「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2006・06・17

2006-06-17 08:35:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「『戦前』という時代」と題した昭和60年の連載コラムの一節です。

 「どうやら本気らしいと思われたとき、私は日清日露戦争の当時を思いだした。日清日露の戦役は父祖の時代のものだと思っていたらつい昨日のことだったのである。私は小学三年のとき日露戦争二十周年記念だから往年の兵士よ集れというポスターを見た。これはいつぞや書いたが、私はその手がきの拙いポスターの前にいつまでも立ちつくしていた。
 子供の私にとって日露戦争は歴史のなかの出来ごとだった。それが二十周年だという。それなら当時二十歳の壮丁はまだ四十である。その往年の兵士たちがどこからともなくばらばらあらわれていま一堂に集ろうとしている。広瀬武夫も杉野兵曹長もそのなかにいるのだと思うと、私はとんでもない思いちがいをしていることに気がついたのである。
 以来私は誕生の時間でものを見なくなった。日清日露の戦役を父祖のようには経験しないが、父祖の次ぐらいに経験したのである。つとに私は母から『清国撃つべし露国撃つべし』という言葉を聞いて知っていた。”日清談判破裂して品川乗りだす東(あずま)艦という歌を知っていた。講和条約が成ったが不満で国民新聞が焼打ちされたことも知っていた。社員は畳を楯に身をかくし機を見て抜刀して暴徒を迎えうったとも聞いていた。
 そのころの日本人のメンタリテと昭和十六年の日本人のメンタリテをくらべると、それはまるで違うのである。『米英撃滅』と叫んでもそれには力がない。本気じゃないことは私は日露戦争を父祖の次くらいに経験したから分ったのである。」

   (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
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