っているように思われます。

             

角度を変えて・・・バックに建っているのが本堂です。

                  

この樹がすごい、何の樹か解りませんでした。帰って調べるとタブの木というらしい。樹齢500年と言われてますから、このお寺が創建される前から植わっていたことになります。

             

本堂の軒下から境内の眺め、写っているのは庫裏ですが、境内を散策するのは自由ですが、堂内は許可がないと入れないそうです。

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