滝山町への南北の道を登っていくと、途中東西に流れる川を超えていきます。東は夙川から始まって住吉川や石屋川、都賀川、西郷川などを紹介してきましたが、どれも南北にほぼ真っ直ぐな川でした。
兵庫区に来るようになって土地勘が働かないのですが、どうも神戸の地で東西に流れている川というのが、不思議な感じです。
この川の隧道の上は会下山の街並み、レンガ造りの隧道の出入り口の真上に白く見えるのは、会下山公園への階段です。
会下山町に通っているときは気が付かなかったのですが、途中にこのような案内板があり、会下山越えのタイトルがついています。これで見ると、東へ400m歩くと湊川公園になっていますが、この地点から湊川公園まではもっとあるような気がします。
こちらは小山町から降りてきたときに突き当たった川、形状からして先ほどの川の上流のようです。
橋の欄干には『川湊』と通常とは反対からの字が書かれています。ですからこの川は湊川なのです。湊川神社や湊川公園など紹介しましたが、実際に湊川という川が存在するのですね。
橋の上に見えていた赤い家のようなものがこれ、湊川隋道と書いてあります。川のトンネルの上に又トンネルを掘ってあるのですかね。
この案内板の説明を読んでいると、明治34年に湊川を付け替えた時が湊川隋道(会下山トンネル)で、震災前から増幅するなど補修を進めていたのを、震災での崩落などを契機に一気に2倍以上の断面積で新湊川トンネルに付け替えたそうです。
全長682m、会下山の下を通っているようですが、戦争当時には防空壕としても利用されたのではないかと思います。
湊川随道の保存会の募集、周囲を赤レンガ、底面は御影石で造られたこのトンネルは完成当時(1901年)は世界最大の河川トンネルだったとか、日本の土木史上貴重なものでそうです。トンネル内の一般公開もあり、ギターやオカリナ、三味線や民謡、クラシックから吟詠まで多彩な催しも同時に開催されているようです。
兵庫区に来るようになって土地勘が働かないのですが、どうも神戸の地で東西に流れている川というのが、不思議な感じです。
この川の隧道の上は会下山の街並み、レンガ造りの隧道の出入り口の真上に白く見えるのは、会下山公園への階段です。
会下山町に通っているときは気が付かなかったのですが、途中にこのような案内板があり、会下山越えのタイトルがついています。これで見ると、東へ400m歩くと湊川公園になっていますが、この地点から湊川公園まではもっとあるような気がします。
こちらは小山町から降りてきたときに突き当たった川、形状からして先ほどの川の上流のようです。
橋の欄干には『川湊』と通常とは反対からの字が書かれています。ですからこの川は湊川なのです。湊川神社や湊川公園など紹介しましたが、実際に湊川という川が存在するのですね。
橋の上に見えていた赤い家のようなものがこれ、湊川隋道と書いてあります。川のトンネルの上に又トンネルを掘ってあるのですかね。
この案内板の説明を読んでいると、明治34年に湊川を付け替えた時が湊川隋道(会下山トンネル)で、震災前から増幅するなど補修を進めていたのを、震災での崩落などを契機に一気に2倍以上の断面積で新湊川トンネルに付け替えたそうです。
全長682m、会下山の下を通っているようですが、戦争当時には防空壕としても利用されたのではないかと思います。
湊川随道の保存会の募集、周囲を赤レンガ、底面は御影石で造られたこのトンネルは完成当時(1901年)は世界最大の河川トンネルだったとか、日本の土木史上貴重なものでそうです。トンネル内の一般公開もあり、ギターやオカリナ、三味線や民謡、クラシックから吟詠まで多彩な催しも同時に開催されているようです。
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