思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

弔辞を作る

2011年02月21日 | Weblog
ふと、数10年前のことを思い出しました。

私の務める会社の取引先の店主が亡くなりました。
その葬式の前日のこと、私の上司が言いました。
彼は口から先に生まれたような営業畑の人間です。

「おい天道、明日俺が弔辞を詠まんといかんのや、明日まで作って来い。明日の朝練習するからな、読めん漢字につまずいてもいかんしな」
「お前もついて来いよ」

はて、突然「弔辞」といわれても、私はその取引先のこと殆ど知らんし。
「いい、いい。適当でいい。弔辞の決まり文句あるやろ」
てな具合。

しかし、死者にたいして失礼があってはならない。
可能な限りの情報を集めて、練りに練って翌朝上司に提出。
「ええ、ええ、これでええ」
てな調子で2,3回朗読する。

葬儀の場では上司は悲しみの塊になって、弔辞を詠みながら言葉を途切れされたり手を震わせたり、なんちゅう役者やと思う演技。
参列した親族の方々も涙をぬぐうことしきり。

「お前の弔辞の文章最高やったわ、これからは弔辞はお前が書いてくれ」

私は人でなしかもしれないと思いました。

何とはなしに

2011年02月21日 | Weblog
投稿画面を開く。
特に書きたいこともない。
しかし、しばらくの間投稿しないと見放されてしまいそうな気がして何かうめて置かないといかんな等と埒も無いことを考える。

「人生に意味などない」という人もいるようにこのブログも殆ど意味は無い。
このブログから「革命」を惹き起こすような情熱なんかは勿論のことない。
警句のひとつでも述べるような生き方もしてこなかった。

ただ、書く事によって誰かしらの目に留まれば、世の中にはこんな男もいるんだよと伝わるかもしれない。

書くことは表現である。
表現は意思を伝えることである。
「20年間書き溜めた日記」を人に見られたくないために全部焼いてしまったなどという話を時々聞く。
相当の秘密が盛り込まれているのだろうか。

かみさんは高校生の頃の大学ノートの日記を大事にしまって持っている。
読んでみたことがあるがまるで意味不明の文章が連なっていた。
ひとかけらの具体性も無い。

「何のこっちゃい」と私。
「いいのよ」とかみさん。

本人はこの意味不明の文章から当時の思いを鮮やかに思い出すことが出来るのかもしれない。
暗号で綴られた思いであるのか。