ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

中上健次生誕の地

2011-08-29 05:00:00 | 田舎
12時の昼食時間に有馬の地で食べ損ねたので、新宮まで戻って昼食をとることにしました。新宮のことはあまりよく知らないので、以前訪れた徐福公園の近くの小さいオークワに車を停めて、食事するところを探します。

この辺りはJR新宮駅の前、東の方にあたりますが、何も無いところですね。商店街を歩いても人も閑散としていますし、食事するようなところが見当たりません。1軒お好み焼き屋がありましたが、お好み焼きは家で食べる方が美味しいと思っている私、入る気にはなりません。

徐福公園の近くに中華料理屋があったので(そこしか無かった)、イヤイヤながらそこで昼食をとることにしました。

             

駅前広場に立つ踊りの像、奥には焼き鳥大吉も見えていますが、昼はやっていません。そうそう夜だけ開いていそうな店はたくさん有ったように思います。

駅前の案内板を見ていると、踏切を越えた近くに中上健次の生家があり、更に天然記念物・浮島の森、丹鶴城址と近々にあったので、訪ねてみることにしました。勿論歩いて。

             

踏み切りを越えるとすぐに何か書いてある碑があったので、すぐに見つかったやんと思ったけど、近づいたら全然違う碑でした。

1911年、大逆事件で犠牲になった6名の方々の名前が刻まれています。1911年というと丁度100年前、『熊野独特の進取の精神や反骨の気風の中で、平和・博愛・自由・人権の問題においてむしろ時代の先覚者であった』と誉めそやしています。でもそういう気風や精神が熊野地方に根付いているかと問うと、何やらそうでもないような感じを受ける私です。

                  

『志を継ぐ』と刻まれていますが、白っぽくて読み辛いですね。

大石誠之助、成石平四郎が死刑、高木顕明、峯尾節堂、成石勘三郎、崎久保誓一が無期懲役の刑を宣告されましたが、『太平洋戦争後、自由思想弾圧のための国家的陰謀である真相が判明、彼等はその犠牲者であった』と憤慨しています。

『熊野に生きる我々にも当然受け継がれるべきもの、受け継がれなければいけないものと確信する』と結んであります。全くその通りでありますが、新宮に住む人でもこの碑を知らない人の方が多いのではないかと思えてなりません。

この碑の設立者は『大逆事件の犠牲者を顕彰する会』となっていますが、そういう組織って未だ存在するのでしょうか。

             

違う筋に中上健次の生家跡がありました。エライ狭いところに住んでいたものです。

1976年、『岬』で第74回芥川賞を受賞、戦後生まれで初めての受賞だったそうです。

氏の『枯木灘』を読んだけど、背景や登場人物など細かくは描かれてはいるものの、新左翼運動への参加の経験もあるらしいのに、どんな立場に立っているのかがよく分らない、貧しい者の立場に立っていそうで、それを明らかにしていないところが私の不満であり、氏の他の本を読もうという気を起こさせない原因なのです。

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