ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

勝利判決

2009-01-16 05:00:00 | 社会問題
以前、我社が行っている50歳定年制、応じない者には報復が待っていると告発したことがありました。その記事はココ

昨日、このリストラ訴訟に対する大阪高等裁判所の判決がありました。
我社に対して、原告への賠償命令が出されました。

大阪から名古屋へ転勤させられ、裁判に訴えたすべての人に金額の差さえあるものの120万~40万円の支払いが命ぜられたのです。

50歳以上の社員をその労働者の意思に反して遠隔地に配転するのは、我社の主張するような業務上の必要性など全く無かったと断罪しています。

            

私は裁判には直接係わっていませんが、同じ時期に同じ職場にいた一労働者として、彼らの裁判を応援してきました。

報告集会で前に座る原告者の一人一人との名古屋での交流が、脳裏をよぎります。

会社はよほど驚いているだろうと推測されますが、この判決内容に恥じるのではなく、労働者を粗末に扱い続けていることを恥じて、最高裁への控訴を断念するよう、そして新自由主義から出発したこのリストラと、その主義に基づく評価業績主義賃金を撤廃することが、会社としての生き残れる道だと信じて更生して欲しいものです。

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悼む人

2009-01-15 05:00:00 | 読書
年末以来、平安時代の考証にと『陰陽師』を読み続けているのですが、初版から読むと相当な巻数にのぼり、6巻ぐらいまで読み終わったところで、年末に天童荒太の『悼む人』という小説が刊行されました。

文庫本ではないのですが、この人の本は『家族狩り』以来、見つけたものはすぐに読むことにしています。
私が小説と言うジャンルの本を読むようになったのは、『家族狩り』を読んで以降のことなのです。

坂築静人という青年、亡くなった人を悼んで全国を巡る旅を続けている人間を主題に、静人の母・巡子の病気の進行、蒔野杭太郎というエログロを対象に記事を書くジャーナリスト、夫を愛ゆえに殺してしまって「愛とは何だったのか?」を見つめる奈義倖世と名乗る女性を中心に話は進んでいきます。

静人は他人が亡くなった現場に出かけ「亡くなられた方は誰を愛していたのか」「誰に愛されていたでしょう」「人に感謝されたことがあったでしょうか」という3点を近辺の人に聞きまわり、そのことを心に刻んで悼むという行為を繰り返すのでした。

       

蒔野は最初に登場する人物、静人にジャーナリストとしてインタビューするのですが、悼むという行為に不快さを顕わにします。

巡子はガンを宣告され、静人の妹の美汐の妊娠とも絡めて話は進みますが、ガン患者の末期までよく描かれていると思いました。

倖世は仏様の生まれ変わりと言われる甲水朔也と結婚することになるのですが、朔也に「殺してくれ」と頼まれ、断る倖世に「愛しているなら言うことを聞いてくれ」と懇願され、ついに包丁で刺してしまうのです。それが本当の愛だったのか葛藤するわけです。

この紹介した登場人物が相互に絡み合って、この小説は成り立っていますが、私には静人の『悼む人』というより、愛とは何か、それは執着ということなのか、朔也と倖世の葛藤の方が考えさせられました。

この3連休、釣りにも出かけなかったので、一気に『悼む人』を読み切ってしまいました。天童さんが7年もの歳月を費やして書かれたものを僅か数日で読んでしまったのは、筆者に申し訳ないと思いもするのですが、小説は論文と違って読み易いのです。

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高校ラグビー

2009-01-14 05:00:00 | スポーツ
野球は甲子園、サッカーは国立、そしてラグビーは花園を目指すのが高校球児たちの夢のようです。

私自身、高校時代はサッカー部だったのですが、当時は長居球技場で開かれていた全国高等学校選手権大会を死に物狂いで目指していたわけではありません。

高校時代は狭いグランドでサッカー、ラグビー、野球、ハンドボールが一所で練習していたんですよね。ラグビー部の練習に混じってラグビーの練習をすることはありませんでしたが、ラグビー部の顧問が体育の先生だったので、授業では随分とラグビーを楽しみました。

       

近鉄電車・東花園駅で降りて、運動公園の方へ歩いていて、ふと足元を見るとマンホールにはラガー達が描かれていました。

       

水道栓にも『ラグビーのまち』と記されています。

       

街路樹の植え込みにもわざわざ作ったのでしょう、同じ絵が描かれていて『トライくん』と命名されていました。

       

公園内にはデカい『トライ君』が飾られています。

       

花園ラグビー場は生駒山地が目の前まで迫ってきている所にあります。

       

花壇には何故か季節感の無い『菜の花』が植えられていて、目を引くのですが、空々しいのです。

       

さて、ラグビーの球戯場、正面入口はサイド側(ゴール側)からです。


       

ポール裏からメインスタンド方向ですが、サッカーほどは入場者数はいないようです。

       

反対側のポール側からバックスタンド、高校生の応援が凄いですね。
サッカーのようにゴール裏にはサポーターが陣取ってるというようなことは、ないのですね。

       

さて、試合前の啓光学園の円陣です。気合を入れます。

       

さぁ、激突です。

東大阪といえば工業技術が優れているのが有名ですが、ラグビーのまちという一面もあるし、革新の町としても結構有名ですよね。

関係ないですが、私はラガー党ではありません。ビールはあまり飲まないのですが、飲むならドライ党なのであります。

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大島の地磯

2009-01-13 05:00:00 | 田舎
年末より綴って参りました今回の釣りの話は今日で最後です。

ここは串本大橋の大島に渡りきったところにある、Pです。
向かいは苗我島、谷口渡船に渡してもらって、見えている辺りで釣りをしたことがありました。もうこの橋の工事に取り掛かっている頃で、資材も置いてありました。

この近くから外洋側へ降りれる道があり、地磯として利用されている方も多いとか、樫野に続いてここも調べてみたいと思っていたのでした。

       

私は歩いて来たのですが、大島を走る県道から入って、どうやらここまで車で来れそうです。

何やら立て札があります。

       

なかなかシャレた文句ですし、汚さなければ地主さんも釣行を認めているわけです。

で、この前を通って釣り場へ降りていけるものだと思ってしまいました。

       

そうです、この道を歩いて行ったのでしたが、先は畑でそれ以降、道はありません。
「おかしいな?」と思いながら戻ってくると、なんと反対側に入口らしきものがあるではありませんか。

       

いや、ちょっと気が付きませんね。立て札はここに設置して欲しいものです。

       

道はこんな具合でなかなか坂を下りていく感じではありません。
一人で歩いていると不安になります。

       

竹薮の中にも道が付いていて、風のせいで枝同士がカサカサと鳴り、何か悪さした人にとっては怨霊が出てきそうな雰囲気です。私は何も悪いことはしていないなどと思いながら、進みます。

       

途中、海が少し見える箇所があるのですが、こんな調子だとこの先が急な下りの感じがします。大橋の袂のPに車を停めたので、ここまでかなり歩いています。

       

結局、ここまで来て引き返すことに・・・この先が急なのと、後どれ位歩くのか判らないし、帰ってくることも考え合わせて、ここで諦めたのでした。

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樫野の地磯

2009-01-09 05:00:00 | 田舎
水仙を見ようなどと酔狂なことを考えたのには、理由がありました。
以前この小さなワンドの見える橋の横に降りれそうな道があると記しましたが、そこを降りてみたかったのです。

       

幅1mもない道を降りて行きます。左手にワンドが見えます。
5分も経たないうちに下の岩場まで降りることが出来ました。

            

濡れていると滑り易いかも知れませんが、この日は楽に通れました。

       

岩場から樫野漁港を眺めると、釣りをしている人が覗えます。
樫野漁港は一番奥の崖の手前にあります。

       

ホラね。この人は渡船利用なのか、地磯狙いなのか、この日の前日はこの串本大島で釣り人が波にさらわれて亡くなっていたので、渡船屋は警戒していたでしょう。

駐車場への帰り道、この磯に降りれそうな道は無いかと注意して見てましたが、降りれる道は無さそうでした。

       

こちらの先端部分、阿野木漁港よりドン深なので冬でも期待できそうです。

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樫野埼の水仙

2009-01-08 05:00:00 | 田舎
いつまで釣ってもコッパばかりの冬の阿野木漁港の地磯でした。
早めに切り上げて、樫野の灯台に咲いている筈の水仙を見に行くことにしました。

       

最初の写真は太平洋側のもの、割ときれいに咲き揃っています。
こちらは内海側ですが、数十メートルしか変らないのに、風でなぎ倒されたようになっています。

       

昔は広場全体に咲いていたように思っていたのですが、灯台の手前でだけ咲いていました。

       

よくよく見ると水仙という花はおかしな容の花ですね。
私は鼻が利かないのか、あまり香りを楽しむことが出来ませんでした。

            

この赤い実のなっている大きな木は万両でしょうか?こんなに大きくなるのかな?
兎に角見事な実を付けています。

樫野の駐車場で見つけました。

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釣り場の花

2009-01-07 05:00:00 | 田舎
阿野木漁港で咲いていた花です。漁港と言うより岩場です。

       

何故斯様な岩場で花が咲くのか・・・植物の生命力には驚かされるものがあります。

       

土らしきものは何処にも無いのですが、不思議ですね。
よくコンクリートを突き破って咲いている花はありますが、コンクリートの下は元々土ですから、さほど驚きはしないのですが、海水は直接かからないとしても岩から芽が出ますかね。

       

何処にピントが合ってるのか判らないような写真ですが、花の様子は判りますね。

       

岩にへばりつくように生えています。

       

よく見るときれいで可憐な花です。

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初詣 Ⅱ

2009-01-06 05:00:00 | 大阪にて
生根神社を出て、南へ直進すると鳥居に突き当たります。

       

これが大海神社、住吉神社の境内にありますが、全く関係の無い神社だそうです。
住吉神社も海の神様ですが、こちらの方がネーミングが海の神様のようです。

       

住吉さんには西から南海電車の住吉公園駅や阪堺電車の住吉駅、東からは南海高野線の住吉東駅から来れますが、私は北から入ったことになります。

       

動くのでピンボケですが、モモも初詣に来た証拠写真です。
おみくじを引くと『末吉』でした。私のではありません、モモのおみくじです。

            

大海神社から西向きに歩くと住吉さんです。だんだん人が多くなります。
ここに種貸社という珍しい社がありました。

       

昔、農民に種を貸していたという慣わしの神社ではありません。商売や子授けの神様だそうです。どうやらここの住吉神社にのみ存在するようです。

       

大きな社ではありませんが、天井には堤燈がビッシリと吊られていました。

       

太鼓橋を渡る人たちで賑わう光景を眺めながら、帰途につきます。

帰りにちょっと寄り道して、近くの生根神社に寄ってみました。

       

ここが玉出の生根神社です。

       

住吉にあるのが本殿、こちらが拝殿という風に分けられているのでしょうか?

       

境内にあった蝦蟇、酒を前にしてさも霊験あらたかな雰囲気です。

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初詣

2009-01-05 05:00:00 | 大阪にて
あけましておめでとうございます。
9日間の年末・年始の休み、我がBlogもお休みを頂いておりました。

今年は年明けから曇り空が続き、初日の出も拝めませんでした。

3日になってやっと住吉神社へ初詣でも行こうかと、モモを連れて2kmほどの道を歩いて出かけました。出かける時は晴れていたのですが、歩いているうちにまた曇ってきて、写真を撮るにもあいにくの空です。

     

人出で賑わう住吉さんより、周りの寂れた寺社のほうが私には似合ってると思い、そのほうの紹介です。

ここは住吉さんよりかなり北側、阪堺電車の東粉浜の駅から一つ目の路地を東に入り、すぐ南へ向かう路地を歩くと、この地蔵堂に行き当たります。

この地蔵堂の沿革が記されていますが、時を経てこの文自体も所々剥がれて読みにくくなっています。

万葉集の歌も三句挙げられていますが、『住吉の粉浜のしじみ開けも見ず 隠れてのみや 恋へ渡りなむ』とある句で思い出したのが、年末の大阪の芸人向けのクイズ番組で、大阪の地名を漢字で書く質問に『こはま』というのがありました。何人答えていたのか覚えていませんが、皆『小浜』と書いており、キダタロー氏だけが正解の粉浜と書けましたが、実は昔この辺りに住んでいたそうです。

上町線の線路を渡り、更に南下するとここにも人気の無い鳥居が佇んでいます。

       

上がってみると天満宮と書いてありました。

       

もうすぐ住吉さんなのですが、少し離れるだけで閑散としています。

       

だけどここは古い神社なのかも知れません。モチノキの大木です。右側にも何やら大木があります。近寄らなかったので何の木か判りませんでした。

            

去るに当たってこの碑です。生根神社本殿とあります。我が家から数百メートル南のところにも生根神社があり、天神祭りの頃には大きな祭礼が行われます。
何がしかの関係があるのかも知れません。

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