今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「『戦前』という時代」と題した昭和60年の連載コラムの一節です。
「それは皮肉でも何でもない。大昔からこの世に義戦はなかったのである。これからもないのである。だから互に呼号する正義には関心がない。むしろ個人のほうにある。私は巨大な国家も恐怖にかられたら何をしでかすか分らぬこと個人のようだと見ている。個人の喧嘩は弱いほうから手を出す。まっ青になってふるえているところをみると怖いのだろう。たとえ弱くとも喧嘩上手なら相手を一撃して逃げるところを、逃げないで茫然と立って打ちのめされるのを待っている。
わが陸海軍は米英と戦って勝つみこみがないのを承知していた、ことに海軍は承知していたという。けれども戦うなら今だ、今をおいては万に一つも勝算はないと手を出したという。
私は人生は些事から成ると見ている。些事にしか関心がない。些事を通して大事に至るよりほか、私は大事に至りようを知らないのである。幸か不幸か私は戦前を知っている。昭和五年は少年だったから兵馬のことは関心がなかったが、それは少年だからなかったのではなく、もともとなかったとはいま言った通りである。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
「それは皮肉でも何でもない。大昔からこの世に義戦はなかったのである。これからもないのである。だから互に呼号する正義には関心がない。むしろ個人のほうにある。私は巨大な国家も恐怖にかられたら何をしでかすか分らぬこと個人のようだと見ている。個人の喧嘩は弱いほうから手を出す。まっ青になってふるえているところをみると怖いのだろう。たとえ弱くとも喧嘩上手なら相手を一撃して逃げるところを、逃げないで茫然と立って打ちのめされるのを待っている。
わが陸海軍は米英と戦って勝つみこみがないのを承知していた、ことに海軍は承知していたという。けれども戦うなら今だ、今をおいては万に一つも勝算はないと手を出したという。
私は人生は些事から成ると見ている。些事にしか関心がない。些事を通して大事に至るよりほか、私は大事に至りようを知らないのである。幸か不幸か私は戦前を知っている。昭和五年は少年だったから兵馬のことは関心がなかったが、それは少年だからなかったのではなく、もともとなかったとはいま言った通りである。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)