「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2006・06・24

2006-06-24 05:45:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「『戦前』という時代」と題した昭和60年の連載コラムの一節です。

 「ジャーナリズムに限らず商売の才というのは実はいかさまの才なのである。『保険会社』の発想なんてその最たるものである。私はそれを考えると同時に笑ったからいやしくなることを免れたのである。同時に成功しなかったのである。あれは大まじめにやらなければならないのである。
 二十年三月十日の空襲で麹町隼町は焼け残った。その晩柏の家をほとほとと叩くものがある。柏の家には客はない。ことに夜はない。『だれ』と怪しんで聞いても返事がない。再び三たび問うと『オイさんです』『なにオイさん』『ハイ』『なあーんだ大井さんじゃないか』。
 オイさんは野菜をかついで見舞に来てくれたのである。三月十日までの空襲は高度が高く軍事目標が中心だったが、三月十日以後は違う。もういけないと私はもう一度疎開する決心をした。秋田県横手町である。会社はそこの木工会社に出資して東京側の役員として乗りこめば住むところぐらい世話してくれるだろうとその日から荷造りしてはるばる横手まで行くことになった。柏は戦災をうけなかったからそれには及ばなかったのだが、それはあとになって分った話で当時は明日をも知れなかったのである。」

   (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
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