鈴蘭台近辺を回っている昨今、所々切れ切れに山田町小部という街があり、よそ者である私には何故小部(おぶ)という街があちこちに散らばってるのか、よく理解することが出来ません。
鈴蘭台の外れに有馬街道と呼ばれている国道428号線が神戸駅の前から北上しているのですが、大脇台という街へ赴く途中小部峠という交差点があり、その上を仰ぐと何やら立て札が見えたので、ちょっと行ってみることにしました。
上がり口にも立て札があり、ここから上がるのだということはすぐに判りました。
宝篋印塔と書いてあるので、そう解るのですが、何も書いてなければ私にはよく解らなかったであろうと思います。
下から見えていた立て札は、これだったのですね。
宝篋印塔は2基ありましたが、ハテ?こちらが正面なのかどうかは判りません。
サンスクリット語で何やら刻まれていますが、私には何のことやらさっぱり解りませんが、見る人が見るとどちらが正面なのか判るのでしょうね。
こちらは裏側にあたりますが、石が欠けています。乱世に刀で切り落とされたのかと想像を掻き立てますが、これが裏側にあるので、欠けてない方を正面に持ってきたのではないかとあらぬ想像をしてしまったのです。
宝篋印塔ではありませんが、小さなお地蔵さんも側面に並べられていました。
これ等はどうみても600年も前のものではありませんね。
鈴蘭台の外れに有馬街道と呼ばれている国道428号線が神戸駅の前から北上しているのですが、大脇台という街へ赴く途中小部峠という交差点があり、その上を仰ぐと何やら立て札が見えたので、ちょっと行ってみることにしました。
上がり口にも立て札があり、ここから上がるのだということはすぐに判りました。
宝篋印塔と書いてあるので、そう解るのですが、何も書いてなければ私にはよく解らなかったであろうと思います。
下から見えていた立て札は、これだったのですね。
宝篋印塔は2基ありましたが、ハテ?こちらが正面なのかどうかは判りません。
サンスクリット語で何やら刻まれていますが、私には何のことやらさっぱり解りませんが、見る人が見るとどちらが正面なのか判るのでしょうね。
こちらは裏側にあたりますが、石が欠けています。乱世に刀で切り落とされたのかと想像を掻き立てますが、これが裏側にあるので、欠けてない方を正面に持ってきたのではないかとあらぬ想像をしてしまったのです。
宝篋印塔ではありませんが、小さなお地蔵さんも側面に並べられていました。
これ等はどうみても600年も前のものではありませんね。