国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

離れ小島の3枚

2010年04月29日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
マイルス・デイヴィスのアルバム遍歴を見てみると
いくつか流れに沿わないアルバムがあることに気づく。
それらのアルバムは、いわゆるキーアルバムというよりも
マイルスのアルバムの中でも孤立しているかのように見えてくる。
マイルス・デイヴィスという人は
単なるジャズミュージシャンとして語るには難しく、
音楽は多岐に渡り、様々なものを吸収しながら大きくなっていった。
そのため大きな流れから外れる支流的アルバムも存在することになるだろう。

それは人によって異なるのかもしれないのだが、
数多くのアルバムが出ていて、
ブートレグが未だに増え続けるマイルスの音楽の中で
ちょっとした意味のあるアルバムなのだろう。
僕がそうした位置づけに置いているアルバムは3枚である。

『カインド・オブ・ブルー』
『イン・ア・サイレント・ウェイ』
そして『オン・ザ・コーナー』である。

この3枚は非常に独特な位置にあると思う。
どのアルバムも実験的な面をもち、
その実験が成功、失敗に関係なく
同系統のアルバムが再び作られなかったという点である。
理由としては1枚でその世界が完成していることにあるだろう。
あの『ビッチェズ・ブリュー』もその傾向にあるのかもしれないが、
マイルスの1970年代前半を進む指針になったアルバムでもあるため
『ビッチェズ・ブリュー』だけでは完成した世界とは言えないだろう。

それらは巨大な流れに浮かぶ離れ小島のようだ。
ビル・エヴァンスが『カインド・オブ・ブルー』を墨絵に例えているが、
確かに『カインド』は、ぽたりぽたりと落ちる音が、
じんわりと水面に広がる波紋のような淡い空気を持っている。
このブログで紹介した『イン・ア・サイレント・ウェイ』は
額縁に入れられた洋画のように落ち着き、抑制された音色で
無限の宇宙的な広がりを見せてくれる。
そして『オン・ザ・コーナー』はジャケットからというわけではないが、
ポップ・アートのような多色の色をその場にぶちまけたような
華やかでありながらもどことなく不安定な世界で劇薬にも似た危険な薫りがする。
そんなように絵画にも例えることができよう。

『カインド』と『サイレント』は前に取り上げた。
今回は最初で最後の奇作『オン・ザ・コーナー』を取り上げてみよう。

楽しいジャズを聴こう!

2010年04月27日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
ここのところ仕事で息つく暇もなく、
普段聴きのジャズもついつい知ったものばかり手に取ってしまい
それでほっと一息をついてしまう状況だ。

新しいアルバムを手に取るのは結構大変だ。
ジャズに限らず一回聴いただけでその全てが味わい尽くせるわけではない。
何度も繰り返し聴くことで
その曲やアルバムのうま味が耳の奥に染み渡ってくる。
聴いたことのないアルバムを初めて聴くということは
その作業の第一歩であり、
どっしりと音楽に対して構える必要もあるため
気分が向いていないとそのアルバムとの出会いも面白くないものになってしまう。
ましてセロニアス・モンクのようにちょっとクセのある
ジャズミュージシャンはそのうま味を味わうにも時間がかかる。

今日のアルバムはその名も『モンク』である。
白黒の写真で横顔が浮かび上がるようで、
タバコをくゆらせているちょっと渋いジャケットである。

ところがジャケットとは裏腹に結構聴きやすいアルバムである。
モンクは相変わらずのちょっと突っかかるようなピアノなのだが、
よくよく耳を向けると
それがきっちりとしたテクニックに裏付けられたものであることが分かる。
特にモンクがソロで演奏する4曲目の「アイ・ラヴ・ユー」では、
確かに独特のパッセージが出てくるのだが、
迷いなく鍵盤を叩くモンクのメロディーには曲のよどみが感じられない。
喜々としてメロディーを紡ぎ出すモンクの指は跳ねるように軽やかだ。

3曲目「チルドレンズ・ソング」では盟友のテナーマン、チャーリー・ラウズと
単純明快なメロディーを響かせる。
モンクに付き合うラウズのテナーもどこか楽しげで気負いがない。

モンクはつかみ所がないと感じたりもするが、
これは早く手に取ればよかったと後悔の1枚である。
聴くジャズはやっぱり楽しくないと。

えっ、この人がこんな進化を…

2010年04月25日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
「まさか!」という人が急に目立ちだしたりすることがある。

昔あれだけのジャズ・ジャイアントが、1つの時代にかたまって出てきたのは
奇跡に類することだろう。
だが、その状況懐かしい昔の話。
確かにミュージシャンの技量は上昇傾向にあるのに、
そのジャズに一向に惹かれないのは一体何なのであろうか?

やっぱりぐぐいっとジャズを押し上げてくれるような人がいなくては
ジャズもただのムード音楽になっていってしまう。
そんな中で注目すべきミュージシャンがいた。
ポール・モチアンである。

「誰?」と思った人は正しい反応だろう。
「どこかで聞いたことがある名前だなぁ」と思った人はなかなかいい反応である。
「モチ屋? ジャズとモチが関係あるのか?」と思った人は
来年の正月が待ちきれない人だろう。
「あれ、エヴァンスとやってた人じゃない?」と思った人は正解である。

エヴァンスのファーストトリオでドラマーだった人である。
モチアンはキース・ジャレットとも共演をしており、
名だたるピアニストと演奏をしてきた人でもあるのだ。

そのモチアンが「あれ? ジャズ界をちょっと引っ張っちゃってるんじゃないの?」
という状況が生まれたのが、90年代に入ってからのことである。
古巣のヴィレッジ・バンガードでライブを行い、
それを定期的に忘れずにアルバムとして発売する。
エヴァンストリオ時代のイメージから遠く離れ、
エレキであれ、大人数であれ、ベース抜きであれ
何か新しいものを模索している様子が伝わってくる。

今をときめくビル・フリゼールと共演した『サウンド・オブ・ラヴ』
ふわぁ~んとした浮遊感漂う時代を象徴するようなジャズ。
ここには知らぬ間にジャズ界の「おふくろさん」となり、
若手を発掘しながら、新しいジャズを目指すモチアンの姿がある。

無駄のない演奏=「オッカムの剃刀」?

2010年04月24日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
「オッカムの剃刀」なる言葉がある。
初めて知ったのは昨年のNHKの正月ドラマ『福家警部補の挨拶』の副題でだ。
(主役を務めた永作博美が特別の愛らしかった)
村上春樹の『1Q84 BOOK3』のある章にも使われている。
早速ウィキさんで調べてみた。

「必要が無いなら多くのものを定立してはならない。
 少数の論理でよい場合は多数の論理をたててはいけない」

という指針のことをいうそうだ。
まぁ、「最低限必要なことだけ考えろ」ということだろう。
ある意味当たり前のことだが、
その当たり前のことがなかなかにできないものだ。

今日ビル・エヴァンスの『ザ・パリ・コンサート』を聴いていたら
ふとこの「オッカムの剃刀」が頭の中を過ぎった。
なるほど、エヴァンスの演奏はこの言葉を表しているのではないか。
エヴァンスの演奏には無駄なところがない。
まぁ、厳密に聴いていって、
プロなら「ここはこうした方がいいんじゃないか?」と思う場所もあるかもしれないが、
素人の僕にとってみれば、
その演奏はまさに音が適切な場所に、適切なように置かれ、
適切なようにまとめられていく。

特に『パリ・コンサート』では、
エヴァンスのラストトリオのライブでもある。
エヴァンスの円熟期であり、
そして薬物等でぼろぼろになった肉体を酷使しながら「死」へと
1歩1歩進みつつあるころの演奏である。
そこにははかなさ以上に鋭さがある。
バッサリと空間に力強いピアノの音がねじ込まれる。
それなのに美しい。
それこそがエヴァンスの魅力なのかもしれない。

と、ここで「オッカムの剃刀」は論理の組む立てで使用することに気づいた。
こんな論理思考時間こそ「オッカムの剃刀」でバッサリ切り取った方がいいのかも…
語るに落ちる
そんな無駄なお時間でございました…。

誰のヒゲか分かります?(答えはすぐ上に)

2010年04月22日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
最初に『スピリチュアル・ユニティー』を聴いたときはぶったまげた。
一応ジャズのつもりで買ったものだから
あの幼稚園児辺りが思いつきそうな単純かつ明快なメロディーと
高音から一気に低音に、低音から一気に高音にとブローする
アルバート・アイラーのサックスにフリージャズという
全く思いも寄らなかった音楽に出会ったわけだ。

2度目に大音量で聴いたとき、
密閉された室内でストーブがついていたせいか
とてつもなく気分が悪くなってきた。
「何なんだ、これは!」とアイラーが悪いわけでもないのに
ひどく『スピリチュアル・ユニティー』を恨めしく思った。
(黒沢清の『CURE』を観たときの気分の悪さに似ていた)

そして3度目に聴いたときに、
「こいつには何かあるぞ!」と気づいた。
何度聴いてもその「何か」がまだ完全につかみきれないのだが、
さりとて毎日腰を据えて聴くにはちょっと重すぎる。

僕の経験からも分かるようにアルバート・アイラーなる人は
ちょっと難しそうなイメージが消えない人だ。
だが一度取り憑かれるとその魅力はじわじわとボディーブローのように利いてくる。
複雑そうだからいいのか?
単純なメロディーと明瞭なサックスの音がいいのか?
未だに分からない。

分からないのだが、このアルバムを聴いてちょっと分かってきた。
『ニュー・グラス』である。
ここのアイラーは全く難しくない。
サックスの心地よい音が耳に溶け込み、
全身をリズムが駆けめぐる単純かつ明瞭なアイラーを聴ける。
ゴスペル、ロック、R&B、そしてジャズと
1つのジャンルに縛られず、
破天荒なほどの明るさとハッピーさを身に纏い
自由闊達にブローするアイラーがそこにいる。

ジャケットの顎髭もチャーミングだ。
なるほど、「新しい芝生」か。
ちょっと白いけど…