2年前にも訪れた廣田神社でしたが、北東部にこんな碑がありました。
兜麓底績碑(中村治部紋左衛門の水利功績の碑)とあり、説明が続きます。
寛永18年の干ばつで灌漑用の水も生活用水も無く、この西宮地域の一帯が困難に陥っているとき、仁川の水利権を主張した中村治部が60mの岩盤をトンネル状に刳り貫いて水を引いたとあり、完成が2年後の寛永20年とあります。
もう干ばつは無くなっていたのでしょうが、その後も水利は続いたのでしょう。
兜麓は甲山の麓という意味ですね。
廣田神社の参道は松並木が続く、昔ながらの地道です。
横にマンションやコンクリートの道路が無ければ、時代劇の撮影にもってこいの場所だと思います。
武庫川にしても夙川にしても、そしてここでも大きな松が沢山残っています。
参道の入口付近ですが、何故か廣田神社のものは社殿にしても鳥居にしても新しいものが多い。参道に比べると時代を感じさせないのです。
これも平成11年建立です。阪神大震災で崩れて再建されたのかも知れません。
こういう写真ではなくて、実物が残っていて欲しいものです。
ここは阪急神戸本線の高架下です。参道の入口から南東に1km弱あります。
ここに古い廣田神社の道標がありますから、昔はこの辺りからが参道だったのではないでしょうか。
兜麓底績碑(中村治部紋左衛門の水利功績の碑)とあり、説明が続きます。
寛永18年の干ばつで灌漑用の水も生活用水も無く、この西宮地域の一帯が困難に陥っているとき、仁川の水利権を主張した中村治部が60mの岩盤をトンネル状に刳り貫いて水を引いたとあり、完成が2年後の寛永20年とあります。
もう干ばつは無くなっていたのでしょうが、その後も水利は続いたのでしょう。
兜麓は甲山の麓という意味ですね。
廣田神社の参道は松並木が続く、昔ながらの地道です。
横にマンションやコンクリートの道路が無ければ、時代劇の撮影にもってこいの場所だと思います。
武庫川にしても夙川にしても、そしてここでも大きな松が沢山残っています。
参道の入口付近ですが、何故か廣田神社のものは社殿にしても鳥居にしても新しいものが多い。参道に比べると時代を感じさせないのです。
これも平成11年建立です。阪神大震災で崩れて再建されたのかも知れません。
こういう写真ではなくて、実物が残っていて欲しいものです。
ここは阪急神戸本線の高架下です。参道の入口から南東に1km弱あります。
ここに古い廣田神社の道標がありますから、昔はこの辺りからが参道だったのではないでしょうか。
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