国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

音楽は何を聴こうと個人の自由だ。でも世界を広げるには知識と勇気が必要だ!

2011年10月31日 | マスターの独り言(日々色々なこと)
昨日、下北沢にある『音倉』というカフェで、
『ジャズとワールド・ミュージックの微妙な関係』というイベントに参加をしてきた。
これは僕がよく行く四谷のジャズ喫茶『いーぐる』の連続講演と
『音楽夜噺』という世界各国についての音楽を語るイベントが
共同開催という形で行われた。
29日、30日と2日間連続で行ったのだが、
僕は仕事の都合で30日にだけしか参加ができなかった。

ここのところ『いーぐる』の連続講演でも
ジャズに限らず世界各国の音楽とジャズとのつながりについて考える
イベントが多くなってきている。
これはひとえにジャズが単にアメリカのニューオリンズで
発生した音楽であるという定説を再度検証し、
より広い視野からジャズという音楽をとらえると共に
もっといろいろな音楽にふれてみようという試みが行われていると考えられるだろう。

僕は普段ジャズを中心に聴く。
もちろんそれはジャズという音楽が僕に与えてくれる様々な刺激や
そこから考えさせられることが多分にある。
それと同時にジャズという音楽が持つテイストや変化、多様性が好きなのだ。

だが、聴くのはそれだけかと言われると最近はそうでもない。
ジャズで耳を鍛えることで、他の音楽も違った聴き方ができるようになってくる。
テレビなどで流れているポップスなども
歌や踊りにだけ目をとられるのではなく、
その背後に流れている高低音や楽器の音なども聴き取れるようになってきた。

そもそも僕にとって音楽とはジャズが最初ではない。
中学生の時は当たり前のようにB’zやミスター・チルドレンを聴いた。
サザンも聴いたし、中島みゆきやさだまさしも好きだ。
高・大学生でビートルズに目覚め、ビーチ・ボーイズに感情を映し見た。
つまりジャズに到達するまでの僕の音楽人生もあるのだ。

クラシックもロックも聴いた。ヒップホップはよく分からないなりにも聴いている。
沖縄音楽など自分でやったりもしている。
音楽のジャンルを超えることでジャズもまた違って見えてくる。
ならばワールド・ミュージックだって聴くことに挑戦してみてもいいだろう。

せっかく専門家たちが集まり、話が聴けるのだ。
もちろん音源も!
ならば「行くしかない!」と人生2度目の下北沢に足を運ぶことになったわけである。

光あるところには、また影も生まれる

2011年10月28日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
大量にCDがあるとどこに何があるのだが忘れてしまう。
同時に、ブログを3年近くやっていると
「あれ? このアルバムって書いてたっけかな?」と自分の書いた物も忘れてしまう。
そんなダブルで忘れていた超有名盤があった。

アート・ペッパーの『ミーツ・ザ・リズム・セッション』である。
「リズムセッションと出会う」とあるが、
このリズムセッションとは当時のマイルスのリズムセッション隊である。
白人のアルト奏者アート・ペッパーと黒人たちのリズムセッションが
織りなす上質なジャズアルバムである。

これは僕がジャズを聴き始めたころにすぐに買ったアルバムでもあり、
ジャズの「いろは」もよく分からない僕でもかなり聴きやすかった。
ときおり居酒屋で
このアルバムの1曲目「ユード・ビー・ソウ・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」が
かかったりもするほどの名演でもある。
アート・ペッパーの艶のあるアルトの音色が
それまで黒人のジャズだけであった僕に別の音を聴かせてくれた。

この録音の当時のアート・ペッパーはかなり「イッテ」いた。
そのため自分がどんな演奏をしたのかはおろか、
そのセッションをドタキャンしようとまでしていた状況であったそうだ。
かろうじてセッションに参加をするも、当人に記憶がないほどの状態であり、
結果ジャズ界に残る名盤が生まれてしまうのだから面白い。

そんな状況のアート・ペッパーだからこそアルトからにじみ出る音色は
どこか影があるのかもしれない。
5曲目の自曲「ストレート・ライフ」で
軽快にフィリー・ジョー・ジョーンズと飛ばし合うペッパーは
明るく照らされながらもその足下に強く影が写るほどに混沌としている。

後に「なかなか良い演奏だ」と語るペッパー。
身から立ち上る狂気は、ジャズという音楽の業の深さを感じさせる。

トロンボーン独走の1枚

2011年10月27日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
トロンボーンという楽器がジャズにおいて中心だったのは随分と昔のことである。
もちろん今でもジャズ・ミュージシャンの中にはトロンボーンを演奏する人もいるが、
やはり昔ほど注目を集めているとは言い難い。
トロンボーンの地位が下がってしまった原因とされているのが、
やはりビ・バップの流行だという。
それまでのスイングやビック・バンドではトロンボーンの場所は、
それなりに確保されていたし、十二分に活躍もしていた。
だが、ビ・バップが流行ると、
早く刺激的な音にトロンボーンがついていくことができなくなってしまったため
残念なことに目立たなくなっていってしまったというのがよく言われている。

僕も進んでトロンボーンのアルバムを買うかといえば、
そうではないし、進んで聴くわけではない。
でも、全く嫌いというわけでもなく、それなりに気になれば買っている。
今日の1枚はそんなトロンボーンの名盤からだ。

カーティス・フラーの『ザ・マグニフィセント・トロンボーン』である。
これは『いーぐる』でたまたま耳にして、即購入に走った1枚である。
カーティス・フラーのトロンボーンは時に刺激的で、時に官能的で
まさにトロンボーンという楽器を知り尽くしたかのように演奏をする。
特にこのアルバムのB面は秀逸で、
「サムタイムズ・アイ・フィール・ライク・ア・マザーレス・チャイルド」での
たっぷりと情緒あふれる演奏は、
トロンボーンというゆったりとした音域でしかかもしだせない演奏になっている。
対して「ティバッグズ」での鋭いながらも滑らかな演奏もたまらない。
締めの「アイ・ラヴズ・ユー・ポギー」では、軽やかにスイングしながらも
胸を突くような柔らかさが心地よい。

このアルバム以来、カーティス・フラーと見ると
ついつい買ってしまうほどのトロンボーンなのだ。

たとえキリマンジャロが登れなくとも、ジャズの高みに登りつめるマイルス

2011年10月26日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
最近、音楽評論家の中山康樹氏が取り上げている
「ジャズからヒップホップへ」の考え方の裏付けを探すわけではないが、
あれこれとアメリカ音楽史やら黒人音楽についてやらの本を読んでいる。
とはいっても本からでは音が聞こえないため、
やっぱりその音楽を実際に聴いてみることが必要となってくる。

中山氏といえばマイルスなのだが、
マイルスの長い音楽生活の中、ジャズを基盤に様々な形態の変化が見られるのは
ジャズを聴いたことがある人ならば、少しは知っていることだろう。
「モダン・ジャズの歴史はマイルスを追えば分かる」と言われるほどに
マイルスの音楽遍歴は多様だ。
そんなのだから聴いてすぐに分かるものもあれば、実はよく分からないものもある。

『キリマンジャロの娘』はよく分からない方の部類だ。
そもそもジャケットのタイトルがなぜかフランス語になっており、
ジャケットに写る写真はマイルスの当時の恋人であるベティ・メイブリーだ。
彼女が『キリマンジャロの娘』というわけではないのだが、
なぜか「キリマンジャロ」なのだ。

このアルバムはちょうどマイルスの黄金のクインテットが終わるころのもので、
5曲中の3曲は黄金のクインテット、
最初と終わりの曲はチック・コリア、デイブ・ホランドと
新進気鋭のピアニストとベーシストに変わった演奏である。

今までこうした下情報が無く何気なく聴いていたのだが、
メンバーを確認して、もう一度聴いてみるとマイルスの音楽が
急速にジャズの分野から抜け出そうともがいているのが伝わってくる。
5曲目の「マドマーゼル・メイブリー」では、
どこかで聴いたことのあるメロディーだなと思っていたら、
どうもジミ・ヘンドリックスの「風の中のメアリー」なのだ。
マイルスの変化が聴き取れてくると、あとは音楽にドップリ浸れるだけだ!

アルバム来歴記 「堂々巡りの結果、やっぱり我が家に収まってしまうのだ」

2011年10月24日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
ここ何週間か、非常に気になっているアルバムがあった。
カーメン・マクレイの『アフター・グロウ』である。
元々ジャズ・ヴォーカルは未踏の地に近いのだが、それなりに王道は押さえている。
だからといって積極的に買うわけではない。

『アフター・グロウ』は、
前に一度新宿のディスクユニオンで店内でかかっていたのを聴いたことがある。
店内にかかっているもので「おっ!」と思えるものはかなりのものだ。
何せ店内は騒々しいし、自分がアルバムを探すのに忙しい。
それが「おっ!」と思わされたのだから、耳に引っかかったものがあるわけだ。
その場で買っていれば今日の話は何も無いのだが、
その場では上限額が越えそうであったこともあり、購入はしなかった。

最近、近くのショッピングモールにCDショップがオープンして、
ジャズコーナーがかなり充実した。
まぁ、期待もせずに品物を吟味していたら、『アフター・グロウ』を見つけてしまった。
それまで全く率先して欲しいとも思っていなかった『アフター・グロウ』に
その日から取り憑かれることとなる。

一か月ぐらいそのCDショップを訪れるたびに手に取ってみる。
特に変わった様子もなく、ただのCDである。
いろいろと買わない理由も考えてみた。
「そもそもレコードで聴いた方が音もイイし、雰囲気もある」
「このままの値段で買うよりもやっぱり中古だろう」などなど…
カーメン・マクレイのバックで、レイ・ブライアントのピアノがかなりいいのは分かる。
だが、年に何度聴くか分からないほどのヴォーカル・アルバムだ。
曲だって良いのか、悪いのかよく区別がつかない。

あれこれと日が経ってみて、そして今日、そのCDは我が家にある。
やはり我が家に来る運命だったのだ!
そういえば、サラ・ヴォーンのアルバムで気になる物もあったんだ…