国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

時は流れる。されどリズムにのって身体が踊れば、そんなことも気にならない

2010年08月31日 | マスターの独り言(日々色々なこと)
いよいよ8月が終わる。
8月の終わりは特別な意味がある。
そう明日はいよいよ新学期で学校が始まるだ(通勤電車に学生が増える)。
明日のニュースでこの話題は欠かせないだろう。
まぁ、月の高く上がるような時間帯にまで起きている子たちは
明日までに持って行かなくてはいけない「お土産」が仕上がっていないのだろう。
大半は「あぁ、明日からか~」と思いつつも眠りについているはずだ。

僕の場合は夏が来てもあの頃のことは思い出さない。
だが、何故か8月31日は物悲しい。
1年の内で最も燃え上がるような時期が過ぎ、
やがて夜の帳が降りるのも早くなっていくことを思って寂しいのか?
それとも今年も夏の間に聴こうと思っていたコルトレーンの『クル・セ・ママ』を
聴いていないから後悔をしているのか?

何はともあれ月日は旅人のように過ぎていくのが自然の流れだ。
前衛的だったドン・チェリーが、エスニック感覚に芽生え、
そしてポケットトランペットからいつの間にか自分で歌うなんて誰が思った?
ドン・チェリーの『ホーム・ボーイ』(LPだと『ホーム・ボーイ・シスター・アウト』)
ここでのドン・チェリーは得意のトランペット(ポケット?)もさることながら、
全編で歌を入れている。
ジャズというとついついインストゥルメンタルを思い浮かべがちだが、
一周回り回って、最終的にドン・チェリーが到達した場所がこれなのだ。
最初聴いたときは正直「うん?」と思った。
そりゃあ、前衛といわれたドン・チェリーが歌っているのである。しかもリズムにのって。
歌はプロ級のものではない。
だが、何度も聴けば聴くほどチューインガムのように味わいが出てくる。
間間をつなぐトランペットの演奏は、
前衛だのエスニックだのそんな言葉の全てを一蹴するかのようにリラックスしている。
後は身体が自然に動き出すのを待つだけなのだ。

何の課題も終わっていないそんな物悲しい8月の夜に
聴くには少々脳天気すぎる。
でもそんな楽しさが過ぎゆく時を重ねたドン・チェリーの歩いてきた音楽の道なのだ。

アルトサックスに込めたジャズミュージシャン生き様の音

2010年08月30日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
ジャズの聴き方に「一人のミュージシャンの個性を聴き取る」という聴き方がある。
楽器編成は様々なものがあれども、そこで音を出しているのは結局人である。
ピアノにしろ、ベースにしろ、ドラムにしろ
やはりそれを演奏している人の個性というものが出てくる。
音ののばし方、間の取り方、叩いたり、弾いたりする強弱などがそれだ。

ジャズの中で個性が表れやすいのは管楽器だろう。
トランペット、サックスなどは人の息を吹き込むことで音が出る。
音の広がりや強弱は人の息により変わり、音も息の吹き込み方で変わる。
「しゃべってんじゃないの?」というような演奏を聴いたことがある人もいるだろう。
管楽器は人の声を別の音に変え、それだけ思いも伝わってくる部分がある。
それは歳を重ねても同じだ。
若かったころに出すあの艶やかな音色は、例え歳を取ろうとやはり根本は変わらない。

ジャッキー・マクリーンの『リズム・オブ・ジ・アース』1992年の録音である。
2006年まで生きたマクリーンにとって1992年というのは、
まだまだの時期だったのだろう。
マイルスの弟分であり、『レフト・アローン』という名盤をもち、
ブルーノートに大量の吹き込みを残し、日本で愛され続けるジャッキー・マクリーン。

よく聴かれるのは若いころのものであるが、
それ以降にも止まることなくマクリーンは先へ先へと進もうとしている。
一時期の休息をとり、1970年代に吹き込みを再開。
自分の息子であるルネ・マクリーンら若い世代とグループを組んで活動をしている。
『リズム・オブ・ジ・アース』でもマクリーンはいつものように
いつもの音色を聴かせてくれる。
張りがあり、くっきりとした輪郭線を持ちながらもどこか物悲しい。
星も出ないそんな暗い夜に太く直情的な音色は伸びていく。
老いたのはジャケットに写る写真の姿だけだ。

ただ古い音だけを出しているわけでもない。
トロンボーンに、ヴァイブと大編成を組み、厚みのある演奏を作り上げようとしている。
曲の姿はまるで万華鏡のようにクルクルと変わり、
ジャズという形式を持ちながら、
しっとりとではなくグイグイと前に進もうとするエネルギーがある。

タイトル曲ではしっかりとしたリズムに、
各個のソロがのり、めまぐるしく変わっていくのはまさしく「地球のリズム」だ。
マクリーンのソロは決して長くはないが、
そこにマクリーンの音が聞こえてくるだけで、
最後まで自分の音を出し続けてきたジャズミュージシャンの生き様を聴くことができる。

まぁ、記念ですから…

2010年08月28日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
何度聴いてもその感動が失われないのが、
芸術であり、一段高いところにある作品だと僕は思う。
ことあるごとに取り出しては聴くのだが、
一度聴くと新しい発見があり、
その発見をもう一度確かめたいと聴けばさらに別の発見がある。
迷宮に迷い込んでしまったかのような思いだが、それが不思議とイヤにならない。

マイルス・デイヴィスの『ビッチェズ・ブリュー』生まれたのが1969年。
早40年という月日が流れた。
今年は一年はずれてしまっているが、
記念しての『ビッチェズ・ブリュー・40周年アニバーサーリーボックス』が発売される。
ここ毎年夏頃にマイルスボックス品の発売がされるのだが、
今年は『ビッチェズ・ブリュー』で来たわけだ。

『ビッチェズ・ブリュー』については前にも一度取り上げているが、
僕はブルーレイディスクでも購入した。
正直20世紀の大傑作の一つだと思う。
「じゃあ、何が?」と聞かれると説明は難しいのだが、
言葉で語るよりもまずは音楽にしっかりと耳を傾けてみて欲しい。
「ファラオズ・ダンス」でも、「スパニッシュ・キー」でも
「マイルス・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」でもとにかくどれでも良い。
しっかりと時間をかけて何度も何度も聴いてみてほしい。

一聴しただけでは音の洪水で、何がどうなのか仕組みは分からない。
だが、何度も聴くことによって激しいまでのエッセンスが
漏れだしていることに気づくだろう。
心地よくなるほどに低い位置を流れるベースとドラムの波に、
めちゃくちゃなように思えて、実は一つ一つがしっかりと考え出されている個々の演奏を
そして何よりもマイルスのトランペットの全てを見とおし、
まとめ上げようとする帝王感を。

「アニバーサーリーボックス」迷いました。
でも決めました。何せ世紀の傑作の記念ですから…

ふたを開けなければ、箱の中身は分からない

2010年08月27日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
ある程度珍し物のアルバムを手に入れると
ここで小休止とならないのが、ジャズの恐ろしいところである。
「こんなに紹介されてるのはとりあえず後回しだな」と思ったが最後、
あなた、貴重な機会を逸していますよ(自戒も込めているのだが…)。

ソニー・クリスといえば、
ハードバップリヴァイバル期の作品には濃さがあり、
また凄みもあるためジャズ喫茶でも人気作になっていて早くに購入していた。
逆に60年代のプレスティッジ時代などの作品は、
中古でもよく見かけるので「まぁ、とりあえず後回し」の方に入ってしまっていた。
たまたま『アップ・アップ・アンド・アウェイ』が思ったよりも安値だったため購入。

聴いてみて「しまったなぁ~」と思いましたよ。
何故もっと早く聴いていなかったのか?
1曲目タイトル曲は、もうノリノリで耳にも優しいキャッチーなテーマ。
クリスのアルトが軽やかにアドリブを取れば、ジャズ至福の時である。

同じアルト奏者のジャッキー・マクリーンに比べると
音に空間的広がりがあるというか、少し音がゆるめな感じがする。
マクリーンは音全体がギュッと引き締まった感じがあり、
少々沈むような低めを飛行するが、スッと持ち上がってくるかのような軽やかさもある。
でもクリスのアルトは高めの位置に音があって、
ススッと軽やかに高く飛び立とうと持ち上がっていく。
影響を受けているチャーリー・パーカーのような
すべてを飛び越えてしまいそうな飛来感は無いのだが、
それを目指して奮起するクリスのアルトは生き生きとした響きである。
一方で、その明るさや軽さの裏にしっかりと哀愁感もあり、
ギュギュッと胸を突かれるからたまらない。

2曲目「柳よ泣いておくれ」の緩やかなれども語るべき音をしっかりと出しているところ、
3曲目の「ジズ・イズ・フォー・ベニー」の絡みつくようなマイナー調の音色、
これぞクリスの真骨頂という音がある。
脇を支えるタル・ファーロウのギターやシダー・ウォルトンのピアノが
上手く楽曲全体を束ね、演奏の完成度を上げている。

世の中にはこうやって聴いてみて分かる良い音楽がいっぱいあるのだ。
それはジャズに限ったことではないだろう。
このアルバムに出会えたことへ感謝である。
だからまずは聴いてみなければ分からない。

本当に簡単なプロフィール

2010年08月26日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
ジャズ専門のCDショップやレコード屋に行くと
なるほど、大量のアルバムが所狭しと並んでいる。
この中から限られた資金で選ぶのだから難しい。
普通ガイドブックなどで見て、聴いてみたいと思うものから選ぶだろう。
となると最初は有名どころからおさえていくことになる。

だが、ふっと気になるものが目に入る。
「あれ? この名前見たことがあるけど…」
キラ星のごとく存在するジャズアルバムの中で、少々地味目な輝きを放っている。
いわゆるB級と呼ばれたりもするジャズアルバムだ。
これは有名どころをA級として考えたときのB級であり
決してそのアルバムの内容が劣っているというわけではないので、勘違いのないように。

デューク・ピアソン。
ブルーノートの再発CDが出るたびにピアソンのアルバムも再発される。
有名? でもあまりジャズ喫茶でも流れることが無い。
(Lacujiで途中までは聴いたことがあるのだけど…)
いつも再発されていると、「まぁ、次の機会にでも」と思いながらズルズルと先延ばし。

ようやく手に入れたのがブルーノートに吹き込んだ初リーダー作『プロフィール』。
ブルーノートでは珍しいピアノトリオだ。
商業的には全く失敗だったらしいが、
プロデューサーのアルフレッド・ライオンはとにかく出したくて仕方がなかったようだ。
そんな様子が曲目からも分かる。
オリジナル作収録の多いブルーノートで、ピアソン作は2曲だけ。
表のジャケットには曲名もメンバーも記載されない。
ただ、「リリカル・ピアニスト」とピアソンの宣伝文句が書かれている。
これも珍しい。

内容は…
最初聴いたときちょっと軽い感じがした。
もっとゴリゴリとしたサウンドを期待していただけに、「う~ん」と思う。
だが、何度もリピートをするたびに、
ピアソンの右手に独特のひねりのような感覚が残り、
まろやかながらもコクがあることに気づく。

録音年を見てみれば1959年。
ちょうど『カインド・オブ・ブルー』が出て、ジャズに様々な変化が表れた時期でもある。
ガンガンとピアノを叩くだけではなく、
流れるようなメロディーの線があり、
ブルースでありながらもどこか明るく、ふわ~んとした印象がある。
それが良いのか悪いのかは人それぞれだと思うが、
ブルーノートも新しい音が生まれつつあるような
そんなことをにわかに伝えるアルバムになっている。

これ1枚だけだとどうもピアソンの魅力はつかみきれない。
どうやら後二枚三枚と聴いていく必要があるようだ。