「1996年夏に大阪府堺市で起きた病原性大腸菌O157による集団食中毒事件に関連して、
厚生省(現厚生労働省)から原因食材の可能性を指摘されたカイワレ大根の生産業者が、『根拠のない発表で打撃を受け
た』などとして国に損害賠償を求めた二つの訴訟について、最高裁が国側の上告を退ける決定を下し、国に計約2290
万円の支払いを命じた東京、大阪両高裁判決が確定した」という報道が四、五日前にありました。
栽培に使用された水が原因とも、米国から輸入されたO157によって汚染された種子を栽培したのが原因とも指摘され
たカイワレ大根。この事件がきっかけとなって、スーパーや八百屋の店頭から一度は姿を消し、戻ってからも売り場の片
隅に追いやられ、すっかり消費が減退してしまいました。
スケープゴートにされたカイワレ大根が原因と断定できないのであれば、他に原因と考えられる食材は何だったんだと
いうことになるのが自然です。1996年以来、全国でO157による食中毒発生が数多く報告されていますが、原因
食材の特定がなされることは稀です。稀ですが、食中毒に見舞われた人が特定の食品以外に食していなかった場合に原因
食材が特定されることがあります。
事件当時から陰では囁かれながら、当時の時代環境から、表立って取り上げられることが少なかった原因食材に、北米
大陸からの輸入冷凍牛肉があります。今は、狂牛病に対する警戒から輸入が中断されているあの食材です。日米貿易摩擦
の高まりの中で、そんな指摘はしたくとも出来なかったんだと明言している識者もいる程です。政府や利害関係者のプレ
ス・リリースやコメントを鵜呑みにしたり、限られた報道だけで物事を判断するのは「危ない」、ひとつの具体例です。
敢えて取り上げない、これ以上掘り下げないという編集者の判断も「不作為の毒」ではないでしょうか。今回の判決報道
はベタ記事に近い扱いで、コメントも紋切り型です。
余り報道されたことはありませんが、米国ではO157をはじめ病原性大腸菌による牛肉などの食肉、水産物加工品等
の食品汚染は早くから報告されており、NASAにより宇宙食を無菌状態で製造するために開発された「HACCP」と
いう食品製造過程の衛生管理手法が、連邦レベルで採用され、法令化の上、厳格に施行されています。クリントン政権の
頃にいち早く全国的に「食の安全」キャンペーンが張られたということは、時の政権にそうしなければならないという
危機感を持たせるだけの大変な実態があったのだということを示しているように思います。
厚生省(現厚生労働省)から原因食材の可能性を指摘されたカイワレ大根の生産業者が、『根拠のない発表で打撃を受け
た』などとして国に損害賠償を求めた二つの訴訟について、最高裁が国側の上告を退ける決定を下し、国に計約2290
万円の支払いを命じた東京、大阪両高裁判決が確定した」という報道が四、五日前にありました。
栽培に使用された水が原因とも、米国から輸入されたO157によって汚染された種子を栽培したのが原因とも指摘され
たカイワレ大根。この事件がきっかけとなって、スーパーや八百屋の店頭から一度は姿を消し、戻ってからも売り場の片
隅に追いやられ、すっかり消費が減退してしまいました。
スケープゴートにされたカイワレ大根が原因と断定できないのであれば、他に原因と考えられる食材は何だったんだと
いうことになるのが自然です。1996年以来、全国でO157による食中毒発生が数多く報告されていますが、原因
食材の特定がなされることは稀です。稀ですが、食中毒に見舞われた人が特定の食品以外に食していなかった場合に原因
食材が特定されることがあります。
事件当時から陰では囁かれながら、当時の時代環境から、表立って取り上げられることが少なかった原因食材に、北米
大陸からの輸入冷凍牛肉があります。今は、狂牛病に対する警戒から輸入が中断されているあの食材です。日米貿易摩擦
の高まりの中で、そんな指摘はしたくとも出来なかったんだと明言している識者もいる程です。政府や利害関係者のプレ
ス・リリースやコメントを鵜呑みにしたり、限られた報道だけで物事を判断するのは「危ない」、ひとつの具体例です。
敢えて取り上げない、これ以上掘り下げないという編集者の判断も「不作為の毒」ではないでしょうか。今回の判決報道
はベタ記事に近い扱いで、コメントも紋切り型です。
余り報道されたことはありませんが、米国ではO157をはじめ病原性大腸菌による牛肉などの食肉、水産物加工品等
の食品汚染は早くから報告されており、NASAにより宇宙食を無菌状態で製造するために開発された「HACCP」と
いう食品製造過程の衛生管理手法が、連邦レベルで採用され、法令化の上、厳格に施行されています。クリントン政権の
頃にいち早く全国的に「食の安全」キャンペーンが張られたということは、時の政権にそうしなければならないという
危機感を持たせるだけの大変な実態があったのだということを示しているように思います。