国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

月の出ない雨の夜に

2012年09月24日 | ビル・エヴァンスについて
ここのところ天候が良くなく、ドシャッと雨が降ったりする。
これが世に言う地球温暖化の影響だとすれば、
今後ますます雨はドシャッと降り続けてしまうのだろう。

さて、9月といえば中秋の名月であるが、
こんな天候が続くとなればそれも果たして今後ちゃんと観られるのかどうかも怪しい。

そんな中でおそらくエヴァンス中最も美女ジャケ率度が高いのが
『ムーン・ビームズ』である。
画面に寝そべるように写っているのはロックに詳しい人ならば、
ベルベット・アンダーグラウンド&ニコのニコであることが分かるだろう。
元々モデルであるため、彼女がジャケットに写っているのことには違和感は覚えない。
だが、エヴァンスの中で美女ジャケというのは数が少ない。
その中でも秀逸なのが『ムーン・ビームズ』であるわけだ。

そのタイトルとジャケットは、人に安易にバラード集を思い浮かべさせる。
同日に多数の曲が録音されているが、
『ハウ・マイ・ハート・シングス』にアップテンポ系の曲を
『ムーン・ビームズ』にバラード曲を振り分けて発売した。
つまりジャズに珍しく、ジャケットと曲の印象とタイトルの雰囲気が一致したものでもある。

僕は正直このアルバムはよく分からない部類のものであった。
元々歌系のバラードは好きであるが、ジャズ系のバラードには少々飽きを覚えてしまい、
結果として散漫に聴いてしまうことが多いのだ。

だがこうして雨の夜にちょっと耳を貸してみる。
エヴァンスの訥々としたピアノの語り口はどうだろうか。
適度な盛り上がりをもち、かといって情緒的にもなりすぎず
ゆったりとした時間と空間を作り出していく。
何よりも録音初参加のチャック・イスラエルズの朴訥したベースがいいのだ。

名月が雲に隠れる夜に、美しき女性とメロディーの月の光に酔いしれるのもまた一計

エヴァンスのラスト・トリオ 最後の挑戦の幕開け

2012年08月30日 | ビル・エヴァンスについて
ブログをやっていなかった間、全くジャズを聴かなかったわけではない。
特にビル・エヴァンス関係には目を配っていて、
それなりに音源を集めていた。
特に『ライヴ・イン・ブエノスアイレス1979』が出たときは、
狂喜乱舞であった。

この音源は色々とネット上でも見かけたことがあるのだが、
どれも廃盤扱いになっていて、値段が高騰していたため
再び出ているということを知り、即購入した。

このアルバムは現在のところ
公式ではないのだがラスト・トリオでの最初のレコーディングアルバムとなっている。
1979年1月にラスト・トリオが結成され、
それから約9ヶ月後の9月にブエノスアイレスで録音されている。
2枚組がばらばらに発売されているのだが、
やはりラスト・トリオの実態を知る上で欠かすことのできないアルバムと言えよう。

ポイントは4月にエヴァンスの兄、ハリーが自殺をしている。
その訃報でエヴァンスはしばらく演奏が不可状態になり、8月にようやく復帰。
ワーナーで『ウィ・ウィル・ミート・アゲイン』をスタジオ録音している。
1月から4月までのトリオでの演奏音源がまだないことと、
この『ウィ・ウィル・ミート・アゲイン』が管楽器を入れたものであるため、
実質ブエノスアイレスのライヴがトリオの市場に出ている初音源となっているのだ。

この頃のエヴァンスはライヴでトリオだけではなく、
ソロやベースとのデュオも入れている。
ジョー・ラ・バーベラもその流れには少々の不満があったそうだ。
エヴァンスがこの1年後に演奏がほとんどできない状況になってしまうとは考えていなかっただろうが、
エヴァンス自身はキャリアのまとめに入った感のあるセットリストであると思う。
エヴァンス=トリオという考え方は一部分で、
エヴァンスはピアノでの表現力の追求を深めていっている。
それは膨大に並ぶ(時には愚作とも言われるが)音源類を聴けば分かる。

そして残っていった曲をさらに毎夜のライヴで違ったアプローチでくずしていく。
そのスタートラインに近いのがこのアルバムだろう。
エヴァンスはのっている。
1ヶ月前に失意の底から復帰していたとは思えないほどの集中力で音を紡ぐ。
それはビル・エヴァンスという人がピアノで何が残せるかに挑戦した一年の幕開けである。

春が来たから

2012年04月01日 | ビル・エヴァンスについて
4月になった。
3月末までの少々不安定な気候から、いよいよ温かな日々が続くようになる。
福音館書店から出ている『魔女の宅急便』(角野栄子著)では、
春を招こうと街に楽団が呼ばれるのだが、
そこで楽器を列車に置き忘れてしまい、それを魔女のキキが取りに行くという話がある。

そう、春の訪れは音楽とともにやってくるというわけだ。
この心が浮き立つような気候にあった曲がある。
ビル・エヴァンスの『ハウ・マイ・ハート・シングス!』から
タイトル曲の「ハウ・マイ・ハート・シングス!」である。
和訳にすれば「どうして私のハートは歌うのだろう!」
(もしくは「なんて私のハートは歌うのだろう!」であろうか?)となる。
その名の通り、心が弾むようなワルツ形式の楽曲である。

作曲者はアール・ジンダースで、彼の婚約者のためにこの曲を作り、
婚約者がタイトルを付けたというエピソードの通り、
明るさと華やかさがある。

このころのエヴァンスはファースト・トリオの崩壊とドラックの影響により、
ほぼまともに演奏ができない状況を脱し、
徐々に復活へ向けての準備をしていた時期でもある。
新ベーシストにチャック・イスラエルを向かえ、
初のレコーディングアルバムがこれと同日の『ムーン・ビームス』である。

しかも「ハウ・マイ・ハート・シングス!」は一番最初に録音されている。
それまでの廃人エピソード溢れるエヴァンスから想像できないほどの
生き生きとした演奏は、冒頭のピアノの音から伝わるだろう。
鍵盤の上を滑り出すエヴァンスの指は慎重さと緊張感をもちながらも
「たたたん」と軽やかに弾み出すメロディーに喜びを感じ取ることができる。

ポール・モチアンの静かで技巧的なシンバルワークとブラシは、
静寂とともに弾みを与え、イスラエルのベースは安定したラインを形成する。

晩年近くまでエヴァンスはこの曲をレパートリーに入れている。
実は最初に録音されたこのアルバムのアレンジが一番ゆったりしていて、
その後少しずつピッチが上がっていくのだが、
それは拍子と間を自在に行き来し、曲を構成させていこうという
エヴァンスの生涯をかけた工夫へとつながっていく。

ここら辺はあまり聴かれていないエヴァンスなのだが、
ぜひ春の訪れのお供に1枚加えては…

『ポートレイト・イン・ジャズ』について語ろう 7 新たなピアノ・トリオ形式の誕生と補足

2011年08月28日 | ビル・エヴァンスについて
8番目に録音されたのが、今ではスタンダードナンバーとして知られる
「サムディ・マイ・プリンス・ウィル・カム」
ディズニーの『白雪姫』のテーマ曲である。
エヴァンス自身がディズニー好きということも選曲の理由だろう。
デイヴ・ブルーベックが
1957年に『デイヴ・ディグズ・ディズニー』で取り上げている。
ウィキさんで調べてみると映画の公開が1937年ということで
約20年後にブルーベックが演奏し、その2年後にエヴァンスが取り上げたことになる。
これがきっかけというわけではないだろうが、
この演奏をライブで見たマイルスが、
のちに自分のアルバムでも取り上げ、自身の妻をジャケットにしている。
実はマイルスとエヴァンス・トリオとの共演も決まっていた節があり、
ライブを通してエヴァンスとマイルスとの交流は続いていたのだ。
エヴァンスはその後「アリス・イン・ワンダーランド」も演奏し、
ディズニー曲をスタンダード化している。

最後の9番目に「ホエン・アイ・フォール・イン・ラヴ」を録音する。
この2曲はそれまでのアップテンポとはうって変わって
エヴァンスの曲がれるような旋律とトリオの演奏を楽しむためのものである。
じんわりと岩に染みいるような水滴のごとく静やかでかつ芯のある演奏は、
新たなピアノ・トリオの形式が1つにまとまってきていることを表しているようだ。

録音はおそらく半日前後で終わってしまったと思われる。
3人に支払われたギャラは約250ドルほどで、それを分け合った後に
解散ということになったとされている。
のちに名盤と呼ばれようとこのころのギャラはこの程度であったわけだ。

さて、補足である。
実はザ・ファースト・トリオと呼ばれるほどの伝説を持つトリオだが、
実際にスコット・ラファロ自身はトリオの正式メンバーとしての認識が
あったかどうかである。
このころはマイルスのように定着したグループを持つというのは珍しく、
あとはミュージシャン達の気心一つでつながっていた。
スコット・ラファロもエヴァンスとの演奏は非常に大切に思っていたし、
それを優先させようという意識もあったことは分かっているのだが、
実際には同時期にスタン・ゲッツのバンドでも演奏をしている。
ゲッツからもラファロはレギュラーとして誘われていて、現実に演奏もしている。

もう一つ、実はエヴァンスがリヴァーサイドと正式に専属契約を結んでいなかった。
もしくはオリン・キープニュースが結ばなかったという状況がある。
1959年に『カインド・オブ・ブルー』が録音されたが、
キャノンボール・アダレイとウィントン・ケリーは
オリン・キープニュースからコロンビアに送った手紙の中に
録音に参加することの許可とリヴァーサイドのクレジットを入れることが書かれている。
たった1曲しか参加をしないウィントン・ケリーについては言及され、
4曲も参加しているエヴァンスについては何も書かれていない。
つまり1959年の時点でエヴァンスは
リヴァーサイドの専属ミュージシャンではなかったという様子が見て取れる。

そんな現状がラファロにとってエヴァンスとのみに演奏に専念するという
意欲を持たせなかったのかも知れない。
まぁ、当時としては金銭のため複数のセッションに参加するのは当たり前であったが…

何はともあれ1959年の年末に新しいピアノ・トリオが生まれた。
やがてその形式はジャズ界に大きな影響を与えることになるのだ。


「『ポートレイト・イン・ジャズ』を語ろう」では以下の文献を参考にしました。
○『ビル・エヴァンス-ジャズ・ピアニストの肖像』
    ピーター・ペッティンガー 著 相川京子 訳    水声社
○『ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄』 中山康樹 著 河出書房新社
○『新・エヴァンスを聴け!』 中山康樹 著 ゴマ文庫
○『カインド・オブ・ブルーの真実』
    アシュリー・カーン 著 中山啓子 訳 中山康樹 日本版監修
                   プロデュース・センター出版社
○『定本 ビル・エヴァンス』 ジャズ批評編集部・編
○『超ブルーノート入門』 中山康樹 著 集英社新書

なお、「『ポートレイト・イン・ジャズ』を語ろう」についての文責は
このブログを書いている者にありますので、ご理解ください。

『ポートレイト・イン・ジャズ』について語ろう 6 マイルスの演奏を越えようとした曲

2011年08月27日 | ビル・エヴァンスについて
ミュージシャンは時にそのエピソードを劇的なものにしようと
いろいろと「かます」場合があり、事実なのかどうなのかの判断は難しいことがある。
エヴァンスがマイルスに誘われたときのエピソードも
マイルスの語っているものとエヴァンスの語っている内容は違っている。
「きちんと彼には会ったことがなかったが、ある日電話が鳴り、
 受話器を取って『もしもし』と出ると、
 『やぁ。ビルか? マイルス-マイルス・デイヴィスだ。
  週末フィラデルフィアっていうのはどうだ?』と言うんだ。
  まるで-わかるだろう?-気絶しそうだった。」
とエヴァンスは回想している。
マイルスはブルックリンの「コロニー・クラブ」でエヴァンスを連れてこさせて、
演奏をさせ、それから雇ったと言っているのだが、
とにかくマイルスがエヴァンスに注目していたことが分かる。
そうでなければ“黒人”のマイルスが
“白人”のエヴァンスをバンドに誘うということは無いだろう。
かつ、マイルスは人種に関係なく自分の求めるサウンドを追求していたことも分かる。

エヴァンスがマイルスのバンドに参加をしたのが1958年の4月である。
その1ヶ月前にマイルスと同じバンドにいたキャノンボール・アダレイは
ブルーノートに曲を録音した。
そのアルバムはマイルスの契約上キャノンボール・アダレイがリーダーとなっているが、
プロデューサーのアルフレッド・ライオンでさえも認めてしまうほど
マイルスの作品であった。
そのアルバムの名は『サムシング・エルス』で、1曲目が「枯葉」である。
メンバーはマイルス、キャノンボール以外が、
ハンク・ジョーンズ(ピアノ)、サム・ジョーンズ(ベース)、
アート・ブレイキー(ドラム)とレギュラーバンドではない。
だがリズムセッションは百戦錬磨のハード・バッパー達である。

「枯葉」はハンク・ジョーンズとサム・ジョーンズのゴリゴリッとした音で幕を開ける。
まさに「黒い」といった感じのする音だが、
その後にマイルスがミュートで抑えたテーマを吹く。
その対比がまさにマイルスサウンドの妙技だと思う。
もちろん「リーダー」のキャノンボール・アダレイのソロも「さすが!」である。
だがやはり影に“ボス”の姿が垣間見られるのだ。

さて、エヴァンスである。
『ポートレイト・イン・ジャズ』の7曲目、「枯葉」を録音する。
元リーダーだったマイルスのアルバムをエヴァンスが聴いていないとは思えない。
『サムシング・エルス』の情緒溢れるスローな演奏は、人々の心をとらえて放さない。
ならば、それと拮抗する演奏をするには…
演奏はじめのエヴァンスのピアノを聴けばそれが分かる。
つっかえるように、音節がブツブツと切れるように
それでもスリリングなソロで電光石火の如く切り込む。
方法は単純だ。マイルスがスローであったならば、その逆を行く。
『ポートレイト・イン・ジャズ』の中でアップテンポの演奏だろう。
7曲目にもなり、3人の呼吸もかなり揃っている。
それぞれが楽器で会話をするように、空間を音で埋め重ね、
原曲の魅力を最大限に引き出している。
ラファロとエヴァンスがピアノとベースでやりとりしている間に、
モチアンが邪魔をしないように、それでも的確なリズムを作り出している。
3人は一気呵成に曲を練り上げ、息をつく間も与えずにスリリングに曲を閉じる。

『サムシング』の方では、ジョーンズ兄弟がピアノの音をコロコロッと転がし、
ベースの音でアクセントを付け、最後にマイルスがもう一吹きする。
だが、『ポートレイト』では3者が「ここで終わり!」といったように
カッチリとした閉じ方をしている。

ところが何がどう間違ったのか、ステレオ録音する予定だったのが、
モノラルで録音されてしまった。
そこでプロデューサーのオリン・キープニュースは再度ステレオでの録音をする。
テイク2の演奏ではテイク1よりも若干バンド力が落ちている。
その変わりにエヴァンスの演奏はテイク1よりもノッている。
後テーマで自信ありげに、間をしっかりと取って歌い上げるエヴァンスは、
新しい「枯葉」の演奏を創り上げ、このアルバムの中核を作った。