国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

帝王の帝王たる由縁

2009年12月30日 | 喫茶店に置いてある本
今、自分が声を大にして言いたいのは、
「マイルス・デイヴィスはただ者じゃなかった」ということだ。
まぁ、何を今更といった感はあるのだが、
ここ数ヶ月に読んだ2つのマイルスについての本が、
益々この思いを浮き上がらせるのだ。

1冊目が菊地成好、大谷能生共著の
『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスⅢ世研究』である。
壮大なマイルス研究本であり、読み込むには少々根気も必要になる。
東大の講義録とその他様々な企画を混ぜ合わせ構想6年という
まさに「マイルスを研究するための本」である。
このコンビは『東京大学のアルバート・アイラー』など
独自の視点から新しいジャズ論を展開していて、
その語り口は軽妙かつ分かりやすい。
お互いにミュージシャンをやっていることもあり楽曲の切り口も面白い。
特に『ゲット・アップ・ウィズ・イット』の「ホンキー・トンク」と
『オン・ザ・コーナー』の1曲目のメドレーの解説は「なるほど」と思わされ、
聴き返してみると、これまた「なるほど」と納得してしまう。

もう1冊は、『マイルス・デイヴィスの生涯』である。
こちらはジョン・スウェッドがマイルスの言葉や関係あるミュージシャン、
家族などから証言を集め、丹念にその人生に迫っていく。
マイルスには自叙伝があるが、
その自叙伝では微妙な表現で書かれていたところも
第三者の視点から丁寧に解し直し、マイルスの実像に迫ろうとしている。

「オレの音楽をジャズと呼ぶな!」というのはマイルスの言葉であるが、
僕はマイルスを聴けば聴くほど「確かに」と思ってしまう。
コロンビアに移った頃から
マイルスの演奏していたのは「マイルス・ミュージック」だったのだろう。
つまりマイルスによるマイルスだけの音楽。
「ジャズ」という曖昧なジャンル分けにとらわれない
マイルスだけが奏でることのできる音楽。
それがマイルスの作品群なのだ。

と、言葉で語るよりもまずは中山康樹氏ではないが
「マイルスを聴」くしかない。
そこにはジャンルを超えたカッコ良さがあるのだから。

よっ、太っ腹!!(忘年会で忙しい人たちのお腹のことではありません)

2009年12月29日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
もうあと3日となるが、
今年はブルーノート創立から70周年という
喜ばしいには喜ばしいが、どことなく中途半端が漂う年だった。
そのおかげでブルーノートのアルバムを出している東芝EMIが再発を行った
しかもかなりの太っ腹で「1100円」という奇跡的な値段で3回に分けて
50ずつ再発をしてきた。

1回目はみんなが知っているようなアルバムばかりであったが、
2回目から様相が変わってくる。
「ベスト&モア」というタイトルで出されているため
1回目がベストだとすると2回目は全くベストといった感じではない。
むしろジャズを聴いてきた通好みのアルバムがズラリと並ぶ。
中には「誰がこれに手を伸ばすのか?」というマイナー盤もあったが、
それはそれ、ジャズの王道たるブルーノートである。
しかも値段が1100円と、普通のアルバムよりも安価も安価。
これを機に揃えられるものを揃えたいという欲求にとらわれると共に
これは12月に出る第3回も期待できると思っていたら、
案の定、やってくれました!

一瞬、「これは10インチの時のジャケットじゃない?」と思いながらも
思わずのホクホク顔になってしまう。
だって、ケニー・ドリューやウィントン・ケリーの初リーダー作が、
ユタ・ヒップのドイツの時の演奏が、
そして何よりもハービー・ニコルズのブルーノートでの全アルバムが、
とにもかくにも恐ろしいほどマニア好みの第3回なのだ。

ハービー・ニコルズといえば、モンクの演奏にスタイルを学び、
何度もライオンに楽曲を送ったが無視をされ続け、
ようやく3年後に録音の機会を得たという不遇のピアニストでもある。
ピアノの音色はどこかくすんだ重みがあり、演奏も独特の跳ねっ回りがある。
あまり知られていないニコルズだが、
今回の再発を期にぜひとも聴いてみてはいかが?

シダー・ウォルトン来日す!

2009年12月28日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
村上春樹の『意味がなければスイングはない』(文春文庫)の
トップバッターを飾るのはシダー・ウォルトンである。
村上氏は、彼のことを「マイナー・ポエト」と称している。
まぁ、この本を読んだ人で、ジャズを全く知らなければ
「シダー・ウォルトンとは何者?」と想像するのは難しいだろう。

僕がシダーの魅力に取り付かれたのは、
アル・ヘイグの『インヴィテーション』1曲目の「ホリーランド」である。
シダー作曲で名曲として名高い。
その耽美で流れるようなメロディーを
アル・ヘイグのような自己破滅的なピアニストが演奏すると益々美しい。
この曲から僕のシダーびいきが始まる。

ここに拍車をかけたのが
アート・ブレイキーの『モザイク』である。
これもタイトル曲がシダー作曲である。
あのジャズメッセンジャーズの興奮する演奏を
上品にだが野性味を欠くことなくまとめている。

と、ここまで作曲家としてのシダーについて触れてくれば
村上氏が「マイナー・ポエト」と称した理由も分かってくるだろう。
シダーの凄いところは、その作曲した本人がどう演奏しているのかと思わせ
興味を抱かせてしまうところにある。
「ホリーランド」も「モザイク」もシダーリーダー作で聴いてみれば、
これまた言うことなしの快演である。

そしてそのシダーが新しいアルバムを出した。
『ヴォイシーズ・ディープ・ウィズイン』
ここにもシダー節がちりばめられている。
とにかくシダーの演奏は「カッコイイ」フレーズが多いのだ。
シダー作曲では曲までカッコイイ。
ちょっと聞き易すぎるので軽く感じないわけでもないのだが、
そこら辺のピアノトリオよりもグッとフレーズに痺れるのだからやっぱりイイ!

そんなシダー・ウォルトンが年明けに来日するのだから
これはもう絶対に聴きに行くしかない!!

ちょいと体調を崩しまして…

2009年12月27日 | マスターの独り言(日々色々なこと)
年末年始のこの忙しい時期に
ちょっとした気のゆるみからか、
体調を崩してしまった。
最初は今流行りの「新型?」という疑いが出るほどの
関節痛と発熱であったが、
実際検査をしてみると陰性。
かかりつけのお医者さんも「限りなく症状はインフルなんだけど…」と
首をかしげるが、とりあえず解熱剤と抗生物質を処方。
「これで熱が下がらなかったら、また来て」と言われたが、
次の日には無事に熱も下がり、ほっとしている。

休んでいる間は音楽など聴く気にもなれなかったが、
熱が下がってくると横になっている時間が暇になる。
I-Podを取り出して、結局はジャズを聴くことになった。
普段よりも音量を下げて聴いたのだが、
まぁ、集中するのが耳元の音しかないため
いつもよりも明確にメロディーラインを追い、
アドリブでもよく音についていって、日頃よりも聴けていた状態だ。

仕事が忙しいと
ついつい「ここらで熱が出て、遠慮無く寝込みたいなぁ」などと思ってしまうが、
実際に寝込むことになるとそれはそれで不自由になる。
おかげで最長ブログ不更新日数が増えてしまったわけだ。
明日からはまた通常通りジャズ漬けの日々が始まる…かな?

小さな悩みですが…

2009年12月23日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
今日も申し訳ないがジャケットから話に入る。
この人のスーツと黒縁眼鏡から想像できる職業は、
決してジャズミュージシャンではなく、
どこかの公務員(しかも係長ぐらいの)である。
紳士的な「親戚のおじちゃん」をイメージしてしまうほど
「ジャズ」の3文字からはかけ離れた写真だ。
口髭の生え方がなんとも言えないんだ。

ジョーヘンことジョー・ヘンダーソンは、
新主流派としてブルーノートに多くの作品を残している。
同時期テナーマンとしてコルトレーンのパルスに満ちた演奏があったため
テナー奏者としてどうしても霞んで見えてしまう部分もあるが、
演奏は当然ながらコルトレーンよりも聴きやすい。
(目指ものは違っていただろうが…)
新主流派のころのブルーノート作品を見てみるとジョーヘンの名前は多く、
テナージャズメンとしての評価は高かったわけだ。

今日の1枚は、ブルーノートではないのだが、
ジョーヘンのワンホーンでの代表作『テトラゴン』である。
1曲目、いきなり「インヴィテーション」からくる。
僕の好きな曲だ。
静かにドン・フリードマンがイントロを奏でる。
そこにジョーヘンの「ヴォアヴォア」テナーが入り込み、
美しくも怪しいテーマを丁寧に力強く吹き込む。
ベースがロン・カーター、ドラムがジャック・デジョネットと
豪華メンバーが安定感のある演奏を繰り広げ、全体を引き締めている。

4曲目はタイトル曲であるが、
ここから(おそらくLPのB面から)は、
ピアノにケニー・バロンが入っている曲も並んでいく。
これまた4曲目からの流れもいいのだ。
ジョーヘンの自由闊達な演奏は最後まで続いていく。
サイドの良さもこのアルバムの魅力だろう。

1曲目から行くか、それとも4曲目から行くか。
このアルバムを聴くときはいつもそれを悩んでしまう。