国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

小さなお願い

2011年12月31日 | マスターの独り言(日々色々なこと)
我が家の御不浄には「相田みつを日めくりカレンダー」がある。
毎月の31日には「願」という一文字が書かれている。
新しい年はすぐそこまで近づいているが、さてはて何を願おうか。

今年を思い返してみると様々なことや出会いがあった。
心に残るのは3月にあった大地震とそれに連なる様々な事象である。
東浩紀氏が編集を務める『思想地図β vol.2』の
巻頭言「震災でぼくたちはばらばらになってしまった」を読むと、
あの震災は僕たち日本に暮らす者に様々な考える機会を与えたものだ
と感じずにはいられない。

今年の漢字に「絆」という言葉が選ばれたが、
僕たちはどれほどまでまとまってこの巨大な事象に向かったのだろうか。
「がんばろう日本」の合い言葉は僕たちの「絆」を深めはしたが、
果たして今もそれは有効に機能をしているのかどうか。

ここで何かを論じたり、正義を振りかざすつもりは全くないのだが、
ことある事に「震災でぼくたちはばらばらになってしまった」という
言葉を思い出す。

そしてふと年の終わりにこの曲を聴きたくなった。
ローランド・カークの『ヴォランティアード・スレイヴリー』に収録されている
アレサ・フランクリンの「小さなお願い」である。
録音されたのは1968年である。
この前年にジョン・コルトレーンが亡くなり、
この年に公民権運動の指導者であったキング牧師が暗殺された。
カークはこの曲を始める前に「あいつらが彼を撃ち殺した」と言い、
そして「ちょっとお祈りをしよう」と話す。
そして始まるR&B色の強い演奏。

不覚にも涙がこぼれそうになるほどの燃えたぎる熱い演奏。
きっとカークはしゃべったことなど忘れてしまって、演奏に没頭している。
おそろしいほどにノリまくり、悲しいほどに深い。
これでもかとジェットコースターのように音とリズムがうねりを作り、
何度も絶頂を向かえ、それでもどこか静かな空気が流れる。

少なくとも僕は幸せである。
音楽を聴く耳は残っており、音楽から感じる心がまだあるからだ。
今年は様々な音楽と出会い、いろいろなことを勉強した。
古くからの友人とも再会があり、お互いがまだ元気であることも確認できた。

確かにこれからの社会は大変なことばかりあるだろう。
震災で傷を負った人々が早く笑顔になって欲しいと願わずにいられない。
道で見かける幼子たちが、
笑顔を忘れずに成長していって欲しいと願わずにはいられない。
たとえばらばらだとしても
次の一歩が明るく希望に満ちたものであって欲しいと願いたい。

何ができるわけでもないが、
それでも新しい年に向けて願うことぐらいはできる。
次の新しい一歩が素晴らしいものだと信じて、
僕たちもちょっとお祈りをしようじゃないか。

彼はギターを燃やさないわけにはいかなかった。それは何か大切な思いがあったからではない。

2011年12月28日 | マスターの独り言(ジャズ以外音楽)
「ジミヘン」といえば言わずと知れたギタリストのジミ・ヘンドリックスである。
さて、今日のジャケットを見てほしい。
手前に座り、ギターを弾くような素振りを見せているのがジミヘンである。
その奥には燃えているギターがある。
これは1967年の「モンタレー・ポップ・フェスタ」に出演した時、
ジミヘンが最後に演奏した「ワイルド・シング」中の写真だ。

武士が刀を持つように、ミュージシャンは各々の楽器を持つ。
武士の魂が刀ならば、ミュージシャンの魂は楽器…といかないようなシーンである。
だが、この「ギター燃やし」が偶発的でもテンションが上がりすぎてでもなく
ジミヘンの「十八番の芸」であることは多くの人が知るところである。

ジミヘンはアメリカのシアトルで生まれた。
ギタリストとして数々のバンドを渡り歩くも
「いつかビックになりたい!」という野心も強く持っていた。
そんな時にローリング・ストーンズのキース・リチャードの
当時のガールフレンドのリンダに見出され、
元アニマルズのチャス・チャンドラーがジミヘンをイギリスへ連れて行き、
プロデュースをしたことからその名が知られるようになっていく。

モンタレーのライヴはいわばジミヘンにとって「故郷に錦を飾る」凱旋ライヴになった。
ライヴ参加にはビートルズのポール・マッカートニーの推薦もあったという。
ジミヘンが演奏を始める前に、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズが
大々的に紹介をする。
だが、アメリカでその名がまだあまり知られていないジミヘンは
1曲目から「ガツン」とやってやろうと凄まじい重さと高速のギターさばきで
「キリング・フロアー」を演奏する。
これも曰くがあり、イギリスでエリック・クラプトンと初めて会った時に、
この曲でクラプトンを「ガツン」とやっつけてしまったのだ。
2曲目は「フォクシー・レディ」とジミヘンのオリジナルで攻める。

ここまであまりの凄まじさに観客もポカンとしてしまい、反応が薄かったという。
つまりどう反応をすればいいのか分からない状況に会場がなってしまったようだ。
3曲目にボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」で
ようやく観客の反応が大きくなり始める。
合間合間にジミヘンはMCといえるほどではないが、いろいろとしゃべっている。
僕が正確に聴き取れていないので何とも言えないが、
それでも緊張からくる弁明や独り言に近いような印象を受ける。
とにかく演奏をしていない時に話をして場をつなぎたいという
ジミヘンの緊張が伝わってくる。

実際に7曲目の「ザ・ウインド・クライズ・マリー」では
ギターのチューニングが狂ってしまい、
しかし楽器を替えることができずに演奏を続けている。
(モンタレー用に色を塗ってしまっていた)
そして最後の9曲目の「ワイルド・シング」が始まる前に、
すでにギターを燃やすことを暗に告知している。
演奏しながらライターで火を付け、
火が付きながらもまたがるようにして演奏をしたという。
だがこれも「芸」の内である。
ジミヘンの「芸」は多様で歯や頭の後ろでギターを弾いたり、
ステージの上で横になりながらも演奏をしたりと目立つならば
どんな格好ででも演奏したという。
だがそれで演奏の質が衰えないのだからまさに驚くべきテクニックなのだ。

ジミヘンの前にザ・フーが演奏している。
ザ・フーのピート・タウンゼントとジミヘンはいろいろとイギリスから因縁があった。
加えてザ・フーは「ギター壊し」という「芸」を持っていた。
「どうしたらあの連中よりも目立てるか?」
それがジミヘンの「ギター燃やし」へつながる。
まぁ、これが初犯ではないらしいが、いきなりギターに火を付けて、
しかも演奏している人を見たら会場は否が応でも盛り上がってしまうだろう。
実際にCDでも燃えていくギターの音と
演奏後にアンプが「ピー」と歪んだ音を立てているのが入っている。

この後、ジミヘンはアメリカでようやく「ビック」になっていく。
だが、その「ビック」になることで、だんだんと精神的に追いつめられていってしまい、
やがて謎の死を遂げてしまうことになるのだ。

出会いから幾星霜 ようやく手にしたアルバムはやはり待っただけの甲斐はある

2011年12月27日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
ジャズ喫茶には「あっ」と思える出会いがある。
男女の出会いではない。
アルバムとの出会いだ。

根津にある『Lacuji』にバラの絵の描かれたジャケットが飾られた。
僕は前にあるブログでそのアルバムは見たことがあった。
『Lacuji』のマスターは、僕がジャズキチなことを知っているため
アルバムのジャケットをわざわざ僕に手渡してくれた。
『トゥ・ユー・ウィズ・ラヴ』
訳せば恥ずかしくなるようなタイトルのアルバムである。
更に意外なのがこのアルバムがジョー・ザビヌルの
ピアノ・トリオ作品であると言うことだ。

ジョー・ザビヌルと言えばジャズを知っている人ですぐに思い浮かぶのが
ウェザー・リポートの創立メンバーである。
のちにワールド・ミュージックとも深くつながり、
ジャズ界ではマイルス・バンドに所属しながらも
自分を貫いた数少ないミュージシャンだ。

そのザビヌルがピアノ・トリオを出しているというのは珍しい。
しかも「愛とともにあなたへ」である。
何よりも心惹かれたのがLPで言うB面の触れば割れてしまいそうな繊細な演奏である。
スタンダードな曲を取り上げていて、
僕の好きな「グリーン・スリーブス」や
「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ」のように誰が聴いても聴きやすい。
まぁ、ザビヌルらしいといえばレイ・バレットのコンガも入ったりしているのだが、
それほど強く主張はしていない。

だが、なかなか手に入らない。
本当ならばLPが望ましいのだが、レコード屋を巡っても出会わないのだ。
ネットで調べてみてもLPはオークションにも出ていない。
しかし「密林」でCDは購入できそうだ。

こういうときは悩む。
とりあえず音源を確保しておいた方が、後々手に入りづらくなった時に
さらに苦悩をしなくてもすむ。
だが、「待てば海路の日和あり」ではないが、
意外に手に入れた後にすぐに見つかったりする(しかも意外に安い)。

悩んだ結果は今日の写真を見て欲しい…
後悔はしていない。だってやっぱり良いアルバムだったから!

遠方より朋来るあり、また楽しからずや

2011年12月26日 | マスターの独り言(日々色々なこと)
「中学の時の同級生も来るんだけど、○日で大丈夫?」
クニさんからの誘いのメールが初めて来た。
集まったのはクニさんとO次郎氏、
そしてGさんと他校だったのにクニさんと塾つながりだったSさんである。
クニさんもO次郎氏もよく知っているのだが、
まさか中学生の時から考えてGさんと飲むことになるとは思わなかった。
Gさんはクニさんに「無敵艦隊」と言われるほど
すれ違えばほとんどの人が振り返ってしまうというほどの美人だ。
(あまり美人という表現は使いたくないのだが、それ以外に表現が出てこない)
まぁ、あまり女性と飲む機会が無い僕としては
とりあえず静かに座って飲むばかりであった。

古い友人と会うというのは「楽しい」と言っているのは孔子で、確かに楽しい。
Sさんは気を回していろいろな方向に話を振ってくれていたし、
クニさんとO次郎氏はふざけ合ってGさんの取り合いをしていた。
僕はもっぱらこのネタを取り上げる時にあうCDって何だろうと考えていた。
思いついたのがチャーリー・ヘイデン・レベレーション・ミュージック・オーケストラの
『ノット・イン・アワ・ネーム』であった。

ジャケットを見てほしい。赤い旗が掲げられている。
これは1969年にこのチームで集まった時にカーラ・ブレイが用意した旗である。
このグループは何かと政治的主張がある時に集まるような印象が強い。
最初はベトナム戦争、今回はパレスチナ紛争への抗議であるという。
(間にも時の大統領たちへの批評めいたアルバムがある)
36年という月日の中でもうすでに亡いメンバーもいる。
だが同じ旗の下に集合するというのは、どこか『20世紀少年』のような感じもする。

ベーシストは何故か政治を語りたがるのだが、
このアルバムを聴けば、そんなに小難しいものではないことが分かる。
タイトル曲はかなりカッコイイものだし、他の曲も超難解ではなく聴きやすい。
裏番長のカーラ・ブレイのアレンジとコンダクターとしての力量が十分に生きている。

彼らは何も難しく語りたいのではない。
ただ音楽でできることをやっているだけなのだろう。
あの赤い旗の下に集まったミュージシャンたちは一体どんな思いなのか。
古い友人たちと作り上げる音楽はお互いの成長と懐かしさの混在するものなのだろう。

古い友人たちと酒を酌み交わす日が来るとは…
この国は平和なことに爆弾は落ちてくる予定は今のところ無いようだ。
無事に出会えた15年ぶりの再会は楽しい夜だった。
また出会える機会があると信じて!

そのアルトの音色は時間と空間を切り取り、別の世界を作り出す。

2011年12月25日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
もしあなたが「ジャズを聴きたい」と思った時に、
手に入れるべきアルバムというのは入門書やジャズ本を参考にしたものである
可能性が非常に高い。
なぜならば「本に載っているぐらいだからそれを聴けばジャズが分かるだろう」という
淡く、かつ甘い期待を乗せてあなたはアルバムを買いに行く。
最初はそのアルバムがとてつもなく魅力的で
「ジャズを聴くぞ!」という意気込みを与えてくれるだろう。

だが、それが次のアルバムにつながる可能性はあまり高くない。
なぜならばそのアルバムは確かに名盤で
大手CD販売店でも「ジャズ」のコーナーに置いてあり、
間違いなくジャズの薫りがする。
しかし求めていたものと何かがズレているような気持ちになってくる。

それには理由がある。
入門書はハズレくじを引かせないように配慮がされている。
「名盤ならばハズレはないだろう」と僕らが思うのは当然のことだ。
確かに誰も間違えていない。
しかし僕らがジャズに求めるものは何だろうか?

その答えはルー・ドナルドソンが知っているだろう。
ブルーノートに最も貢献したアルトサックス奏者であり、
多くのミュージシャンをブルーノートに紹介をした人物でもある。
未だに現役だ。
残念ながら彼のアルバムがジャズ本や入門書で取り上げられる確率は少ない。
なぜならば「これは!」と言えるアルバムが無く、
逆に全てが「これは!」と思えるアルバムだからである。

ルー・ドナルドソンの演奏は奇を狙ったものではない。
ただ単純にアルトサックスを「いかに心地よくならそうか」という
言ってしまえば当たり前の演奏だ。
だが、当たり前の演奏こそジャズの王道である。
知らぬ間に心に染み渡るアルトの音色は僕たちにジャズがいかに深く、
感動的な音楽であるかを伝えてくれる。

『ザ・タイム・イズ・ライト』
このアルバムではコンガのレイ・バレットも参加をしている。
理由は単純だ。
「コンガを入れることでリラックスしたリズムになる」とドナルドソンが考えたからだ。
売れることを考えなかったわけではないだろう。
だが、ドナルドソンはそれ以上に音楽に真摯に向かっている。
「ザ・ニアネス・オブ・ユー」を聴けば、
どこまでも広がるアルトの音と
ブルー・ミッチェルのミュート・トランペットの響きにヤラレてしまうだろう。
合間を埋めるホレス・パーランのピアノも美しい。

ジャズにはそんなミュージシャンがたくさんいる。
決して多くないギャラで音楽に真摯に向かい、音楽を作り上げてきた人々だ。
そう、僕たちはどんなジャンルでも最終的に「人」を求めてしまうのだろう。
それがたまたま僕の場合はジャズだっただけのこと。

きっとあなたにもジャズに限らず、そんな「何か」があるはずだ。