週末にあの大惨事を引き起こした3・11を迎えます。TV各社は特集を組み、いろんな団体が集会を開きますが、あの大地震や大津波がもたらした被害で悲惨なのは原発事故だったのだと思うのです。日本国は記録されているだけでも沢山の地震や津波を経験していますが、その度に庶民のたゆまない努力によって復興を果たしてきました。でも漏れ出した放射能に対して国民はどう対処すべきかが解りません。とにかく現場に近寄っては身を汚染から守ることが難しい。ともかく超危険な原子力発電を利用するという判断をしたのは、選挙による多数決の判断という点からは、とりもなおさず国民自身だったのですから、国民は自責の念に堪えなければならないと思うのですが、日本人は自分は悪くないと思っているように思えてなりません。東電がどうこうだったという報道がなされ、原発を支持してきた人たちも東電が悪いと思っている。もちろん東電側には重大な責任があるにせよ、騙されてきた自分たち自身も反省しなければなりません。当に『だまされることの責任』はここにもハッキリ現れています。
さて、目指す菩提房王子跡への道、山側は民家、海側はミカン畑が続きます。鈴木屋敷を出て、10分程度歩くと、急な階段のあるお寺に出会いました。下からは何というお寺か分らなかったので、上ろうか上るまいか迷ったけれど、未だ10時を少し回ったところだったので上ってみることにしました。
上ってみると山門に書かれてあったのは右の柱に『時宗 仙臺山 浄土寺』、左の柱に『日限地蔵尊』。日限地蔵は祓戸王子跡へ上った時に、頂上の広場の反対側の道路を降りると紹介しましたが、ここに来てやっとあの時見た地蔵群が日限地蔵であることが分かったのでした。
階段の両側に少し見えている樹はサクラ、もうひと月も経たないうちに咲きだすのでしょうね。
境内に足を踏み入れたところで、振り返って山門を撮ってみました。お寺は小高い丘の上にあり、海南市の風景が一望できます。
丁度山門の扉部分からは映画のスクリーンのように下界が開けるのです。
境内を奥へと進むと膨大な数のお地蔵さん、これを見てやっと朝見た地蔵群であることが分かり、そうして日限地蔵と名のつくのも理解できたのです。いったい何体の地蔵さんがあるのでしょうか。
ガマン強くて、いくらヒマを持て余している身とはいえ、何体あるのかを数えるのはチョットしんどい、無理です。数え始めたらきっと途中で、地蔵さんの位置として何処まで数えたのか、数字として何処まで数えたか、訳が分からなくなってくるんだろうと、数える前に思ってしまうのです。
境内の片隅にあった祠、そんな隅にまで地蔵さんは所狭しと並んでいるのです。いやいやなかなか見事なものだと感心する次第です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます