今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「『戦前』という時代」と題した昭和60年の連載コラムの一節です。
「私は横手で敗戦を知った。その日からあかあかと電気がついた。マイクで古い流行歌を流しだした。平和というものはマイクで『東京音頭』を流すことだとこの町の人は思っている。ああまたあの音頭に悩まされるのかと思ったが、それからというもの私は買いだしばかりした。この土地の人は誰一人食うに困ってない。酒にこまってない。着るものは米と交換すればいい。
私は妻の着物を米にかえた。二階の四畳半に三俵の米を貯えてちょっと裕福になったような気になったが、一家五人そのうち一人は老女二人は幼な子にそんなに米がいるはずがない。私はそれを八方に送った。」
「母のところへ送った。旧知の著者のところへ送った。印刷屋の主人に送った。再びまる通の若い衆を手なずけて旅館までとりに来てもらった。郵便局から小包で送った。再三なので怪しまれたが印刷屋に送るときは鉛板だといっておし通した。
米を送るのは禁じられている。あり余っている所からない所へ送っていけないという法はない。配給計画がたたないからと言いたいのだろうが配給するから足りないのである。売ることを許せば一人ぶん二合や三合は出てくる。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
「私は横手で敗戦を知った。その日からあかあかと電気がついた。マイクで古い流行歌を流しだした。平和というものはマイクで『東京音頭』を流すことだとこの町の人は思っている。ああまたあの音頭に悩まされるのかと思ったが、それからというもの私は買いだしばかりした。この土地の人は誰一人食うに困ってない。酒にこまってない。着るものは米と交換すればいい。
私は妻の着物を米にかえた。二階の四畳半に三俵の米を貯えてちょっと裕福になったような気になったが、一家五人そのうち一人は老女二人は幼な子にそんなに米がいるはずがない。私はそれを八方に送った。」
「母のところへ送った。旧知の著者のところへ送った。印刷屋の主人に送った。再びまる通の若い衆を手なずけて旅館までとりに来てもらった。郵便局から小包で送った。再三なので怪しまれたが印刷屋に送るときは鉛板だといっておし通した。
米を送るのは禁じられている。あり余っている所からない所へ送っていけないという法はない。配給計画がたたないからと言いたいのだろうが配給するから足りないのである。売ることを許せば一人ぶん二合や三合は出てくる。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)