国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

奥州ジャズ紀行  岩手県一関市編  「伝説の音を聴け!!」

2009年03月31日 | マスターの紀行文
ジャズを聴いている人に、
「岩手県といえば?」
と聞いて、
一関市を思い浮かべる人がいる。
(僕はそうだ)

今回の旅の目的地は一関にあった。
音の伝説。
一関市のジャズ喫茶「ベイシー」である。
全国区的有名なジャズ喫茶なのだ。
駅前の市内案内図にはしっかりと「ベイシー」がのっていた。

ベイシーは蔵を改装したジャズ喫茶だ。
そして誰もが一度はその音を聴いてみたいと言うほどに
凄まじく素晴らしい音でジャズを鳴らしているという伝説がある。
ジャズ界巷では「ベイシー詣」でという言葉まである。

僕の旅の目的は平泉でも奥の細道でも、
はたまた一関駅前に乱立するパブやスナックでもない。
この伝説のベイシーを一目見ることであり、
そしてその音を体感することであった。
(同僚には平泉に行ってくるといったのだが…)

一泊二日の旅行であったが、
2日間ともベイシーに訪問した。
運良く(!)2日間ともその音を聴くことができた。

今回はジャズ喫茶だけのために旅行をしたといっても過言ではない。
これには理由がちゃんとある。
ジャズ喫茶の音というのは、
マスターの音でもある。
つまりマスターがいなくなってしまうと、
その伝説は過去のものになってしまう。
現にジャズ喫茶は、
この景気の波と
今の時代に合わない商売ということで
だんだんと減ってきている。

今のベイシーの音は、菅原さんしか出せない音である。
本などで伝説のように取り上げられるベイシーだが、
もし菅原さんが辞めてしまったり、何か病気をされてしまうと
もうその素晴らしい音を聴くことができなくなってしまう。

そこで今回、なかなか機会がないと行くことのない一関に
伝説の音を聴くために旅行に出ることにしたのだった。
その時の様子は、また次にしよう。

奥州ジャズ紀行 岩手県平泉町編  「自転車2時間で平泉を駆け抜けろ!」

2009年03月30日 | マスターの紀行文
中学3年生の時だった。
国語の教科書に松尾芭蕉の『奥の細道』が載っていた。
冒頭の部分を読んで、えらく感動した思い出がある。

「月日は百代の過客にして
 行きかふ年もまた旅人なり」

名文だと思った。
これを読んで
「あぁ、この人はよっぽど旅に出たいんだなぁ」と
感心してしまった。

その後に今回旅行で行った平泉の様子が出てきた。
源義経と奥州藤原氏で有名な平泉。
一度は行ってみたい場所であった。

平泉というと
NHKの大河ドラマ「炎立つ」も思い出す。
確か主役が渡辺謙だったと思う。
番組は半年で終わったが、未だに覚えている。
僕が高校入試の頃だった。
また、つい最近やった「義経」も思い出したが、
こっちの方は印象に薄い。
主役のタッキーの演技の印象がよくなかったからかもしれない。

高館義経堂から眼下を見た時、やはり感動してしまった。
昔、ここで義経一行が、懸命に逃げようと戦ったのか、
そしてその後、奥州藤原氏の兵士たちが頼朝の軍勢と戦ったのか、
と思うと気分はいつの間にか松尾芭蕉である。

「夏草や つわものどもが 夢の跡」

芭蕉がこう詠んだ気持ちが分かる。

だが、電車で行くと結構不便である。
一関駅とつながる電車が1時間に一本しかない。
これは当初調べていかなかったこともあって、
時間を無駄にロスしてしまった。

もう一つ、中尊寺の金色堂はやっぱりすごかった。
世田谷美術館に金色堂の仏像が来ていると聞いて
タイミングが悪いと思ったが、
3つの内の1つだけだったため
その荘厳さがあまり失われていなかった。
それに覆堂。
陽光を受けてその外観も輝いて見えた。

でも、今回の旅の目的は、本当はここではないのだ。
そう、それはやっぱりジャズに関係ある場所なのだ。

感じろ! 自分の中に入り込む「黒さ」を

2009年03月28日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
たまにこれはという黒いジャズを聴きたくなる。
もともとジャズは、
アメリカの黒人文化の中から派生したものであるから、
「黒い」という表現で言われることがある。
これはリズムや響きが濃厚で、
ねっとりと身体に絡みつくような感じを言っているのだ。

というわけで、今日はドナルド・バードの
『アット・ザ・ハーフ・ノートカフェVOL.1』
を聴こうと思った。
が、探してみて見つからない。
思い返してみると、先日CDを整理した時に片付けてしまったようだ……

仕方ない。
出すのも面倒なので、
デューク・ジョーダンの『フライ・トゥ・ジョーダン』
を代わりに引き出した。

こうやって書くと『フライ・トゥ・ジョーダン』の方が
一歩落ちるように思えるかもしれない。
だが、実際にはこっちも十分に黒いのだ。
(ただ、今日の気分はドナルド・バードだった…)
特に1曲目のタイトル曲「フライ・トゥ・ジョーダン」は、
まさにバリバリの黒さだ!

まず、ジョーダンの両手が勢いよく鍵盤の上に降り落ちる。
そしてディジー・リースとスタンリー・タレンタインが、
快調にテーマを吹き鳴らす。
ディジー・リースは、マイルスが褒め称えたトランペッターだ。
コクのある音色で高々と歌い上げ、
耳を満足させてくれる。
タレンタインのテナーも十分にスイングし、
身体も自然とリズムを取り始める。
ジョーダンは絶妙な間と流れるような指運びで
粘っこい即興演奏を繰り広げていく。

テーマに戻ると、
「黒さ」が完全に自分の身体の中に入り込んできたのを感じるだろう。
これがまさにジャズなのだ。
恐るべしジャズ。
そしてこんなアルバムを作ってしまったブルーノート。

これを聴いて身体が反応しないのならば、
ジャズのおいしいところを聴き漏らしていますよ。

もの悲しさとユーモラスは表裏一体の関係なのだ!

2009年03月27日 | マスターの独り言(曲のこと)
「なぜ、学校に怪談話が多いのか?」
職場の先輩がおもしろい話をしていた。
理由がちゃんとあるそうだ。
明治時代に廃仏毀釈が行われ、
多くの寺と墓地も潰された。
その跡地が広いため学校が建てられることが多かったそうだ。

もともと墓地なので骨はたくさん埋まっていた。
そうした場所に建てられた学校から、
幽霊目撃談が生まれて、
様々な形に姿を変えて、学校の怪談が誕生するそうだ。

今日のアルバムもちょっともの悲しい場所のにしよう。
ジャッキー・マクリーンの『ワン・ステップ・ビヨンド』だ。
4曲目に「ゴースト・タウン」という曲がある。
最初にタイトルを見た時、てっきりオバケの街かと思った。
本当は人がいないさびれた街って意味なのだろう。

僕の好きなトニー・ウィリアムスが
ドラムの様々な音を使って不気味さと物騒さをかもし出している。
そこにこれまた僕の好きなボビー・ハッチャーソンの
ヴィブラホーンが色を添える。
階段を上るような丁寧さが迫り来る緊張感を高める。
やがてグレシャン・モンガーⅢのトロンボーンと
マクリーンのアルトが絡み合い
やがてその緊張感が最高まで上り詰めると、
いきなりマクリーンがのんきな調子で街の案内を始める。
そこはホーンデットマンションなみに、
そこにいるのは人であれ、
幽霊であれ、のんきに暮らしているようだ。

作曲者のモンガーも負けてはいない。
興奮度を上げてユーモラスにメロディーをつむぐ。
トニーのドラムがずっしりと響く感じがたまらない。

マクリーンが、19歳のトニー・ウィリアムスを
ブルーノートに紹介したことでも有名なアルバムだ。

僕は幽霊を信じていないが、
もしいるのなら、
現の煩わしさから逃れて、のんきにやってるのかもしれないなぁ
なぁ~んて、考えてしまった。