国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

今月はマイルスに始まり、マイケルに終わる

2010年01月31日 | マスターの独り言(ジャズ以外音楽)
仕事で家を離れていたため更新が滞ってしまった。
しかもここ2日というものジャズを聴く時間が無いという状況であった。
ようやく今日帰ってきて、
さて何をしようかと取り出したるはジャズのアルバムではない。
手に入れたばかりのDVDである。
今話題のDVDといったらもうお分かりだろう。

マイケル・ジャクソンの『ディス・イズ・イット』である。
11月に映画館に観に行ったが、もともと僕はマイケルファンでも何でもない。
あくまでも世間一般の誰もが耳にする範疇でしかふれたことがない。
初めは映画も観に行くつもりはなかったのだが、
『ディス・イズ・イット』の映画宣伝に惹かれて
まぁ、何となくであるが観に行ったわけなのだが、
終わってみればいかにマイケルが
素晴らしいエンターテナーだったかということを実感した。

発売開始10分で売り切れてしまうほどの
プレミアムチケットを手に入れられる財力などないため
当然のことながら生コンサートにはいけるはずもないが、
マイケル急死によりそのコンサートが誰でも気楽に味わうことができるようになったのは
不幸中の幸いである。
1つ1つの動作、演出、歌、ダンサーの動き、楽器の作り出すメロディーなど
全てを丁寧に確認し、リハーサルといえ全力で取り組む姿は、
プロのミュージシャンとしてエンターテナーとして
人を引きつけるものがある。

僕はマイケルがスキャンダルにまみれた姿しか記憶になかったが、
それを払拭するほどのショーがそこにはある。
映画が好評でDVD発売直前までリバイバルショーが行われ、
観たいと思っていたがその機会には恵まれなかった。
DVDでその姿は何度も見ることができる。
だが映画館のあの迫力には敵わないだろう。
しかしそれよりももう二度と生で見る機会がないことは返す返すも残念である。

僕のあまり聴いてこなかったアルバム(後)

2010年01月28日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
『マイルストーンズ』のタイトル曲は、
たまにテレビのBGMなどでも聴くことがある。
「だっだだーだ だっだだーだ だっだだーだだ」と
テーマがとても印象的で、迫ってくるようなベースラインが勇壮だ。
黄金のクインテット期にもマイルスはこの曲を取り上げ演奏しているのだが
トニー・ウィリアムスの力強いドラムに煽られた
荒れ狂う嵐のようなピリピリとした演奏へと変わっていく。

「マイルストーンズ」はこのアルバムが初出で、
この時の演奏はまだスピードはない。
だが、マイルスの吹くテーマは歯切れが良く問答無用にカッコイイ。
ところが残念なことにこのアルバムでは「マイルストーンズ」が4曲目なのだ。
何の気もなく1曲目から流していくと
そのカッコイイ曲にぶつかるまで20分もかかってしまう。
ジャズ特有の「取っ手出し」の聴き方を知らなかった僕は、
このアルバムのカッコよさに気づくまで随分と時間がかかってしまったわけだ。

まぁ、このアルバムにもいろいろなエピソードがあり、
レッド・ガーランドのトリオ演奏「ビリー・ボーイ」が
5曲目に入っているにもかかわらず、
マイルスとがーランドがケンカをして、カーランドが帰ってしまったため
2曲目の「シッズ・アヘッド」はマイルスがピアノを弾くという
何だかはちゃめちゃな状況だったようだ。
ところがその2曲目を聴いてみれば
次の名作『カインド・オブ・ブルー』へつながるような雰囲気がそこはかとなく匂う。
まだ混然としていて演奏に面白味がないのだが、
この上澄みを濾し取ったような演奏が、
『カインド・オブ・ブルー』になっていくようなそんな芽生えを感じる。
ここからマイルスは新しい扉を開くことになる。
そんな予感を覚えさせるアルバムであったわけだ。

う~ん、今まで聴いてこなかったのはもったいなかった…

僕のあまり聴いてこなかったアルバム(前)

2010年01月27日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
今日と明日は超有名盤を取り上げよう。
マイルス・デイヴィスの『マイルストーンズ』だ。

だが、僕はこの盤をあまり聴いてこなかった。
理由は音楽が良い悪いではない。
どうもデパートのバーゲン品で安く購入したせいもあるのか
このアルバム自体が好きになれなかったのだ。
ジャズ聴き始めのころの僕にとっては意外に値段の安い物は良くないという
勝手な決めつけがあったようだ。
最初に聴いてスゴイと感じるだけの耳を持ち合わせていなかったため
随分と長い間ほったらかしにしてきた。

他にも理由はいろいろと考えられる。
1つにはボーナストラックがある。
僕の『マイルストーンズ』には3曲のボーナストラックが入っている。
ボーナスと聞いて喜ばない人はいないだろうが、
CDのボーナストラックほどいらないものはない。

例えば『マイルストーンズ』を読み込ませる。
時間は68分にもなる。
実際のレコードの頃は45分程度であったから約20分以上長くなっている。
最初の頃はそれこそ行儀良く1番から順に終わりまで聴くもんだと思っていたから
68分という時間の長さに我慢が仕切れなくなり、
結果として途中で飽きがきてしまっていたというわけだ。

2つ目にはジャケットのチープさが何とも言えない。
輸入盤だったために安価なのだろうが、
そのジャケットはオリジナルを安いコピーにかけたような色合いで
本来ならばもう少し鮮やかさがあったはずのマイルスやその背景が
くすんで見えて聴く気を損なわせてしまう。

『マイルストーンズ』は、マイルスがモード演奏を取り入れ始めたもので
『カインド・オブ・ブルー』よりもジャズらしいので
スイングしやすく、聴きやすいところも多い。
まぁ、僕がこの盤を聴いてこなかったのはこうした外発的な理由であるが、
はたしてその中身は…

協調と緊張の狭間に

2010年01月26日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
今、多いのがピアノトリオである。
ジャズ雑誌の新譜には毎月多くのピアノトリオが含まれているし、
ディスクユニオンの新譜情報を見てもピアノトリオは多い。
だけど僕にはどうしてもそれらの量産されていくピアノトリオに満足できない。
その理由を今日の1枚、ブラッド・メルドーの『ハウス・オン・ヒル』から考えてみよう。

ピアノアトリオはちょっと聴きでも充分に聴いた感を与えてくれる。
ピアノの音は聴き慣れたクリアな音色に、ドラムの軽快なリズムが入ると、
「何となくいいなぁ」で終わってしまう。

メルドーの『ハウス・オン・ヒル』もはっきりしたピアノの音が心地よい。
だが、そこからよりしっかりと耳を向けることが必要だ。
少々自己耽美的な美しいメロディーラインが走っているが、
自分のピアノだけにおもねることなくベース、ドラムとの協調と緊張を起こす。
最初は軽やかに耳に優しいメロディーから入り、
徐々にジャズとしての緊張感の高まりへと移行していく。
その高まりが最頂点に達するまでには時間がかかる。
だが、待ちわびた瞬間が来たときにジャズの本質が自ずと見えてくるのだ。

どうやら今のピアノトリオに欠けているのは、
その協調と緊張の絶妙なバランスで生まれる高まりなのではないか。
やがて高まった緊張は緩やかに坂を下るように落ち着きを取り戻していく。
それが自然でかつ火照った心を冷ますかのように自然であるとこれまた心地よい。

今のジャズピアノの多くが
「作品」というよりも「商品」としての意味合いが強すぎるのではないか。
ジャズが芸術作品というわけではないが、
それでも僕たちは「商品」としてばかりでジャズは聴かないだろう。
そこにある「何か」を求めているはずだ。
そういった意味で『ハウス・オン・ヒル』のメルドーは筋が一本通っていると言えだろう。

こういう心焼かれるライブは身体に毒です。でも聴きたくなる…

2010年01月25日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
ときどき「この人を聴いてみよう」と思うと
そのジャズミュージシャンに入れ込むことがある。
今、僕が入れ込んでいるはウィントン・ケリーである。

何故ケリーなのか、きっかけはいろいろある。
前号の「ジャズ批評」にウィントン・ケリーの特集が載っていたし、
「いーぐる」で聴いたフィリー・ジョー・ジョーンズの特集で
相性が良かったのがウィントン・ケリーだったしといった具合である。
僕の場合、今まで見向きもしなかった人に突然心奪われることがあるのだ。

では、今日はそんなウィントン・ケリーの入ったアルバムにしよう。
『スモーキン・アット・ザ・ハーフ・ノート
 ウィントン・ケリー・トリオ・アンド・ウエス・モンゴメリー』だ。
この2人はウエスの名盤『フルハウス』でも共演をしているが、
こちらはホーン奏者なしのライブ盤である。

1曲目の「ノー・ブルース」からやってくれる。
とにかくウエスのギターが止まることを知らないほど演奏を加熱させていく。
アーシーでファンキーなウエスのギターに合わせるように
小気味よく跳ねるケリーのピアノ。
自らのソロではベース、ドラムと息を合わせながら、
これまたコッテリとした粘りのあるピアノを聴かせる。
と思えば2曲目の「イフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ」の
重厚感と軽やかさの絶妙なバランスの上で成り立つ透き通るような美しいピアノのソロ。
その後のウエスの絡みつくようなソロがより引き立つ。
脇を固めるのがベース、ポール・チェンバースとドラム、ジミー・コブである。
当時のマイルス最強サイドメンに
ウエスというジャズギターの王者が加わったのだから悪いはずがない。

ハーフ・ノートは狭いライブハウスだったようだ。
そんな中でこんな燃え上がるような演奏を聴かされたら
興奮して、夜寝れなくなっちまうだろう。