国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

移転

2014年06月06日 | オープン
長らくほったらかしになっていたが、
いろいろと書きたいことがまた増えてきたため
新しい場所で再始動することにした。

ということで、こちらに移転です。

http://ameblo.jp/rajioiruka/

長い間、ありがとうございました。
また、こちらもよろしくお願いします。

なかなか思うようにはいかないものなのだが…

2013年03月30日 | 休業のお知らせ
と、まぁ、久しぶりに昨日ブログを更新したのだが、
今日はちょっとライヴがあって更新ができない…

そんなわけで今日の更新はお休みです…

流れゆく日々の別れの中で

2013年03月29日 | マスターの独り言(日々色々なこと)
3月の終わりというと別れの季節である。
別れの季節に再び筆を取るというのは、どことなく矛盾したものもあるかもしれないが、
少しの間(いや、かなりの間か)、ブログはお休みをしていた。
もちろんその間にジャズを聴かないということは無かったし、
それ以外にもかなりのジャンルの音楽を聴き、
加えてライヴにもずいぶんと足を運んでいた。

毎日、何かを発信し続けるというのはかなりの一苦労もあるのだが、
それでも何かを伝えたいと思うのが人間の性でもある。
まぁ、そんなわけでそろそろ松尾芭蕉が旅に出たくなってきた如く
自分も筆を取ってみたくなってきたといった感じである。

さて、冒頭に戻り、
3月の終わりというと別れの季節である。
別れというのはどことなく感傷めいていて、
それとなく心がざわめく。
それは「別れ」に対してなのか、
それともそのあとに待ち受ける新たな「出会い」に対してなのか…

ともあれ、そんなときにはこのアルバムがいいだろう。
ビル・エヴァンスの『ユー・マスト・ビリーブ・イン・スプリング』

自分の中では至高の1枚なのだが、
ブログ内で画像を探してみても見当たらなかった。
おそらく過去の自分がずっと何らかの「その時」を狙って取っておいたのだろう。
今がその時なのかどうかはよく分からないが、
それでもジャズを聴いている人にとってこの1枚は欠かせない。

音楽評論家の中山康樹氏が「エヴァンスにとっての『カインド・オブ・ブルー』」と評するほどの
静けさと緊迫感に溢れた美しく、そして儚さを感じさせる。
エヴァンスはこのアルバムの中にエレインという元恋人と
ハリーという自分の兄に演奏を捧げている。
実はこの二人にはもう二度と会えなかったいきさつがある。
そうした実生活の悲しみもあるのだろう。

別れは悲しい。
それでもその先に進まなくてはならないのが人間である。

We Will Meet Again…

「Apple」考察記

2012年10月08日 | マスターの独り言(日々色々なこと)
iPhone5を予約した。
今まで大手電話会社の携帯電話を使ってきていたのだが、
どうしてもその魅力に抗することができなくなり、
ちょうどiPhone5が発売するということもあり予約に踏み切った。

それほど僕はアップルユーザーではなく、
アップル製品もiPodを使っているぐらいである。
アップル製品にはいくどか惹かれることもあったが、
結果としてそれほど踏み込んで使ってこなかったわけである。

さて「Apple」という言葉を聞くと、
こちらが思いついてしまうのはミュージックファンであるからであろう。
それはビートルズの作った会社名である。
10月5日が「ラヴ・ミー・ドゥー/p.s.アイ・ラヴ・ユー」の録音日だったこともあり、
何周年目かということでニュースにも取り上げられていた。
後年、ビートルズが出資・設立したのが「アップル」である。
社名の由来はポールがコレクトしていたマグリットの絵からという説が一般的であるが、
「Aはアップル」という単純な命名説もある。
(ちなみにジェフ・ベックの「ベック・オラ」にもマグリットの絵が使われている)

「アップル・コンピューター」から「アップル」に社名を変えるときに、
スティーヴ・ジョブズがわざわざポールの元に行き、
名前が重なっていることを説明した云々というのをネットで読んだことがある。
それぐらい「アップル」はビートルズとのつながりが深い。

まぁ、ビジネス的には素人集団であったため滅茶苦茶であったらしいが、
それでもビートルズといえば「青いリンゴ」というのが思い浮かぶだろう。

映画監督宮崎駿は、iPad発売の時に非常にイヤな顔をしたといわれている。
人間の持つ「想像力」の低下につながるという。
そう言えばテレビが発売されたときも日本では「一億総白痴化」などと揶揄された。
確かに新しい機械にはワクワクするのだが、
大量にあふれ出る情報を処理していくのも大変なことである。
その情報の波に飲み込まれてしまえば…

機械を作り出す人たちは想像を行使してつながりを作る。
一方でそれを使う人間は想像をちゃんとしているのだろうか?
画面の向こう側にある情報について…
ビートルズもアップル社も想像の局地である。
使う我々の想像力もまた大切になってくるのでは?

ユーミンにまつわるいくつかの話

2012年09月27日 | マスターの独り言(ジャズ以外音楽)
ほんの数ヶ月前のことだと思う。
職場の旅行で僕はバスに乗っていた。
バスで繰り広げられるのは酒宴である。
様々なアルコールその他の飲み物が飛び交い、おつまみがテーブルの上に散乱する。
そんな酒宴を盛り上げるのがカラオケである。
僕もひとかどの人間であるため昔はよくカラオケに行った。
年若いこともあると、一番手を持たせられるのだが、
正直もう人前で歌うのは結構厳しい。
歌うのは好きであるが、場に合った選曲というのが難しいからだ。

そんな中1人の同僚がユーミンの「中央フリーウェイ」を歌った。
ささやかな声で歌詞をなぞり、柔らかなメロディーにのっていく。
上手いという言葉よりも、その風景というのが記憶に映像化される。

そういう曲がある。
カラオケで歌われた歌が何とも言えずに心に残っているのである。
それは風景だったのかもしれないし、
はたまた遠い記憶の底と結びついたのかもしれない。
なにぶん僕はユーミンの「中央フリーウェイ」を片手で数える分しか聴いたことがないのである。
それなのに、失礼ではあるが、素人の歌った歌でも心を打つことがあるのだ。

何でこんな話を持ち出したのかというと
急にユーミンが聴きたくなったからである。
これには理由がない。
前段の「中央フリーウェイ」があったからでも、心に残っていたからでもない。
突然に、まさに啓示のように、
「ユーミンを聴かなくてはいけないのだ!」と思ったのである。

そう一度思ったらいてもたってもいられない。
早速地元のCD屋へ行って、荒井由実の『MISSLIM』を買う。
値段がいくらとか、名盤か名盤じゃないかなどどうでもいいのだ。
とにかくユーミンを聴かなくてはいけないという義務感に駆られる。

聴いてみて思った。
あぁ、まだまだ知らない音楽がたくさんあったんだな…と