goo blog サービス終了のお知らせ 

ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

水間寺

2012-01-12 05:00:00 | 大阪にて

新年が明けて三日目、前夜は明日何処かへ行こうと思っていたのに、飲み過ぎたのかあまり出て行こうという気も無く、ダラダラしていても仕方ないので、餅まきがあるという貝塚の水間寺に行ってみようということになり、昼前に家を出て南海電車に乗り込んだのでした。

南海電車では難波方面へはよく出かけるものの、近頃は和歌山方面へは殆ど利用したことがありません。和歌山方面へ行くなら限って釣りであり、行くなら車ということになりますし、去年串本からの一時帰宅の往復はJR利用でした。車窓から何十年振りに眺める沿線界隈は、浜寺公園近辺を除いて殆ど景色が変わってしまっています。逆に言えば浜寺公園辺りはあまり昔と変わってないということになり、車窓から見える公園の松の木がよく残されているものだと感心せざるを得ません。

貝塚駅で乗り換え、水間鉄道というおそらく初めて乗る電車に乗り換え、目的の水間観音駅まで山の方へ9駅もあります。

                  

水間寺に到着すると参拝の人々がひしめき合ってゆっくり辺りを見ているような余裕がありません。境内の参道もテキヤの店が所狭しと並んでおり、いくらお寺の金儲けとはいえ、ちょっと出させ過ぎじゃと思うのです。駅からの沿道には所々にしか出店はありませんから、こんなことならお寺の方ももっと考えてもらわねばなりません。

金儲けと言えば、この水間観音も商売繁盛の神様らしいのですが、お寺なのに神社のように柵をして、賽銭を投げてもらうようにしていました。

とにかくゆっくり写真を撮ってるヒマもないのです。

             

皆が皆餅まき会場へと歩くので、それには逆らわず、境内を一旦外へ出て第二駐車場へと歩くと、もうそこには人がいっぱい、紅白の幕を引いた壇上には餅まきの(たぶん年男・年女ではないと思う)人が並んでいました。目立ったのが野球のユニフォームを着た若い二人、タイガースのユニフォームとは違うなぁと思いながら眺めていたのでした。左のユニフォームも何処かで見たことがあるぞと思っていたのですが・・・すぐには思い出せません。

このユニフォーム姿の左側、薄緑の法衣を纏った人が年始の有難いお言葉を10分ほど述べました。延暦寺の偉いお坊さんだとかと言うことで、今年の干支の辰にまつわるお話でした。辰の語源をひも解いて「ふるう・ふるえるとか整うという意味が」あるそうな。ちょっと60歳にして初耳ですなぁ・・・やはり坊さんはこのようなことをよく知っておられる。ふるう・ふるえるを唇という文字からの説明でしたが、確かに辰の下に口を書くと唇であり「くちびるがふるえる」とも言うし、地震の震は震えると読みます。

他に部首に辰がある漢字は“農”“振”とか“娠”“辱”などを思い出します。魚偏に辰って字はあるのかな?あれば何と読むのでしょう、タツノオトシゴかな?

             

その後餅まきをする人の紹介がありました。最初にまずユニフォーム姿の2選手、右側はヤクルトスワローズの川端慎吾選手だそうです。日本シリーズはTVで観たし、大阪ドームや甲子園にもヤクルト戦は行ったはずですが覚えてません。あんまりにっくき奴ではないみたい、ということは活躍してないということでしょうか。

左側は京都アストドリームスの川端友紀選手、昨季の打率は4割を超えたんですと、凄いけどこちらも全然覚えていません。去年はベイコム球場には1回しか行けなかったし、行っても何となくスマイリーズ側の応援をしてるし、殆んど居酒屋に飲みに行ってるのと同じなんでね。2年目の去年はスマイリーズの選手が凄く上手になったのには驚いたけど、ドリームスの選手の守備はエラーが多くて上手になったとは思わんかったもんね。

ところで、なんと二人は兄弟だとか、なかなか仲も良いようです。水間寺のある貝塚市の馬場出身なんですって。うーん、今年からはもし女子のプロ野球を観に行くことがあったとしたら(定年前に京セラドームで試合があったはず)、スマイリーズの各選手よりもかわいいし、川端選手に注目しようかな。

             

この人はミス水間鉄道だって、この沿線にはあまり美しい人はいないのか、山の麓ですがでも住宅は結構多いんですよ。紹介された他の人は無視、でも水間鉄道の社長ってまだうら若い女の方でしたよ。

             

全部で3000個投げたそうですが、遠くへ投げれるのはプロ野球選手ばかり、あとの人はもっぱら足元へしか放れません。ボールなら自分ところへと飛んできそうな餅は、失速して前で落ちてしまいます。ようやく自分のところへ落ちてきた餅をキャッチ、福はあるのかな。

             

餅まきが終わると、もう何の興味もないというように急いで引き上げる連中、坂道なので危ないと叫び続ける警備員、人の収まるのを待っていると、遠回りになるけど右側からも帰れる道があるとの案内、そちらから帰ることにしました。

             

道に出た途端に開けた視界、貝塚の山裾の街並みが遠望できます。“お”か“秀”みたいな文字が大きく書かれた館にはおそらくだんじりが入っていると思います。岸和田市の隣の市なので、岸和田ほど有名ではなくてもだんじりは盛んなのでしょう。

             

途中餅まき会場からの直通の道の下に出、撮っておきたかった行基堂も見えました。延暦寺のお坊さんが述べておられた話に行基が出てきます。聖武天皇に都の南西の方角へ徳の地を探すよう求められた行基は16人の童に導かれてこの地にやって来、そこで行基を待っていたという手に龍を持った老人に出会います。老人は自らの手を切って行基に渡して息を引き取りますが、行基は老人を手厚く葬ってこの地を聖地としました。その手に持った龍がまだこの水間寺に現存するというのです。いつでも見ることが出来るというのですが、この人混みでは見たくても叶うことではありません。            

                  

またヒマな時にでも車で来てみようと思い直し、三重塔を後にして、水間観音駅まで帰ったのでした。

             

水間観音駅のホーム、正月三ヶ日だけが少し混み合うのでしょうか。それでもたくさんの人が乗って、押すな押すなと混み合ってるというような情景はありません。

             

こちらの赤い色が主体の車両は昔使っていた車両なのでしょうか。今はステンレス製の車両を2台編成で3つの列車が真ん中の名越駅で交差するようになっていて、行き交いしています。

             

20分に1本の運転数、紀伊姫駅のあるきのくに線よりずっとマシです。

             gooリサーチモニターに登録!


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。