「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2006・06・13

2006-06-13 08:40:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「『戦前』という時代」と題した昭和60年の連載コラムの一節です。

 「食うに困ったのは東京大阪の大都会の市民だけである。農村とそのなかにある都市の住民は困らなかった。つまり日本人の半分以上は困らなかったのに、困ったほうの情報だけあって困らなかったほうの情報はない。
 それはわざとだろうか。情報というものにはそういう性質がもともとあるのだろうか。何をかくそう私は東京に生れ育ちながら、戦中戦後一度もひもじい思いをしたことがなかったものの一人である。
 あの戦争中食うに困らなかったというと、ヤミ屋かと思われるがそんなことはない。私は不器用だった、非力だった。それでもいかさまの才に似たものが少しはあって、それで糊口をしのいだ。それだってたかが知れている。
 私の周囲のものも食うに困ってはいなかった。戦後吉田茂はこのぶんでは餓死者が何万人も出ると数字をあげて迫ってマッカーサーから食糧を放出させたが餓死者は一人も出なかった。出ないじゃないか、貴下の数字は正しくないと言ったら吉田は正しくないから貴国に負けたのだと笑ったという有名な話がある。
 満州事変によって景気がちっともよくならなかった人は、よくなったという話なら信じない。それは今も昔も同じである。今年(昭和六十年)の景気はいくらかいいといわれても、私には何の影響もない。それにもかかわらずよければよいと認めなければならない。それは学生の売行という些事によって私は察する。
 大学生の売行がいいときは、何かの企業が好況なのである。好況な企業十社か二十社がいち早く人材をとれば、他の好景気ならざる企業も同じく早く内定しなければならない。こうして学生の就職は早々にきまる。景気の動向を私は学生の動きで知る。自分の景気だけ見ていると全体が分らないことがある。」

   (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
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