ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

吉野ヶ里遺跡 北墳丘墓

2012-07-09 05:00:00 | 

この旅行中に訃報が1件届きました。子供が学童保育に通い始めた頃からの付き合いなので30年近くに及ぶ友人です。旅行から帰ってから線香の1本でもと霊前に詣りましたが、考えてみれば長男が共同保育所に入所した時の同期で、お父さんは私と同じ名古屋のビルで一緒だったI下氏の奥さんも去年の暮れに亡くなったのでした。そして子供は私の子より少し下ですが、共同保育所から学童保育所へと同じコースを歩まれたI葉氏の奥さんも先月入院、いずれもガンです。I葉氏の奥さんは江住の出身で串本高校へ通っておられました。江須崎近くに家がありましたから、駅までは相当遠く、2時間に1本しかない汽車に乗るのにたいへんだったとか話をしていました。もう私自身もそういう年齢に達しているのだという自覚は必要なのでしょうし、学童保育関係で立て続けに犠牲者が出れば、仲良くなった人たちの中では次は誰だと言う疑心暗鬼も起こるのも当然です。

入院中の奥さんは放射線治療を始めるにあたって好きな音楽を聴いていたいということで、私にCDを作ることを依頼されたので快く引き受けましたが、希望するCDを全て持っているわけでもなく、ネットで配信を受けたりしましたが、CD1枚分の配信を受けると結構な金額になるし、1曲づつ配信を受けるのも割高なのですが、1回目のリクエストは何とかクリア。2回目を作るにあたってはTSUTAYAで借りることにし、家に2枚もあるカードの内の1枚を持って雨の降る中を借りに行ったのですが、店員は本人でないと貸さないと言うのです。本人であろうと無かろうとオマエ自身には関係ないやろ!と言葉には出さずに、家に同じカードなど3枚も要りませんからこちらから断って帰り、“ネットで借りてポストへ返却”と言うサービスを利用することにしたのですが、1ヶ月無料というこのサービスなら放射線治療が終わるまでには1ヶ月もかからんだろうと、1000円儲け損ねたTSUTAYAの店員を笑ってやりたいのですが、そこは敵もさる者、リクエストしたCDをなかなか送って来ないのです。

             

さて旅の続き、主祭殿を後に奥へと進みます。吉野ヶ里遺跡のメインテーマのもう一つは『墳丘墓』です。墳丘墓は古墳の一歩手前の埋葬方法と言えそうです。確かに時代は弥生時代後期から古墳時代へと進むのですから、そういう観点から見ても古墳の前代物と見ることが出来ますが、墳丘墓というのはまだまだ豪族の首長一人だけの墓ではなく、何代にも渡る有力者が次々に追加埋葬されていることから古墳とは考え方が全く違っているのです。ただ土を盛って外観からも威圧感を与えているのが共通点でしょうか。

             

手前から祠堂、立柱、墳丘墓と並んでいますが、実は主祭殿から北へ一直線に並んでいるのです。

             

立柱の左にある土の道は西の方から環濠を渡って通行する墓道だと説明されています。

             

北墳丘墓の中に入ることが出来ます。甕棺が発掘された当時の状況を残すかのように展示されています。

             

これは模型、こうやって手足を折り畳んで埋葬したのです。身体と頭部の二つの甕によって葬られています。

             

墳丘の頂部から縦に2mほど穴を掘り、その壁に横穴を掘って甕を据え、死者を埋葬したと説明がありましたが、この写真を見てもそれが事実なら、造られた墳丘は高過ぎることになります。この展示場が墳丘墓の内部ですから、天井の上に土が盛られているのであり、頂部からなら5~6mはあるのではないかと思うのです。

             

墳丘墓と立柱。

             

立柱と祠堂です。いずれも西側から撮ったもの。

             

鳥の人形の無い門もありました。

帰りは園内バスに乗ろうと思っていたのに、僅かな差で最終バスに乗ることが出来ず、来た時と同じコースを歩いて帰られねばならない宿命になってしまいました。

             

当時の丸木舟の復元でしょうか、でも何故水辺でもないこんなところにポツンと置いてあるのか、そこらのことがうまく理解できません。

             

これらのパンフレット、あるいはリーフレットは北墳丘墓で勝手に取ってきたもの、盗んできたのではありませんよ。配ってないだけで誰が取っても構わないようになっていたのです。こういうものを頂くと非常に勉強になりますね。去年の10月に『吉野ヶ里と出雲王国』という記念フォーラムが開かれていますが、その時のレジュメまでありました。結構行ったつもりになります。所謂『魏志倭人伝』を何の説明も無く通読したのも初めてのことでした。

             

公園内の所々に植わっていた合歓の木、ピンクの花が遠くから見るときれいなのですが・・・

             

近寄ってみるとそんなにきれいな花ではありませんね。

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6 コメント

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Unknown (やま)
2012-07-09 22:13:59
ぼんくらさん、吉野ヶ里、楽しませて頂きました。。私個人としては、縄文の時代のartの方が好みなんですが、戦いに明け暮れた弥生の頃に眼を背けていたきらいがあります、しかしながらこれだけの壮大な設備はすばらしいですね。。
合歓の花、今にも躍りそうで語りかけて来そうで、enjoy。。。のきわみ。。。
写真では合歓の花、とてもきれいですよ。。初めて見ました。。。
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Unknown (N田)
2012-07-09 22:39:52
元気ですか、九州の旅ブログも3分の2ぐらい消化したんじゃない?、後少し頑張ってくださいね、福岡編はそろそろ終わりですか、鹿児島編を期待してます。
九州は梅雨被害が大変でしたが、もう何日かで空けそうです。これから北上しますので警戒要ですね。
日曜日に大阪西成区の模様を偶然テレビ見ました。橋下市長も出てて、大阪事情が大変なのを目のあたりに感じました。
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まだまだでっせ! (N田君へ)
2012-07-10 09:24:04
君は鹿児島に2日居ただけやけど、私は4日間も居ったのです。今までの倍はかかるでしょうね。

大阪は土曜日の昼からはずっと晴天が続いています。もう暑くて大変です。

日曜日は朝からソフトボールで、その後ずっと飲んでましたからテレビは見てません。その前の日だったか、古座川の様子をNHKで放送していましたよ。
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Unknown (やま)
2012-07-12 00:04:55
合歓の花、訴えてくるものがあり、やはり私は好きなんですね!!!
キャノンのプリンターでプリントしてみました
すばらしいよき出来映えです。。飾っています。。悪しからず。。
さしずめ、ヘンリールソーが見たら、決つと描きたいと思うだろうと思ったのです。。。
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芸術家なんですね (やまさんへ)
2012-07-13 11:32:39
でもアンリルソーじゃないですか?あの夢の中を描いたような絵を描く人?かと思います。

3072×2304の原画をお送りしましようか。必要ならメールアドレス教えてください。
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Unknown (やま)
2012-07-14 12:05:26
ぼんくらさんへ、

折角のお心ですが、プリントアウトをしたのがとてもきれいで。。部屋に存在感を示しています。あれで充分ですので、お心、ありがとうございました。。
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