わざわざ帰り道のことまで記事にしなくてもいいのではないかとお思いでしょうが、実は新しい発見が2つあったのです。
歩いていて気持ちの良い山道、川側にはサクラの木が植樹されている箇所もあり、3月末に歩けばまた違った趣を感じることでしょう。
この山道を歩いていると、しきりにカゲロウトンボが前を飛び、道は1本しか無いのにまるで道案内をしてくれているようです。単に人間から離れたいだけなのでしょうが、一度に長い距離を飛べないせいかちょっと飛んでは止まり、またちょっと飛んでは止まることを繰り返すのでそのように見えるのでしょう。
下って来ると川越えにかすかにガードレールが見えます。おそらく重畳山への道だと思われます。樫谷川に沿って左右に道が造られていることになります。明日はあの道を歩くんだという気持ちが既にあるのです。
40分程度でよきとぎ橋に帰着、この写真は橋の上から下流方向を撮ったものです。辺りを見回していると、前日何も無かったところへ行った道から河原へ降りることができそうなので降りてみました。
そこには水がありません。滝からの水といい、このように途中で枯れてしまっている水といい、どういうこっちゃ?と首を傾げたくなります。
ここで水は止まっているのですが、上から流れてきているはずの水はどうなるのか、ここで水が地中に浸み込んでいってるのか?それなら河原は不要な筈です。まぁ大水が出た時にはここも水が流れているのでしょう。
こちらは樫谷川、手前には水がありますが、その向こうは水が流れてきている風ではありません。一体川というのはどうなっているのか、古座川などを見ている限りこんな不思議さは考えられません。
奥が樫谷川、左が先ほどの河原なのですが、この地点から水が流れ出しているのが分かります。山って不思議なものですね。
ここが姫川の集落の最後の家、左奥の家は誰かが住んでいそうですが、右の家は誰も住んでいる気配はありません。未だ11時前だったので帰るには早すぎると思い、久し振りに姫川の集落を通って帰ろうと思ったのでした。
発見の一つはここ、氏神社への道です。5年前の秋に氏神社を訪れていますが、その時分は川に架かる橋は細い板の橋でした。バランスを崩せば川に落ちてしまいそうな橋が、コンクリートの橋に変わっています。土の道だったのもコンクリートに変わっていますが、この神社を訪れる人が増えたからなのでしょうかねぇ。
古座・串本たんけん絵地図という何処が発行したのかはっきりしない手書きの地図がありますが、その地図にはこの地蔵さんを“道標地蔵”と紹介しています。
道標地蔵の傍に道標があるのですが、橋杭岩まで2kmと示されています。時刻は11時16分、家を出てから2時間以上歩き続けているので、もうそろそろ家に着きたいのに、未だ30分も歩かねばなりません。
途中1軒、新しくモダンな家が建っていました。ここなら津波に襲われる心配はありません。
道標地蔵から15分歩いて、前述の地図に“辻地蔵”とあるお地蔵さんです。たんけん絵地図はこんな平凡な田舎道まで紹介しているのです。でもこの辻地蔵のある道路は大辺路です。
辻地蔵から西の方向、この道を行けば袋に出ます。
さてそろそろコースも残すところ僅かといったところで、以前は無かったものがデーンと置いてありました。
車輪はありませんが、災害用備蓄車と書かれています。それも姫区のものらしい。10号車とまで書いてありますから、他にも最低9つはある筈ですが、こんなのを見るのは初めてです。こういうものが置かれているということは、姫区が津波に襲われるという想定のもとなのですね。
さて、やっと最後の下り坂、紀勢線の線路も42号線も見えてきました。家に着いたのが丁度12時、よく歩いたものです。