ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

ホークスのユニフォーム

2008-07-08 04:50:00 | 大阪にて
7月2日の京セラドーム大阪、オリックスVSホークスの試合です。
当日になって長男が行こうというので行ってきました。

やはり大阪での3塁側応援席、ダイエーでもソフトバンクでもなく、南海ホークスのレプリカを着た人が沢山います。

19番は山内孝徳、最速130Kmを超えられないエースでした。
野村の背番号をつけるなんて、なんとおこがましいことか。

29番は近鉄をクビになって、翌年南海の穴吹監督に誘われてホークスに入団、芽を出した山本和範
この選手はスゴかった(顔も)。ダイエー時代に福岡出身ということもあり、弱小球団を引っ張り、現在のホークス人気の礎を築いたほどの勝負強さでした。
故障して再び近鉄に入団しますが、退団が決まっていた1999年、その年一度も出場機会が無いまま最終試合(福岡ドーム)でスタメン出場、最終打席でその年無敗だった篠原貴行から決勝ホームランを打っています。つまり山本は篠原の勝率10割を阻止したのでした。
ホークスファンは優勝セレモニーのために用意した紙吹雪を引退するカズ山本のために撒き、盛大な山本コールを送ったのでした。

       

19番が野村克也でないのが、昔からのファンなら寂しい話です。

横、71番の杉浦忠監督、手に持ってるのは卵焼器とすりこぎでしょうか。
エエ音鳴らしてました。

       

23番高柳秀樹、国士舘から鳴り物入りで入ったけど、あまり打てんかったような記憶があります。
今は中日ドラゴンズの打撃コーチをやってるらしい。

       

真ん中の22番のハッピは古い、22番は皆川睦雄でした。
私が未だヨチヨチ歩きの頃に入団しています。
1968年には年間31勝をあげて『最後の30勝投手』といわれています。
細く長く投手生活を続けた選手ですが、生涯221勝はホークスの球団記録です。

後に聞いた話ですが、若い頃8番打者に0-3とボールが先行したとき、「どうせ打ってこないだろう」と真ん中に軽く直球を投げたのを主審の二出川延明にボールと判定され、抗議をすると「気持ちが入ってないからボールだ」と一喝されたそうで、このことが無かったら皆川投手は中心選手になれなかったかもしれません。

二出川さんには1度審判教室で教わったことがあります。

       

おっと、伝説のこんな番号も・・・アブさんこと景浦安武。

       

若い女性がこんな人を知ってるとは・・・王監督が不在のときの代行監督、森脇浩司ですよ。まぁ、球界の草刈正雄と言われたほどですから・・・でも、この人ノックの名人だそうですよ。

どの写真もブレてしまってるのが気になります。

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