「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

私たちはある国語に住むのだ 2006・06・03

2006-06-03 08:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、平成14年6月の「脚はどうする」と題した小文の一節です。

 「『脱亜入欧』という言葉ならご存じだろう。諸事万端遅れた亜細亜(アジア)を脱してすべて欧米式にしたいというほどのことで、明治百年はその試みで、明治六年アメリカ帰りの森有礼は日本語を廃して英語を国語にせよとまで言った。
 冗談じゃないとお笑いかもしれないが、この説は実はまだ有力なのである。国語審議会にながく巣くっていたカナ文字論者、漢字制限論者、ローマ字論者などは結局はその支持者である。近く小学生の国語の時間を削って英会話の時間をふやす、英語を第二公用語にするという意見が実施されそうである。森有礼は死んではいないのである。
 百年かかって私たちは西洋人になれたか。東洋の古典を捨て西洋の古典をわがものにすれば、西洋人になれると思ったのが運のつきだった。男は大正十二年の震災以後キモノを着なくなった。女は三十年遅れて敗戦後着なくなった。戦後女は針と糸を持たなくなった。味噌汁は夜すするものだと男どもは思うようになった。
 日本人はこの百年に米食い人種でなくなった。私は十年近く前の暮から正月にかけてホテルで過している。ホテルのバスはカーテンをひくようになっている。バスタブのなかでシャボンで全身を洗い、シャワーで洗い流すのが西洋だと言わんばかりである。シャワーの勢いははげしい。しぶきをあげるから、カーテンでふせげと言いたいのだろう。そのときシャボンだらけの両脚はどうする、片っぽはバスタブのふちで洗えるが、片っぽは置きざりである。一々湯を抜くか否かアンケートしてみるがいい。」

 「脱亜入欧の非を鳴らそうとして脱線した、私が最も言いたかったのは、文部官僚は日本の子供は日本語のなかで生れ育っているから、自然におぼえる、教えるに及ばぬという誤りを犯している。あれは教えなければならぬ、ことに核家族は完了した、わらべ歌はおろか百人一首も知らぬ子ばかりになった。
 私たちはある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは、国語だ。それ以外の何ものでもない(シオラン)。何度も言うが私はこれを固く信じるものである。手遅れになりそうだから繰返して言う。」

   (山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
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