姫の集落から野池を超え、峠を越えるとすぐに姫川の集落に出ます。家から野池まで7~8分、野池から峠まで6~7分、15分もあれば十分に姫川まで到着です。でも東南海地震による津波は3分後には襲って来るらしい、夜中で寝ていようものなら何処まで逃げれるのか、そこを考えると高台に住まいを移すほかはないのかも知れません。
姫川の集落の最初の家、峠から1分です。峠に居ても鶏の鳴き声が聞こえてきます。
ここのお家では鶏を飼っていて、よく見ると上段の小屋の鶏は羽の色が白で、きっとあれは烏骨鶏(ウコッケイ)だろうと思います。
この家を過ぎるとすぐに分かれ道、ここは分かります。左へ行けばくじの川の集落、熊野古道の大辺路を通って、西は袋、東は橋杭へと出ます。なので当然右の道を歩きます。でも初めて歩く人には不安でしょう。
氏神社を左に見ながら重畳山を目指します。
天気は上々、後から思えばこの日重畳山でも風吹山でも登っておけば良かったと思った結果となってしまったのですが、そんなことここでは分かろうはずもありません。
最初の家から10分ほど歩いて橋に出会います。橋には『よきとぎ橋』『姫川』と書かれています。“よきとぎ”とは何でしょう?夜伽とは違うし、きっとよきとは斧のことでそれを研いだ所という意味だろうと思います。そしてこの川は姫川なのでしょうか?姫の天満神社の横を流れる姫川は野池に到達する前に無くなっています。この川はくじの川に繋がっているので姫川ではないと思うのです。
川を渡ると向こうで道が分かれています。
はて、ここでどちらに行こうかと迷います。重畳山はこの位置より右にあるはず、でも左をとれば橋がかかっています。橋は人間が意図的に作ったもの、なので橋の方へ歩いて行きました。
すると50mも行かない所でまた分かれ道に出会います。ここでもどちらを選ぼうか迷います。結局、川に沿って歩けば姫川の滝に行けるのではないかと思い、またまた左のコースを選択したのでした。
暫く歩くとこんな木に出会いました。姫の天満神社の御神木と書いてあります。お的って何か知りませんがそれ用の松の木です。御神木の割には粗末に扱われているような気がします。
このような杉並木の山道をひたすら歩きます。
所々でペンキでヒメ区と書かれた木を見かけますが、何の意味があるのでしょうか?縄張りを示しているのか、山のことはよく解りません。
橋を渡ったところの分かれ道から20分ほど歩くと、また分かれ道です。ここでも迷いますが、川は左の道に沿って流れているし橋があるので、またまた左の道を選びました。
10分ほど歩いて気が付くと、いつの間にか川が無くなっています。これでは滝に着くわけがありません。道は続いていましたが引き返すことにしました。
川はこんなところで途絶えていました。途絶えたというより、ここから始まってるのですね。でも水がコンコンと湧き出ているわけではありません、どのようにして水量が増していくのか不思議です。
3番目の分かれ道に戻ったので、これを左に行くことにしました。右へと行けば元に戻るのです。
ここでも獣を獲る罠が仕掛けてありました。
でも入り口が閉まっていて、中には獣はいません。今は使用していないのでしょう。
分かれ道から10分ほどで行き止まりに、周りには私の背より高いゴンパチが生えていました。
こちらの道沿いにも川が流れており、その川も途中で無くなり、何処が起点なのかと探しました。
途中聞こえた川のせせらぎやウグイスの鳴き声をお聞かせします。
行き止まりの地点から引き返して40分で『よきとぎ橋』まで戻って来ました。9時に出発して2時間経過、もう11時を回っているので昼食のために家へ戻らねばなりません。ここから家まで30分はかかるでしょうし、こんなところでは食堂などある筈もありません。
茶摘みをしている人を見ながら歩いていると、朝ここを通った時に挨拶をした人が「何処へ行って来たんな」と声をかけるので、「左へ左へ行ったら、行き止まりでした」と答えると、「重畳山やったらすぐそこの橋を渡ってを右、その次を右へ行ったらお滝さんや」と教えてくれました。
「また今度行きますわ」とお礼を言って別れましたが、「あんたの姫からやったら1時間半ぐらいや」と言われ、私の家を知ってるのか!?と思ってびっくりしたものです。
姫登山道の案内板を掲示したのなら、途中の分岐点にも案内板を設置しないと私のように迷うことは必定です。地元のオジサンに案内役を任せているようではいけません。
野池まで降りてきて、ふとセミの声を耳にしました。セミを見たわけではありませんが、セミのように鳴いています。でも少し濁声模様、セミではないかもしれませんが、季節外れの鳴き声を聞いてください。