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新規商品企画の成功学
求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

ネムオロ塾の先生のコメント

2016-06-11 03:49:57 | Weblog

  おはようございます。

 今日は6月7日のebisu先生の記事に関して、お互いに向けて書いた経験談を要約します。この要約が正解かどうか、あまり自信がありません。国語も小説も勉強不足でしたので、皆さんが興味をお持ちになったら、ぜひ元の記事とコメントを読んでください。

 まず元の本文の要約です。根室の教育は危機的な状況にあり、中学生が挨拶も満足にできない、部活漬けで自習しないなどの他の引用記事とお互いのコメントがありました。学生が挨拶できるように、改善策も提案されました。正しい議論だと思ったのですが、その状況になったことがそもそも負けなのだと私は思いました。私は対処より、原因を潰すのが好きなビジネスマンだったし、そうしか考えられないからです。

 そこで私は、日本語を話せる中学1年生なら、成績が真ん中あたりなら、私大の超難関校にも合格するレベルまで中高で伸びる、小学校か保育園や幼稚園の時に家のクラブに時々、大人と混ざり活動するのが条件だと言いました。たった週一2時間の活動で。現実には20分以下の子供へのサービスでです。これに対し塾の素晴らしい先生から、彼は下流社会の人を育てていると自負しているのでしょう。上流社会の話は気持ちが悪いと反論がありました。そこで私は昔の貧乏生活の事例をたくさん書きました。でも、戦後話の理解は戦後の焼け野原の悲惨な東京の実体験をご存知ないと難しいようでした。 

 ですから、他のクラブの例をあげ、私は今の現実の活動を説明しました。私に坐骨神経痛がなければ数倍できるはずですが、今は週に1回、何れかの他のクラブに参加するような、最低線しかできませんが、私は若いお母さん、非正規社員の多そうなクラブに参加させて頂いています。そこでは、親と数回一緒に来ると抜群の成長が見られると言いました。なお私は自由参加の半分部外者のような立場です。私の効果などゼロと思っていますので、バドをしたい気持ちだけで子供は成績も伸びると言いました。私の説明が下手なのでしょう。
 

 戦後の話は単に昔ものの役立たない昔話と理解されたのかもしれません。そこで、私は、グローバリズムの陥穽でこの国は破たんすると切り捨てました。日本全体、根室の子供もグローバリズムの厳しい現実にさらされているのです。昭和20年代の再現になるだろうと。私は短気、ダメな宮本武蔵が売り物の後期高齢者だからです。先生はシチズンシップ教育、日本ではなく本場のイギリスの情報を得て欲しいと思いました。言葉が悪いのは戦後すぐの生まれ、まともな初等教育を受けていません。悪しからず。
 

 ebisu先生はシチズンシップ教育をご存知だったようでした。私の論に賛同いただけたようです。そして挨拶ができて、たくさん遊んで、部活もやって、そして自ら進んで勉強する子供たちが今の根室にもいると言いました。ただしそのような子は根室では中学校のトップクラスになっていると言いました。中高と野球部に所属し東北大へ入った生徒はそういう生徒と想像しているようです。

 要するに私たち二人の結論は、中学校になってからでは手遅。小学校6年間のうちに、たくさん遊んで、自ら進んで清掃し、ちゃんと挨拶できて、家庭学習習慣がついていれば、中学1年からebisu先生に教えてもらえれば早慶クラスの大学には合格できると言うことでしょう。優れた塾の先生なら容易なことなのかもしれないし、学校だけでも可能なことかもしれません。

 私はバドの市民クラブを主宰し、その効果を認識し、他の市民クラブに参加し、気が付いただけなのです。市民バドクラブは、園児や学童に対する、シチズンシップ教育の基盤になると、です。また昔の教育法をネットで勉強し始めました。でも私には役立つことはありません。いつもの繰り返しですので。残念です。南無阿弥陀仏。

 今日はここまでにします。

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小学校時代のすごし方で9割が決まる (ebisu)
2016-06-11 08:34:25
昭和35年ころまでは、何もかもなくした敗戦の影響で国民の大半は貧乏のどん底でした。給食なんてものはナシ、持参するお弁当の真ん中に真っ赤な梅漬けひとつだけという友達もいました。腕で隠して食べていました。お風呂も2週間も入れず頭髪や身体からすえた匂いのする子もいました。頭にたかった虱を駆除するのにDDTという農薬を頭が真っ白になるほどかけられた世代がわたしたち団塊世代です。同じ年齢が250万人もいましたから、遊び仲間も多かった。何もないから外でたくさん遊び、勉強もして競い合ってきました。遊びでも勉強でも競い合ってきたのです。バランスの良かった時代でした。
日本が豊かになったのは昭和30年代後半からです。団塊世代真っ只中のわたしはそういう時代を潜り抜けてきました。koderaさんは4歳上ですから、戦後のほんとうに貧しかった時代を過ごされています。
戦前・戦中・戦後と焼け野原となった市街地を見て、すべてをなくしても生き抜いてきた母は強かった。戦時中や戦後の何にもなくなったときのことを思えば、全財産を失っても生きていける、と笑っていました。落下傘部隊員だったオヤジも生活力が旺盛でした。
そういう時代を見ていなければ、なかなか理解しがたいことがあるようです。
わたしとkoderaさんはそういう共通の原体験があるのでひとつを話すだけで、お互いになんとなくその周辺の10の話を匂いでかぎ分けることができます。世代の違いは大きい、だからこそ伝えなければならないのです。
世代を超えて何かを伝えるとか受け継ぐことがたいへんだいじなのです。
そういう意味で、koderaさんとわたしの間で交わされている会話は、世代の異なる若い人に向けたものです。

社会人になってからでは手遅れ、小学校時代の過ごし方でその後の人生のほとんどが決まるというのがわたしたちの結論です。家庭の躾と地域社会による躾、koderaさんは「シチズンシップ(善良で健全な市民であること)」を育むことを強調されています。
強制されるのではなく、自発的に物事に取り組む習慣を身につけ、それを毎日繰り返して身につけ、性格にまで練り上げた者は強い。大学受験なら早慶以上、職人になってもどの分野でも一人前の立派な職人になれます。自ら進んで労苦が労苦ではなくなる、歓びとなるからです。わたしたちが対話を通じて伝えたいのはそのことです。これが第一のメッセージです。

それほど遠くない未来に、明治維新や先の白人帝国との戦いの敗戦を超えるカタストロフィーが起きます。日銀の経営破綻、政府財政破綻、為替相場の大混乱、国家公務員や地方公務員の半数削減と3~5割りの給与カット、補助金打ち切りによる国公立病院の一斉破綻、預金封鎖による財産召し上げなどが一斉に起きます。
アベノミクスと日銀黒川総裁が引き金を引いてしまっています。経済政策ブレーンの浜田宏一東大名誉教授は50年前の米国マクロ経済学を暢気に日本へ適用し、ことごとく目論見が外れました。
日本は少子高齢化による人口減少社会へ突入しています。50年前の米国経済学なんて使えない代物であることは高校生でもわかる理屈です。ですが、日本の経済学者たちは一人も処方箋を書くことができないでいます。新しい困難な時代には日本の伝統的な価値観に基づく新しい経済学が必要です。
昨年1月に新しい経済学を書き上げて弊ブログのカテゴリー「資本論と21世紀の経済学」というカテゴリーに説明してありますので、興味のある方だけお読みください。ライフワークとしてテーマを決めて30年ほど回り道をしながらアダム・スミス、ディビッド・リカード、カール・マルクスの西欧の経済学を根底からひっくり返しました。日本的職人仕事観で公理系を書き換え、新しい経済学の可能性を探りました。これが2番目のメッセージです。カタストロフィーが生じてからでないと、その重要性が理解できないでしょう。それでもいい、そうなったときにはたくさんの人が読んで、日本を建て直してください。

団塊世代から、次の世代の皆さんへ二つのメッセージをおくります。

koderaさんのコメントは次の弊ブログの投稿欄にあります。
#3320 部活の「休養日」推進(いまさら?とは思うものの) June 7, 2016 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-06-07-1
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