徐々に夜明けが早くなり、日没が遅くなってきました。そんなことは冬至が過ぎてからはずっとそうなのですが、家を出る前から明るくなってき、家に帰り着く頃に陽が沈んでいくのが見えるようになってきたということです。
マンションのベランダから東南の方角、羽曳野から富田林、河内長野の方向です。
二つの山が並ぶ二上山、古くから信仰を集め、こちら大阪側の麓には聖徳太子所縁の寺と言われる叡福寺があり、むこう奈良側にはいくつもの古墳があります。
堺から松原、羽曳野、太子町を通って葛城市へ至る日本最古の官道・竹内街道が二上山の南を通っていますが、推古天皇の命で造られたといわれるのですから、未だ日本と呼ばれる国は出来てなかったはずです。
私の住んでいるこのマンション、平安時代は未だ海だったようで、ここから2kmほど東へ行くと、往古から陸地であった上町台地に登れます。その高台から眺めるこの山々は途中遮るものも無く、広々とした平野の果てに神秘の山が聳えていたのでしょう。
左の山が葛城山、右の山が金剛山、葛城山は春のツツジと秋のススキで有名です。葛城山へは若い頃一度だけ登った記憶がありますが、金剛山へは1月の末から2月の初めにかけて雪中登山で年に一度は登っていました。冬はシーズンオフで練習もありませんから、丁度トレーニングの再開にはもってこいの場だったのです。
こちらはマンションの廊下から見る西側の日没、丁度お湿り程度の雨が降りそうな時、もう少し早ければ陽が沈んでいくのが見えたのでしょうが、この残照が暗い雲と対照的で何ともきれいです。
方角的には住之江の南港方面ですが、建物がゴチャゴチャしていて、何が何だか判りません。赤い鉄橋は港大橋、南港方面は昭和の後期の新興住宅地、人がいっぱい住んでいます。
右端に少し写っている黒い塊は六甲山地の山、ここから見える先端部が神戸のどの辺りなのか、あれだけ神戸で働いていながらも、よく判りません。
マンションのベランダから東南の方角、羽曳野から富田林、河内長野の方向です。
二つの山が並ぶ二上山、古くから信仰を集め、こちら大阪側の麓には聖徳太子所縁の寺と言われる叡福寺があり、むこう奈良側にはいくつもの古墳があります。
堺から松原、羽曳野、太子町を通って葛城市へ至る日本最古の官道・竹内街道が二上山の南を通っていますが、推古天皇の命で造られたといわれるのですから、未だ日本と呼ばれる国は出来てなかったはずです。
私の住んでいるこのマンション、平安時代は未だ海だったようで、ここから2kmほど東へ行くと、往古から陸地であった上町台地に登れます。その高台から眺めるこの山々は途中遮るものも無く、広々とした平野の果てに神秘の山が聳えていたのでしょう。
左の山が葛城山、右の山が金剛山、葛城山は春のツツジと秋のススキで有名です。葛城山へは若い頃一度だけ登った記憶がありますが、金剛山へは1月の末から2月の初めにかけて雪中登山で年に一度は登っていました。冬はシーズンオフで練習もありませんから、丁度トレーニングの再開にはもってこいの場だったのです。
こちらはマンションの廊下から見る西側の日没、丁度お湿り程度の雨が降りそうな時、もう少し早ければ陽が沈んでいくのが見えたのでしょうが、この残照が暗い雲と対照的で何ともきれいです。
方角的には住之江の南港方面ですが、建物がゴチャゴチャしていて、何が何だか判りません。赤い鉄橋は港大橋、南港方面は昭和の後期の新興住宅地、人がいっぱい住んでいます。
右端に少し写っている黒い塊は六甲山地の山、ここから見える先端部が神戸のどの辺りなのか、あれだけ神戸で働いていながらも、よく判りません。