国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

新しい音楽との出会いを求めて

2011年07月29日 | マスターの独り言(ライブのこと)
どうにかこうにか仕事を終わらせて、
今、準備が終わり、
いよいよ明日からフジロックへ参加だ。
今年は2日間というハードな参加になるのだが、
どうも新潟の方は天気が不安定らしい。
とはいえフジロックはそんなことを吹き飛ばしてしまうほどのイベントである。

音楽というのはいつも同じものを聴いていれば
それはそれで楽しいだ。
だが、『いーぐる』の連続講演でもそうなのだが、
新しい音楽に出会うというのは、何とも言えず新鮮な気持ちになる。
世界中に僕らが全て出会いきることができないほどに音楽というのはあることを
思い知らされる。
フジロックはロックとは名目が付いていても、
実際にはそのミュージシャンは多岐に渡る。

新しい音楽と出会うと言うことは
それだけ新たな世界が待っているということなのだ。

仕事の都合で

2011年07月27日 | 休業のお知らせ
今週末はいよいよフジロック!
もちろん心は躍るけれども、
その前に終わらせておかなければならない仕事がある。
だいぶ調子が上がってきたので多分終わりはするのだろうけど、
でも、そのためには別の物を切らなくてはならないのも、
また事実。
ということでジャズを聴いているヒマがない。

そんなわけで今日はブログもお休み。
またのお越しをお待ちしております。

だって好きなんだからしょうがないじゃないか!

2011年07月26日 | 喫茶店に置いてある本
村井康司氏の『ジャズの明日へ』(河出書房新社)のP87を読んでみて欲しい。
ブルーノート・レコードのあるポスターについて解説をしている。
そのポスターには美女が寝そべり、近くにレコードが散らばっている。
近くには携帯用のレコードプレイヤーがあり、
美女がセシル・テイラーの『コンキスタドール』を持っている。
これを見たとき、ジャズ好きであれば「あぁ、なるほど」と頷いてしまうほどの
違和感バリバリのポスターなのだ。
その解説が件の本に書いてあるというわけだ。

さて、本題はそちらでない。
今月の『JAZZ Japan 12号』の表紙を御覧あれ。
『スイング・ジャーナル』時代から並んできた
いかめしい顔のジャズ・ミュージシャンではない。
(もちろん全てのジャズ・ミュージシャンがいかめしい顔ではないことを注しておく)
「アッキーナ」こと、南明奈嬢である。
「ジャズ雑誌に南明奈!」といういわば
世紀の大発想的な大騒動になってもおかしくない表紙なのである。

もちろん本紙内で「私、ジャズ聴いてました」的な発言は一切無い。
つまり編集側のある意味「表紙にしてみたかったから」という
何とも直結的欲望の結果だと思う。

実は僕はこの表紙になることを事前に知っていた。
この後ろに写るレコード屋にはよく通っているし、
Twitterでも次号の表紙が写真でアップされていた。
僕はこういう無謀とも言える、しかし欲望丸出しの企画が大好きだ。
確かに「アッキーナ」は日常的に
『クール・ストラッティン』のTシャツを着たりしないだろうし、
ハンク・モブレイのアルバムを手にとって、
「今日の気分はモブレイ」なんて言わないだろう。
そんなミスマッチとも言える人選を「とにかくやってみよう」と思った
『JAZZ Japan』の編集部に拍手喝采である。

こういう冒険は大いに必要である。
先日もあるレコード店のマスターと話をしたのだが、
マイルスと言えばプレスティッジだけしか聴かない人がいるそうだ。
まぁ、それはそれでいいのだ。
だが、マイルスを全部(全部は無理だとしても一通りは)聴いてみて、
それから結論を出したって良いと思う。
音楽というのは知らないものと出会うことが楽しいのだし、
アルバムを追うことでそのミュージシャンの人生が見えてくる。

今回の表紙に「なぁに、アイドルなんか使っているのか」なんて思う人もいるだろう。
いいじゃないか。
こういう胸のドキドキするような冒険を僕たちはきっと心の中で待っているはずだ。

たまには幸福があちらこちらに

2011年07月25日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
「夏は海だ、山だ、サマージャンボだ」と俳優の西田敏行が歌い上げる。
こちらの突っこみをまるでお見通しと如く
「って、ちょっと強引だったでしたか~」とくるもんだから、
なかなか上手いCMだ。

僕は宝くじを買わない。
買って当たる「夢」はいくらでも見るのだが、
結局は当たらないのが自然だからである。
それでも買わなければ当たらないのだが、
「紙くず」同然を買うのならばやっぱりジャズの1枚でも買った方がいいだろう。

ただ、この人のジャケットを持っていると
何となく当たりそうな気がするほどラッキーな気持ちになる。
何せラッキー・トンプソンである。
たまに妙な名前の人を見かけたりもするが、
「ラッキー」と付けて似合うのは西洋系の人か、それとも名犬ぐらいなものである。

今日のアルバムはラッキー・トンプソンの『ラッキー・ストライクス』である。
ラッキーの上に、ストライクとど真ん中を狙い打つかのような
幸運びっくりアルバムだ。

まぁ、そもそもラッキー・トンプソンが何者かというのは
僕にはよく分からない。
でも、テナーやソプラノサックスを鳴らしていて、
しかも随分長く活躍をしていることは何となく知っている。
知ってはいるが、日常的に取り出して聴く人ではないだろう。
だからといって聴かないのももったいない。
1曲目はあの名曲「イン・ア・センチメンタル・ムード」である。
ハンク・ジョーンズが「ポロポロポロ」と可憐なピアノを弾けば、
そこに柔らかく、ゆったりとたゆたうようなソプラノサックスがメロディーを聴かせる。
伸びやかに歌うラッキー・トンプソンのソプラノは、
「ああ、ジャズっていいもんだなぁ」と納得させるほどの幸福感が生まれる。
ハンク・ジョーンズとの呼吸も良く、上質な演奏だ。

って、やっぱりネタとしては強引でした?

もし、ジャズを聴いたことがない人に、「ジャズを聴かせて」と言われたら(もしジャズ) 4

2011年07月24日 | マスターの独り言(日々色々なこと)
いろいろと音楽を聴く人でも新たなジャンルを解決するのは難しい。
最初の1枚というのが難しいからだ。
例えばどこか大手のCDショップに行って、
ジャズ売り場を見てみれば大量のCDが並び、
しかもその背が日本語ではなく読めないという物がたくさんある。
ジャケットからではさすがに中の音が聞こえず、
どれを買うのか迷っているうちに、そのジャンルを聴く意義さえ消えてしまうだろう。

僕は「ジャズを聴かせて」と言われたら、
とりあえず迷ったフリをして、結局この2人のアルバムを出す。
マイルス・デイヴィスとビル・エヴァンスだ。

今回、ガナさんには先にマイルスの『アガルタ』を出した。
これは前のH君の時とは逆である。
ガナさんはロックをかなり聴き込んでいる。
ジャズというとアコースティックのインストゥルメンタルというイメージが強い。
そこで「これもジャズ」という観点からマイルスの『アガルタ』をかける。
やはりエレキの音はガナさんの耳には意外に思えたようだ。
ギターのピート・コージーとレジー・ルーカスはかなりロック調の演奏をしている。
マイルスから「ジミヘンのように弾け」と言われているため、
このころのマイルス・バンドはロックの人が聴いても抵抗は薄いだろう。

次にエヴァンスの『ワルツ・フォー・デビィ』をかける。
こちらはレコードでいく。
前にガナさんが聴いたときとはフォノアンプも針もフォノケーブルも違う。
やはり機械が違うと音も変わる。
1曲目の「マイ・フーリッシュ・ハート」で水を落とすかのような静かな演奏の後、
2曲目のタイトル曲でテンポが変わり、華やかに駆け抜ける様子が
かなりガナさんの耳に残ったようだ。

事実、聴き比べてみると『アガルタ』の方は「聴いたことがあるっぽい」、
『ワルツ』の方は「音がかなり良くって、新鮮」という評であった。
今までロック調の物は数多く聴いているため
例えマイルスが先に録音していたとしても、
それは「聴いたことがある」物になってしまうのは納得がいく。
一方でアコースティックである方が今まで聴いたことが無く、
ジャズとしての音を聴いている感じがしたようだ。

最後にジョン・コルトレーンの『ソウル・トレイン』の
5曲目「ロシアの子守唄」をかける。
コルトレーンの「シーツ・オブ・サウンド」を象徴するかのような
空間に敷き詰めるテナーの高速射出音と
対比するかのようなレッド・ガーランドのガッチリとしながらも粘り強いピアノは、
ジャズの中ではかなりスゴイ演奏だと思う。
やっぱりガーランドのピアノはエヴァンスと違う部分もガナさんには分かったようだ。
だが、レコードの方が音が良いと言う。

大物でがっちり固めたが、やっぱり聴いたことない演奏法に興味わくようだ。