国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

協調と緊張の狭間に

2010年01月26日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
今、多いのがピアノトリオである。
ジャズ雑誌の新譜には毎月多くのピアノトリオが含まれているし、
ディスクユニオンの新譜情報を見てもピアノトリオは多い。
だけど僕にはどうしてもそれらの量産されていくピアノトリオに満足できない。
その理由を今日の1枚、ブラッド・メルドーの『ハウス・オン・ヒル』から考えてみよう。

ピアノアトリオはちょっと聴きでも充分に聴いた感を与えてくれる。
ピアノの音は聴き慣れたクリアな音色に、ドラムの軽快なリズムが入ると、
「何となくいいなぁ」で終わってしまう。

メルドーの『ハウス・オン・ヒル』もはっきりしたピアノの音が心地よい。
だが、そこからよりしっかりと耳を向けることが必要だ。
少々自己耽美的な美しいメロディーラインが走っているが、
自分のピアノだけにおもねることなくベース、ドラムとの協調と緊張を起こす。
最初は軽やかに耳に優しいメロディーから入り、
徐々にジャズとしての緊張感の高まりへと移行していく。
その高まりが最頂点に達するまでには時間がかかる。
だが、待ちわびた瞬間が来たときにジャズの本質が自ずと見えてくるのだ。

どうやら今のピアノトリオに欠けているのは、
その協調と緊張の絶妙なバランスで生まれる高まりなのではないか。
やがて高まった緊張は緩やかに坂を下るように落ち着きを取り戻していく。
それが自然でかつ火照った心を冷ますかのように自然であるとこれまた心地よい。

今のジャズピアノの多くが
「作品」というよりも「商品」としての意味合いが強すぎるのではないか。
ジャズが芸術作品というわけではないが、
それでも僕たちは「商品」としてばかりでジャズは聴かないだろう。
そこにある「何か」を求めているはずだ。
そういった意味で『ハウス・オン・ヒル』のメルドーは筋が一本通っていると言えだろう。