おはようございます。
優れた人が書いた本や経験談を勉強するのは役立つかもしれませんが、その勉強時間の1ケタ上の職人仕事のような実践が仕事を上手にするうえで必要と私は考えています。熟達した職人の仕事振りを観察し、解析し、知識表現にまとめても、その神髄は表現できないし、いくらロボットが進化しても、優れた経験者の職人のような法医学者や先生の目は実現不能だと思っています。法医学も教育も人間相手であり、個性と個性の衝突でしょう。人はものではありません。肉体も心も個々にしかも時々刻々違うのです。
そんな私は、若い時に千の経験をした人は3千の経験をめざし、さらに歳をとっても1万の経験に挑戦し続ける人の方を信じられるようにもなってしまいました。私が尊敬する80歳代の法医学者のようにです。逆に本やブログを読むと著者の経験の深さが分かるような気がしてきました。空理空論の多い、実践の少ない、表現は立派な先生の論の物足りなさを感じられるようになりました。
私は若い時仕事が好きでなかったためか、会社が経営していた高専講師を兼務させられました。数年間教えました。昔は外されたと思いました。今はありがたかったと感謝しています。
相手は高卒の社員、仕事を終えた後、夜、高専資格を目指す勉強のお手伝いしました。コツコツと輪講資料を勉強してくる人ばかりいましたので、面白く、講師の私も最先端のマイコンやパソコンを勉強できました。
今日はここまでにします。