一昨日の門松の詳細。入場するときは全く気にも留めなかったのですが、帰り際になってしげしげと私の家には無い『門松』というものを見ていたのです。
今日は未だ15日なので松の内ということで・・・
これは一昨日と同じ写真ですが、この写真を見ても、最初の写真を見ても、国旗を飾ってあるのが普通の家と違うなぁと思うぐらいです。
梅なのか木瓜(ボケ)なのかよく判らない花があるのに気が付きますか?
よく見ると造花です。何かの小枝にくくり付けてあるのです。
この旧家の説明には『阪神・淡路大震災以後、姿を消しつつある阪神間の和風住宅のなかで、創建時の屋敷構えをほぼ完全に残す貴重な建物として、平成13年9月に国の登録有形文化財に指定されました』とありますが、昭和初期の庶民の家がこのような立派なものであったであろうはずもなく、文化財に指定した当時の国家がどういう基準で政を行っていたのかということを図らずも証明している形になっています。
向かって右の門松には白い花。紅白の梅を表しているのでしょうか?
見た目にこだわり過ぎて、風情・風雅というものを感じさせない旧家です。
登録有形文化財と言うと、個人で所有しているのではないよね、造花の花といい日の丸といい梅は咲いてなくてもいいの、咲いたのを使いたかったら年末に温室にでも入れとけ!だし、国旗は掲げてこそ国を敬う気持ちのようなものだと(私ははっきりした国粋主義ではないけど)
足元で揺れる国旗は、歓待の意味とはとれないような気がします。きっと、この古いように見えない庶民の家とも感じられない家を指定した人のいい加減さが、如実に表れたもんじゃないかしら?
このあたりでは門松にしめ縄付けるのねぇ・・
ちのとさんは『はっきりした国粋主義者』でないとしたら、『はっきりしない国粋主義者』ですか?あるいは『いい加減な国粋主義者』だとか?
国粋主義は西洋一辺倒だった明治新政府に対して、日本の良さも取り入れよ!と主張した生成期の考え方は理解が出来ますが、日露戦争後は皇国史観の高まりと共に、他文化に対して優越しているという考えに変わり、遂には排外主義、民族主義、全体主義にと変遷しました。この考え方が悲惨な前の戦争につながったのは明らかです。
ですから私は『絶対に国粋主義者』ではありません。なので家では日の丸を掲げたことがありません(住処がマンションという事情もありますが)。反対語は国際主義でしょうか、民主主義でしょうか・・・どちらにしても私はこちらに近い考え方です。民主主義的な考え方を持っている人は日の丸を掲げないと言っているのではありません。言葉というのは難しいものですね。