「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2006・06・10

2006-06-10 08:10:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「『戦前』という時代」と題した昭和60年の連載コラムの一節です。

 「昭和五年はいわゆるエロ・グロ・ナンセンスの最後の時代だった。タキシーは『円タク』といって市内一円(ただし当時東京は十五区)だったのが五十銭で、甚しきは三十銭で乗れる時代だった。満州事変はおこったが半年で終った。世間は軍需景気でうるおったがそれはほんの一部で、全体はまだ不景気だった。ネオンは輝きデパートに商品はあふれカフェーバーダンスホールは満員だった。金さえあれば贅沢は出来た。」

   (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
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2006・06・09

2006-06-09 06:25:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「『戦前』という時代」と題した昭和60年の連載コラムの一節です。

 「それは皮肉でも何でもない。大昔からこの世に義戦はなかったのである。これからもないのである。だから互に呼号する正義には関心がない。むしろ個人のほうにある。私は巨大な国家も恐怖にかられたら何をしでかすか分らぬこと個人のようだと見ている。個人の喧嘩は弱いほうから手を出す。まっ青になってふるえているところをみると怖いのだろう。たとえ弱くとも喧嘩上手なら相手を一撃して逃げるところを、逃げないで茫然と立って打ちのめされるのを待っている。
 わが陸海軍は米英と戦って勝つみこみがないのを承知していた、ことに海軍は承知していたという。けれども戦うなら今だ、今をおいては万に一つも勝算はないと手を出したという。
 私は人生は些事から成ると見ている。些事にしか関心がない。些事を通して大事に至るよりほか、私は大事に至りようを知らないのである。幸か不幸か私は戦前を知っている。昭和五年は少年だったから兵馬のことは関心がなかったが、それは少年だからなかったのではなく、もともとなかったとはいま言った通りである。」

   (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
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2006・06・08

2006-06-08 06:25:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「『戦前』という時代」と題した昭和60年の連載コラムの一節です。

 「とはいうものの私は政治と経済のことには今も昔も関心がない。私は『春秋に義戦なし』という教えをうけたものである。だから満州国は傀儡政権だとはじめから思っていた。また鬼畜米英などと言われても彼が鬼畜なら我も鬼畜だろうと思っていた。彼に正義があるなら我にもあろうと思っていた。原爆許すまじといっても出来てしまったものは出来ない昔には戻れないと思っていた。」

   (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
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2006・06・07

2006-06-07 07:25:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「『戦前』という時代」と題した昭和60年の連載コラムの一節です。

 「昭和二十年の終戦からすでに四十年たっている。それなら四十歳までの日本人はみな戦前を知らない。知らないものをだますのはわけはないが、文化人や史家はだましているつもりがない。その時代を経験しながらなお十五年間暗黒だったと信じているのである。確信犯といってかたく信じているものの心を翻すことはできないからそれをしようとは私は思わない。ただ知らないでどっちつかずにいる人たちに言う。」

   (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
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2006・06・06

2006-06-06 06:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「『戦前』というまっ暗な時代があって、それが十五年も続いたという文化人や史家がある。十五年というのは昭和六年の満州事変から数えて昭和二十年までのことだろうが、その間じゅうただまっ暗だったというのは間違いでなければうそである。」

   (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
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オカネ ガ アリマス 2006・06・05

2006-06-05 08:35:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「オカネ ガ アリマスというコラムを書いたことがある。わが国の教育は維新で零落した士族の失地回復運動で、東大さえ出ていれば十人の、百人の、千人の支配者になれると士族の子弟は一家をあげて、東大をめざすこと今日の如くだった。武士は金銭を賤しむ風がある。したがって金銭の教育をしない。
 小学一年生の教科書にカラス ガ ヰマス スズメ ガ ヰマスと書いたら、その次にオカネ ガ アリマスと書け、二年生の教科書にはウリテ ガ ヰマス カイテ ガ ヰマス、三年生にはユウビンキョク ガ アリマス ギンコウ ガ アリマス、四年生にはリソク ガ アリマス、と書け(以下略)。
 オカネ ガ アリマスと書けばいくら一年坊主でも、それは大切なもの、しかし何となくまがまがしいものだと感じるだろう。この世は金で動いているのに金銭についてひとことも教えないのは偽善であり、わが教育の一大欠陥である。
 預貯金すれば利息がつく、ただし一割以上の利息は元も子も失うと教えれば、古くは保全経済会、近くは豊田商事以下の被害者は被害者ではない、ただの欲ばりにすぎぬと、欲ばらなかった人は笑うことができる。」

   (山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)

それにつけても、スズメの涙ほどしか利息のつかない預貯金は預貯金ではない、利息を払わないギンコウなんてギンコウじゃない、ただの金貸しだ、サラ金とおんなじもんだ。モラルもなにもあったもんじゃない。
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2006・06・04

2006-06-04 07:50:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「私は作者のキャリアは詮索しない方がいいと思うものである。読んで感銘をうけたらそれだけで足りる。作者の経歴を知りたくなるのは人情だが、作品がすべてで、本人はぬけがらであり、カスである、私が半分死んだ人だというゆえんである。
 たとえば漱石は兄嫁に惚れていた、それが漱石の作品の謎をとく鍵だと、何かにつけて持ちだされては地下の漱石も迷惑だろう、よしんばそれが発見であったにしても。」

   (山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
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私たちはある国語に住むのだ 2006・06・03

2006-06-03 08:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、平成14年6月の「脚はどうする」と題した小文の一節です。

 「『脱亜入欧』という言葉ならご存じだろう。諸事万端遅れた亜細亜(アジア)を脱してすべて欧米式にしたいというほどのことで、明治百年はその試みで、明治六年アメリカ帰りの森有礼は日本語を廃して英語を国語にせよとまで言った。
 冗談じゃないとお笑いかもしれないが、この説は実はまだ有力なのである。国語審議会にながく巣くっていたカナ文字論者、漢字制限論者、ローマ字論者などは結局はその支持者である。近く小学生の国語の時間を削って英会話の時間をふやす、英語を第二公用語にするという意見が実施されそうである。森有礼は死んではいないのである。
 百年かかって私たちは西洋人になれたか。東洋の古典を捨て西洋の古典をわがものにすれば、西洋人になれると思ったのが運のつきだった。男は大正十二年の震災以後キモノを着なくなった。女は三十年遅れて敗戦後着なくなった。戦後女は針と糸を持たなくなった。味噌汁は夜すするものだと男どもは思うようになった。
 日本人はこの百年に米食い人種でなくなった。私は十年近く前の暮から正月にかけてホテルで過している。ホテルのバスはカーテンをひくようになっている。バスタブのなかでシャボンで全身を洗い、シャワーで洗い流すのが西洋だと言わんばかりである。シャワーの勢いははげしい。しぶきをあげるから、カーテンでふせげと言いたいのだろう。そのときシャボンだらけの両脚はどうする、片っぽはバスタブのふちで洗えるが、片っぽは置きざりである。一々湯を抜くか否かアンケートしてみるがいい。」

 「脱亜入欧の非を鳴らそうとして脱線した、私が最も言いたかったのは、文部官僚は日本の子供は日本語のなかで生れ育っているから、自然におぼえる、教えるに及ばぬという誤りを犯している。あれは教えなければならぬ、ことに核家族は完了した、わらべ歌はおろか百人一首も知らぬ子ばかりになった。
 私たちはある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは、国語だ。それ以外の何ものでもない(シオラン)。何度も言うが私はこれを固く信じるものである。手遅れになりそうだから繰返して言う。」

   (山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
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おやじのせなか 2006・06・02

2006-06-02 07:20:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「少年は父の後ろ姿を見て育つというが疑わしい。一億総サラリーマンの背を見て、皆あのようになりたいと思うのだろうか。」

   (山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
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一茶 2006・06・01

2006-06-01 06:50:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、小林一茶(1763-1827)の数多ある句の中からいくつか。

  「稲妻や一もくさんに善光寺」

  「やれうつな蠅が手をすり足をする」

  「涼風の曲りくねつて来たりけり」

  「うつくしや障子の穴の天の川」

  「しづかさや湖水の底の雲のみね」

  「蝸牛そろそろ登れ富士の山」
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