「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

七日つけたら鏡をごらん 2005・12・11

2005-12-11 07:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「よい品を安く売るというと、そんなことができるかと口をとがらすものがある。主婦連や地婦連の婦人で、広告にすぎないという。そして広告というものはうそに満ちているという。婦人たちは広告にだまされまいと身がまえていながら、ほとんど進んでだまされている。
 私は『商売』にはいかがわしいことがつきものだと思っている。そしてそれでいいと思っている。文は人なりというが商売もまた人で、もし商売に、また広告に暗い部分があるなら、それは人間の暗い部分の反映である。
 ものを売りつけるのはむろん才である。『七日つけたら鏡をごらん』というのは色白くなる化粧水の広告である。背が高くなる器具というのはぶらさがり機のたぐいで、こんなもので高くなるはずがないと思うのは背が人並の人で、人並以下はワラにもすがる気持で試みるのである。
 これらは子供だましというものがあるかもしれないが、人は子供だましにだまされるのである。第一次ねずみ講が詐欺だと新聞沙汰になったのはほぼ二十年前である。それなのに第二次第三次ねずみ講にだまされるのはなぜかというと『欲』である。欲のない人をだますことはできないが、この世に欲のない人はないから何度でもだますことができるのである。
 かくて広告は人をあざむくと言って、広告を憎む人があるがおカドちがいである。広告が自分の有利を言って不利を言わないのは当然である。被告でさえ自己の不利は言わないことが許されている。」

 「大会社大銀行大スーパーはよいことばかりして大をなしたのではない。悪知恵をしぼって他を倒して大きくなったのである。」


  (山本夏彦著「『豆朝日新聞』始末」文春文庫 所収)
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炉辺 2005・12・10

2005-12-10 06:50:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、三好達治(1900-1964)の詩集から「炉辺 四章」と題した詩四篇。

 くれなゐの

  くれなゐの花はみな散り
  よき友はみなはるかなり
  神無月しぐれふる月
  こぞの座にわれはまた坐す


 いとはやく

  いとはやくひと世はすぎぬ
  天命を知るはこれのみ
  くさびらを林にとると
  腰たゆき時雨びとはや


 わがうたを

  わがうたをののしる人を
  ものいふがままにまかせつつ
  にごりざけ窓にくむさへ
  ともはなきけふの日ぐらし


 又

  わがうたをののしる人を
  いかにわがうべなふべしや
  いなまむもことはしげかり
  耳ふたげきかざるまねす

   河盛好蔵編「三好達治詩集」(新潮文庫)所収
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今日の目をもって昨日を論ずるなかれ 2005・12・09

2005-12-09 06:45:00 | Weblog

 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「与謝野晶子の名は歌集『みだれ髪』と『君死にたまふことなかれ』という詩によって残っている。教科書中に

 出ているせいだろう。詩は晶子が出征した弟の無事を祈ったもので、お前は堺の古い商家のあとをつぐ者だから

 死んではいけない。旅順の城はほろぶとも ほろびずとても何事ぞ 君は知らじな あきびとの 家のおきてに

 なかりけり

  君死にたまふことなかれ すめらみことは戦ひに おほみづからは出でまさね かたみに人の血を流し 獣の

 道に死ねよとは 死ぬるを人のほまれとは 大みこころの深ければ もとよりいかで思されむ(略)

  晶子はいわゆる反戦詩を書いたのではない。日清戦争まで戦争は『士族』のすることで、百姓町人の知った

 ことではないとまだ世間は思っていた。当時は長男は徴兵されなかったから、しばらく男の子のいない家の養子

 になって難を避ける習慣があった。もし世間がそれをとがめること昭和戦前のようであったなら、まずこの詩を

 雑誌『明星』は掲載できなかっただろう。あくる明治三十八年まだ戦争中だというのにこれを単行本に収める

 ことはできなかっただろう。
 
  必要あって私は日露戦争当時の『萬朝報』を見たことがある。萬朝報は涙香黒岩周六の新聞で、涙香は不世出

 のジャーナリストで今はあとかたもないが当時は一流の新聞だった。それが内村鑑三幸徳秋水堺枯川(利彦)の

 非戦論を掲げた。これも教科書中に出ているから、これだけで萬朝報の名は残っている。内村はキリスト者として、

 幸徳と堺は社会主義者として開戦に反対した。ことに後者はこの戦さを金持と軍人の私闘だと断じ、国民の多くは

 犠牲者だと書いた。こうした意見の掲載をこれまで許してくれた萬朝報が、開戦は避けられないと言うに至った

 から去ると三人は紙上で挨拶して去った。

  涙香もまた謹んで三氏との別れを惜しんだ。晶子がこの詩を書いた当時の情況は、およそ右のごとくだったから

 晶子も雑誌もこれを発表するのにたいした勇気を要さなかったのである。むろん晶子は非国民だと罵られたが、

 同時に当然の発言だと励まされてもいるのである。

  俗に大正デモクラシーといって、言論は大正年間までやや自由だった。次第に不自由になったのは満州事変以後

 だから、その以後の目で以前を見ると故意でなくても誤る。」

 「どんなものでも利用できるものなら利用する左派の論客は、柄のないところへ柄をすげる。また教科書中で教え

 られると、その言葉は覆せなくなる。こうして君死にたまふことなかれは反戦詩に似たものになった。古人は今日の

 目をもって昨日を論ずるなかれと言っている。」


  (山本夏彦著「『豆朝日新聞』始末」文春文庫 所収)
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2005・12・08

2005-12-08 06:35:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「情報はあった。それを見れば開戦できないから、見なかった。見ないで開戦したのだから、以後ずーっと見ないでいる

  よりほかなくなった。それらが暗黙のうちに諒承された会議の空気を私は想像することがある。そこにあるのは一種名状

  できない八百長である。空前絶後というが、この八百長は絶後ではないのである。」

  (山本夏彦著「冷暖房ナシ」所収)


 「いかにも映像は活字の百倍千倍の情報を提供するが、それは『現実』に似ている。現実なら誰も見ない。見ても見逃す。」

 「活字で吹きこまれた意見から私たちは脱することができないのである。」

  (山本夏彦著「良心的」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)
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2005・12・07

2005-12-07 06:45:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「『雨』と題する絵は福田平八郎の代表作の一つで、新聞雑誌はよくこの図を掲げるからご存じのひとは多いだろう。
 画面いっぱいに屋根の一部分をかいた絵で、そこには瓦の大写しがあるだけで、その上に今しも大粒の雨が降りはじめたところで、ぽつりと落ちたしみがみるみる大きくなる瞬間をとらえてこれから降るぞと言わぬばかりである。
 これまでの日本画には山水花鳥はあっても屋根瓦だけなんてなかった。大胆不敵な構図だったから、当時の見物はさぞ驚いたことだろうと、当時の見物でない私もその驚きを察して驚くのである。
 日本の瓦の美しさを知る人はたくさんいて、小林清親もその一人である。けれどもそれは層々累々と続く瓦屋根の遠望を描いたものだった。屋根の一部分をテーマにしたのはこの絵がはじめてである。
 『今戸橋場の朝煙り』と唄の文句にあるように、昔は浅草界隈に瓦を焼くところがあった。今でも三州瓦という。三河国(愛知県)碧海郡から出土する叩土でつくった瓦がいいといわれている。ほか石州瓦がある。石州瓦(島根県)は凍害に強いのが特色だそうである。
 ところが薄墨色の日本瓦の美を解さない人がふえて、青、緑、藍――新築というとまず色瓦を選ぶ人がふえた。
 はじめ私は安いからだろうと思った。安くててらてら光るから目を奪われて買うのだろうと思ったら、実は高いのだそうだ。色をつけてうわ薬をかけて焼くぶんだけ高いのだそうだ。
 この流行は東京から地方に及んだ。新幹線から窓外を見ると、もうわらぶき屋根の家はない。希に見るとそれは朽ちている。昔ながらの日本の瓦は藍や緑の色瓦に圧しられている。そこには何の統一もなく毒々しい色の氾濫があるのみである。私たちはいま一代の色彩感覚が最低の時代にいるもののようだ。」


  (山本夏彦著「不意のことば」-夏彦の写真コラム-新潮社刊 所収)
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2005・12・06

2005-12-06 06:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「一国の文明をはかる尺度に言葉がある。ほめる言葉と悪くいう言葉が共に豊富なら、その国は文明である。大人どもは自分が車にひかれそうなときもバカヤロー、自分がひきそうなときもバカヤローとしか言わない。こん日ほど語彙が貧しくなった時代はない。いじめっ子が『死ね』というのもこのたぐいで、本気ではあるまい。ほかの言葉を知らないこと大人のごとしなのである。」

 「子供の世界は一にも二にもまねである。独創なんてない。あっても希である。大人は子供に毎日々々まねのもとを提供しながら子供がまねしたといって驚くのである。こっちが驚きたいくらいだと私が子供なら言ってやりたい。」


  (山本夏彦著「不意のことば」-夏彦の写真コラム-新潮社刊 所収)
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2005・12・05

2005-12-05 06:45:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「このごろケンカは少くなったが、以前は多かった。見ると弱いほうがさきに手を出す。まっ青になってふるえている。強いほうは弱いほうが手を出すのを見守っている。ふるえるくらいなら逃げればいいというのは人情を知らないもので、弱いほうは恐怖にかられてほとんど倒れんばかりの姿勢でつかみかかる。」

 「私は人を個人と法人に分けて、わが法人の九割は個人の化けたものだと言ったことがある。国家もまた法人だから図体は大きくても似たところがある。戦争でも弱いほうがさきに手を出す。強いほうは待っている。
 昭和十六年、だれが見ても勝ちみのない戦さをわが軍がはじめたのは恐怖心からだった。すでにゴムも鉄も石油もない。戦うなら今をおいてはない、あとになればなるほど勝てなくなるという理由ではじめるのは、はじめる理由が薄弱だと他人は思うが当人は思わない。
 これまでもあったことである。これからもあるだろう。」


  (山本夏彦著「不意のことば」-夏彦の写真コラム-新潮社刊 所収)
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証拠より論の時代 2005・12・04

2005-12-04 06:10:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「いま新聞に愛用されている言葉なら、みんな胡乱だと私は思っている。したがって用いない。唾棄しているものもある。『話しあい』『民の声は神の声』『正直者はバカをみる』『千万人といえども我往かん』などである。
 『話しあい』と聞いただけで私はぞっとすると言うと『なにッ』と新聞の読者は気色ばむ。戦後三十年話しあいはいいことの極になっているからである。
 どういう間違いか、拙宅へ北朝鮮の新聞が送られてくる。この新聞によるとビルマにおける韓国閣僚の暗殺事件は『北の仕業』ではあり得ない、あれは全斗煥自作自演の芝居で、全斗煥ひとり助かったのが何よりの証拠だと連日書いているから、北朝鮮人民がこれを信じること、韓国国民が北の仕業だと信じるが如しである。
 イデオロギーの相違は深刻かつ根本的で、到底話しあいなんかで片づくものではない。すなわち『暴力』が出る幕である。
 大衆社会は大衆に世辞をつかう社会で、大衆を批評することがタブーである社会である。したがってよしんば信じてなくても、何事も話しあいで解決できると言わなければならないから、新聞は言い続けているうちに怪しや自分も信じるようになって、話しあいを嗤う閣僚があらわれると真顔で辞任を迫るに至るのである。
 正直者はバカをみるというのも大衆に媚びる言葉で、読者大衆は正直だからながく下積みでいた、うだつがあがらなかったと言えば読者を喜ばすことができる。しかもタダである。なにうまく立回ろうとして仕損じただけかもしれないのである。民の声は神の声というのもとんでもない迎合である。大衆は一時は欺くことができても、ながくはできないというのも世辞である。
 それでいて政治家に千万人といえども我往かんと言えというのは矛盾である。万一気にいらぬことを言ったら袋だたきにするのが大衆であり新聞である。だからこの金言は、千万人も往くならオレも往こうと訳すべきで、もし真の政治家がいたらオレも往くふりをして大衆を自在に操ってあらぬ処へつれ去る。大衆は欺かれるためにいると古人は言っている。」

 「論より証拠というのは昔のことで、今は証拠より論の時代だとは何度も言った。論じれば証拠なんかどうにでもなる。」


  (山本夏彦著「不意のことば」-夏彦の写真コラム-新潮社刊 所収)
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アメリカ人は時として何をするか分らぬ国民である 2005・12・03

2005-12-03 06:20:00 | Weblog

 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「英雄色を好むといって、むかし英雄は色を好んでも当然として許された。いっぽう恋愛を神聖なものにして、

 そのぶん色情をおとしめる風も根強くあった。色をきたないものとみる人はまだまだいる、マスコミが大統領の

 醜聞をあばくのはこの人々に対する迎合である。

  自分のことは棚にあげ大統領にだけ聖人君子を求めるのは手前勝手である。いやクリントンはホワイトハウスの

 一室でモニカ某としばしば情を通じた、それはやむを得ない、ただ裁判になったら手を回してその事実はなかった

 と言えと圧力をかけた、咎めているのはその点だと言うがウソである。寝たか寝ないかこまごま書いて売ろうとして

 売ったのである。
  
  何代か前のケネディ大統領のホワイトハウスの執務室の隣りにはベッドルームの用意があった。ケネディは醜聞

 に次ぐに醜聞をもってかえって人気があった。女優モデル社交界の花形黒人の美人モデル、ついにはマリリン・モンロー

 まで登場して世界中の話題になった。国事に奔走しながらこれだけ浮名を流したのは昔なら英雄である。

  後継者のジョンソン大統領は秘書の名義で雇った何人かの女を同じベッドルームに呼んで白昼相手をさせたという。

 大統領は劇務である。多忙と多忙の間に欲望は勃然ときざす。その時のために雇ったのである。大統領に恋愛なんぞで

 ひまをつぶされては国民は迷惑する。

  それが昨今の新聞記者は大統領候補に『貴下は姦通したことがあるか』と問うという。むろん候補はないと答える。

 ないと答えたら、いやここにある、かしこにあるとあばいて直となす。うそを強いておいてうそだうそだと責めて

 正義はわが頭上にある。
 
  わが国では待合政治といって、政治家は、もっぱら待合を利用した。ここでの密議は絶対に外に漏れなかった。

 給仕の女は一流の芸者である。むろんあとで枕席に侍った。待合にも一流から末流まであって、分際に応じて

 接待をしたからノーパンしゃぶしゃぶのたぐいで失脚することはなかった。

  今さら返らぬことながら公娼制度というものはよく出来ていた。吉原、品川、新宿以下無数の廓に限って売笑を

 許したのは古人の知恵である。私娼は発見次第捕えられて、廓に送りこまれたから西洋のような街娼は育たなかった。

 援助交際は生じなかった、生じたらすぐ捕えられ廓に送りこまれ本職にさせられた。」

 「ひとたび禁じたものを復活させることは出来ない。けれども人は清く正しく明るいばかりの存在ではない。内に

 邪悪なものを蔵しながら、それを忘れて明るく振舞って、露見するまで潔白だと思い思われ、他を咎めて平然たる

 存在である。アメリカ人は時として何をするか分らぬ国民である。あまりまねしないほうがいい。」


  (山本夏彦著「死ぬの大好き」新潮社刊 所収)





                    
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今は証拠より論の時代である 2005・12・02

2005-12-02 06:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「 いろはかるたは論より証拠というが、今は証拠より論の時代である。

 昭和二十五年の朝鮮戦争は、韓国がアメリカの尻押しで北に侵入したと

 北朝鮮は小学校から教えている。その子たちはいま四十五十になっている

 から、北朝鮮人民は国をあげてそう信じているはずである。

  そのずっとあと南北朝鮮の国境三十八度線の直下を、北は南にトンネル

 を何本か掘ってスワといえば攻めこむばかりにしたという。論より証拠韓国は

 その写真を撮って世界中にばらまいたが、北はあれは韓国が掘って厚顔にも

 北が掘ったと言いふらしているのだと抗弁して平気だった。

  世界は南側の言いぶんを信じる国と、北側のそれを信じる国のふた派に分れた

 のである。韓国はさぞくやしかろうが写真は証拠にならない。

  ついでながら警察も医師も写真を信じすぎる。写真信仰は現代の迷信である。

  南京大虐殺もあったという派と、なかったという派にわが国は分れたのである。

 あったという派は虐殺はなければならないのだからどんな証拠をあげても恐れいら

 ない。なかったという派はあるべき道理がないのだから、あらゆる証拠をあげるが、

 これまたあった派を改宗させることはできない。

  山本七平はトンネルは一定の方角に掘られている、それが北から南にむかって

 いれば北が掘ったのだと言ったが、そのノミのあとを写真で示しても、どこのトン

 ネルだか知れたものではないと言われればそれまでである。

  最も新しいのは従軍慰安婦の騒ぎで、強制連行があったという者と、なかったと

 いう者に分れて争っている。むろん私は三十万人の虐殺はなかった、トンネルは北

 が掘った、慰安婦の強制連行はなかったと思うものである。証拠はあげない。あげ

 てもムダなことはいま言ったとおりである。

  昭和二十年、アメリカの占領軍はアメリカにも売笑婦は山ほどいたろうに、一人

 もつれて来なかった。命じて日本の商売人をして日本の女を集めさせた。慰安婦と

 いう言葉はこのときに始めてひろく用いられた。世間ではパンパンと言った。彼女

 たちはしばらくアメリカ兵の腕にぶらさがって得意だった。その後どうなったか知

 らない。自分は強制されてアメリカ兵の慰安婦になった、弁償せよと名乗って出る

 ものもなければ、そそのかして慰謝料を出させようとする篤志家もいない。」


  (山本夏彦著「死ぬの大好き」新潮社刊 所収)
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