毎年夏頃になるとマイルス・デイヴィスのボックスセットが出るのが
ここのところの流れになっている。
今年は『ビッチェズ・ブリュー』の40周年記念ということもあり、
『ビッチェズ・ブリュー 40周年アニバーサリーボックス』が出た。
マイルスは、60年代の後半から自由にスタジオを利用できる権利を持ち、
その結果発売される予定もないセッションを数多くこなしている。
そこにプロデューサーのテオ・マセロが手を加えて、
アルバムとしてまとめられ、多くの作品が生まれることになった。
そのため「コンプリートボックス」のような類が作れるのだ。
(その善し悪しは個々によって異なるだろう)
僕としてはかなり悩んだのだが、
「まぁ、『ビッチェズ・ブリュー』だから…」という
他の人には全く理解できない理由で購入を決意。
未だに未開封に近い状態で眠っている。
『ビッチェズ・ブリュー』に関しては、何度かこのブログでも取り上げている。
「世紀の大傑作」という人もいれば、「最大の駄作」と罵る人もいる。
ジャズ入門書でこのアルバムをまず薦めているものはないだろう。
僕もジャズ入門期には本を読んだが、
『ビッチェズ・ブリュー』に関しては、いくつかの本にようやく
「難しい」ないし「初めから聴く必要なし」を見つけるのみだった。
(大半はこのアルバムの存在にさえ触れていなかったのだが…)
だが、ジャズ聴き始め半年で何を血迷ったのか購入。
そして即後悔である。
「なんでもっと早く聴かなかったのか!」
ジャズ本に踊る「難しい」という言葉とは反して、
「案外聴けるじゃん」というものであった。
もちろん本当に細部まで聴いていたわけではない。
このアルバムに関していえば聴けば聴くほど、恐ろしく手が込んでいることが分かる。
前に『カインド・オブ・ブルー』『イン・ザ・サイレント・ウェイ』
『オン・ザ・コーナー』を「マイルスの離れ小島3枚」としたが、
この『ビッチェズ・ブリュー』に関しては、
マイルスの音楽上の流れにありながらも、独特な世界を形成していると僕は思う。
それは「ジャズ」という分野のくびきからまだ完全に解き放たれず、
しかし「ジャズ」ではない音楽へと進もうとする
マイルスのほんの一瞬のバランスの上に成り立ったアルバムなのだ。
ここのところの流れになっている。
今年は『ビッチェズ・ブリュー』の40周年記念ということもあり、
『ビッチェズ・ブリュー 40周年アニバーサリーボックス』が出た。
マイルスは、60年代の後半から自由にスタジオを利用できる権利を持ち、
その結果発売される予定もないセッションを数多くこなしている。
そこにプロデューサーのテオ・マセロが手を加えて、
アルバムとしてまとめられ、多くの作品が生まれることになった。
そのため「コンプリートボックス」のような類が作れるのだ。
(その善し悪しは個々によって異なるだろう)
僕としてはかなり悩んだのだが、
「まぁ、『ビッチェズ・ブリュー』だから…」という
他の人には全く理解できない理由で購入を決意。
未だに未開封に近い状態で眠っている。
『ビッチェズ・ブリュー』に関しては、何度かこのブログでも取り上げている。
「世紀の大傑作」という人もいれば、「最大の駄作」と罵る人もいる。
ジャズ入門書でこのアルバムをまず薦めているものはないだろう。
僕もジャズ入門期には本を読んだが、
『ビッチェズ・ブリュー』に関しては、いくつかの本にようやく
「難しい」ないし「初めから聴く必要なし」を見つけるのみだった。
(大半はこのアルバムの存在にさえ触れていなかったのだが…)
だが、ジャズ聴き始め半年で何を血迷ったのか購入。
そして即後悔である。
「なんでもっと早く聴かなかったのか!」
ジャズ本に踊る「難しい」という言葉とは反して、
「案外聴けるじゃん」というものであった。
もちろん本当に細部まで聴いていたわけではない。
このアルバムに関していえば聴けば聴くほど、恐ろしく手が込んでいることが分かる。
前に『カインド・オブ・ブルー』『イン・ザ・サイレント・ウェイ』
『オン・ザ・コーナー』を「マイルスの離れ小島3枚」としたが、
この『ビッチェズ・ブリュー』に関しては、
マイルスの音楽上の流れにありながらも、独特な世界を形成していると僕は思う。
それは「ジャズ」という分野のくびきからまだ完全に解き放たれず、
しかし「ジャズ」ではない音楽へと進もうとする
マイルスのほんの一瞬のバランスの上に成り立ったアルバムなのだ。