国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

ブルームーンの浮かぶ夜更けに…

2012年08月31日 | マスターの独り言(曲のこと)
今宵の満月は「ブルームーン」と言うらしい。
「ブルームーン」と言っても青白い光が出てるからというわけではないようだ。
ブルーは「betrayal(裏切り)」を意味しているらしく、
1ヶ月に二度昇る満月のことを言うそうだ。
なるほど、真ん丸の満月は見えるけれども、
普段とどこも変わった様子がない。

二日前にも書いたが、月というのは人を狂わせるとも考えられていた。
一方でその柔らかな光は慈愛を象徴しているかのようにも感じる。
月についてのジャズのスタンダード曲も多い。
それだけ月は古来より多くの人の想像力をかき立てていたのだろう。

まぁ、そんなわけで今日は月に関係のある曲が良いだろう。
手嶌葵の『ザ・ローズ』から「ムーン・リヴァー」である。
このアルバムは映画曲のカヴァー集で、
知られているとおり「ムーン・リヴァー」は『ティファニーで朝食を』のテーマ曲である。
手嶌葵もスタジオジブリ作品『ゲド戦記』で声優を務め、主題歌も歌っている。

全編英語で歌う彼女の歌唱力もさることながら、
やはり原曲の持つ美しさに惹かれる。
誰もが聴けば「あぁ」と思う曲であるが、
そのように語り継がれる曲はやはり人の心に残っているものだ。
伸びやかに広がり、ささやくように歌う手嶌葵は自分で選曲した曲を丁寧に歌い込む。
ギターの儚い旋律は、少々感傷的ではあるが、
それでも柔らかな光が流れ込むような静けさをかもしだしている。

思い返してみるとこの曲、昔の電話の保留オルゴールだった。
物心が付く頃から耳にしていた曲である。

もうまもなく南の空に満月が上がる。
月より伸びる光を見つめながら、ゆったりとした時間を過ごしてみるのも悪くはない。 

夏の終わりに空が青黄色に染まるとき

2012年08月29日 | マスターの独り言(曲のこと)
今日帰り道に空を見たら、真ん丸い月が昇っていた。
月齢を調べてみたら明日は満月のようである。
最近は夕方になると多少は涼しく感じられる(ような気がする)。
空が茜色に染まり、白い雲がたなびいているのを見ると、
僅かながら「秋かなぁ?」などと思ってしまう。
月は夕日に照らされ、ぼんやりとした光を放っていた。

月というのはその存在がどうも不可思議だ。
もちろんこの宇宙に浮かぶ天体すべてが不可思議な存在なのだが、
月というのは地に住む我らをとらえてしまう。
それは女性に例えられるほど神秘的な存在だからなのか、
狼男が満月で変身してしまうからなのか、
はたまた目玉焼きの黄身のように美味しそうだからなのか…

前に月について調べたとき、
ヨーロッパに「月狂条例」というものがあることを知った。
(イギリスの法律であるのだが、内容はご自身で調べてみてほしい)
月は時に人を狂わすと考えられていたのが、
上記のような神秘性や変異が生まれてくるきっかけにもなったのだろう。

さて、ジャズの話である。
アル・ヘイグというピアニストがいる。
彼はいろいろな噂のあるピアニストだ。
正確なところは分からないが、とにかく変人奇人といった見られ方をしていたらしい。
(一部情報では人を殺めたこともあるというのを見たこともあるが、出典等は不明)
残念ながら手元の資料を色々探してみても、
今ほどアル・ヘイグのアルバムが載っているものはあまりない。

この人のアルバムを語るとき『インヴィテーション』は欠かせない。
これを聴いたときに「なんて美しいピアノなんだろう」と思わない人はいないと思う。
だが1曲目の「ホーリーランド」を聴いたとき、
その名とは裏腹に切り込むようなピアノの音の鋭さを感じる。
音がピアノから独立し、宙を自由に彷徨うようだ。
アルノルト・ベックリンの「死の島」のような神秘的な狂気が潜んでいる。
果たして島へ何しに向かうのか、そこは名の通り「ホーリーランド」なのか…

明日は満月、こんな夜に心の狂気を揺さぶってみては?

過ぎ去りし夏を思い出してみれば…

2012年08月28日 | マスターの独り言(曲のこと)
テレビを見ていると映像で始業式の様子が映るようになってきた。
カレンダーを見る。
8月28日。
まだ夏休みが終わるのには少々早いような気がする。
確かに北の方では夏休みを減らして、その分厳しい冬に備えるという。
そのため少々早く夏休みが終わるのは事情があって致し方ない。
ところが全国的に8月が終わらないうちから
学校を律儀にも開けているところが多々あるようだ。

やはり夏の終わりは8月31日だろう。
幸いなことに僕には記憶でないのだが、
宿題を終わらせるのも31日ギリギリであるからこそ
夏休みといえる部分もあるのかもしれない。

そんな夏の終わりを感じさせるのがアート・ファーマーの『思い出の夏』である。
おそらく川辺だろう。麦わら帽子に一枚の写真。
ベタなジャケットであるが、夏が来れば思い出すのは尾瀬だけではなく
麦わら帽子だってあるわけだ。

暑い日々がほどよく涼しくなり、過ぎし日は記憶の中にのみ残る。
アート・ファーマーが叙情豊かにトランペットを鳴らす。
いぶし銀の仕事だ。
シダー・ウォルトンのピアノにサム・ジョーンズのベース、ビリー・ヒギンズのドラムという
まさにジャズのメンバーが揃っている。
特にファーマーとウォルトンの対話をするような掛け合いは、
密やかに思い出を彩りながら語るかのようで
その刹那的な楽しみを懐かしみ、愛おしむように儚さを感じさせる。
ヒギンズのブラッシングはあくまでも静やかに、
サム・ジョーンズのベースが低部をしっかりと支える。

その夏には宿題もヒートアイランド現象もない。
ただ静かに夜に溶けて消えてしまった夏があるのみだ。
あなたの夏の思い出は一体どんなことがあっただろうか。
2012年の夏はあと僅かである。
軽やかなトランペットの音色とともにもう一度振り返ってみてはいかが?

走り出したら止まれない。暴走機関車が煙を上げて走りゆく

2012年02月17日 | マスターの独り言(曲のこと)
まるで汽車が暴走しているかのようなドラミングである。
それも今風の「電車」ではない。
石炭を山のように積み、それを絶えずくべているような
古いタイプの蒸気機関車のようである。
そこにトランペットとテナー・サックスの音がハモり、曲が始まる。

クリフォード・ブラウン・アンド・マックス・ローチの
『スタディ・イン・ブラウン』の1曲目「チェロキー」である。
クリフォード・ブラウンはとかく音の良いトランペッターとして有名である。
僕も初めてクリフォードを聴いた時には、まさに「度肝」を抜かれた。
ジャズを最初に聴く人がなかなか馴染めないのは、
楽器の種類もあるという。
トランペットだと、まぁ、そこそこ有名だが、
それでも馴染みがあるものとはいえない。
それを悠然と、しかも艶やかで張りのある音色で奏でるクリフォードは、
ジャズ初心者の僕もすぐに心を奪われた。

だが、そこからが長かった。
2枚目に買ったアルバムが『クリフォード・ブラウン・アンド・マックス・ローチ』で、
これがなかなかよく聞こえなかったのである。
加えてクリフォードのアルバムというのは
中古でもそれほど苦労せずに手に入れることができる。
そうなると後回しになってしまう。

今年になって1月にマックス・ローチの連続講演を聴きに行って、
その足でこのアルバムを買った。
クリフォード・ブラウンにしろ、マックス・ローチにしろどちらもジャズの巨匠である。
その2人が合わさって演奏しているのだから悪いわけはない。

1曲目の「チェロキー」は、どこかオリエンタルな不思議な感じがある。
ただ土臭いだけではなく、優雅な香料の薫りがするような前奏は、
その後に切られるスタート前の準備運動か?
一気に飛び出すトランペットとテナー、そしてそれを煽るドラム。
完全一体の演奏である。

有名曲が僕らに魅せる灰色の夢

2011年12月21日 | マスターの独り言(曲のこと)
あまりにも有名であるとなかなか手を出しにくいアルバムがある。
特にこの1曲目はそうだろう。
「クレオパトラの夢」
きっと曲名は聞いたことがなくともメロディーを聴けば
すぐにラジオやテレビで聞いたことがあることに気が付くだろう。
そう、バド・パウエルの『ザ・シーン・チェンジズ』の1曲目である。

このアルバムはバド・パウエルのブルーノート最後の作品であり、
日本人が最も聴くと思われるパウエルのアルバムである。
だが、どれほどの人がこのアルバムに流れる
パウエルの業を聴き取ることができただろうか。
正直僕にはできていない。

このアルバムは名曲である「クレオパトラズ・ドリーム」が入っているため
その心地よいテーマに耳を眩まされてしまう。
その根底にあるパウエルの凄みを味わうには何度も向かい合う必要がある。

このアルバムを録音した頃のパウエルは最絶頂期を過ぎたと言われており、
この後にフランスへと渡ってしまう。
確かにジャケットに写るパウエルは
「灰色の脳細胞」を十分活用できるというエルキュール・ポアロのような
卵のような丸顔に口髭で、神経過敏なところを感じさせる。

うめきながらピアノを弾く彼は、実は鍵盤の上を動く指が
彼の思考と一致させることができずについついメロディーをうなりながら
弾いてしまうのだと言われている。
確かに最絶頂期を越えたとはいえ、パウエルのピアノは速い。

不思議なことにパウエルの音というのは明るさがない。
ピアノはどれも同じ音がするだろうと思っていてはいけない。
パウエルの弾く音はどれも暗く、マイナー調になってしまうのだ。

「クレオパトラズ・ドリーム」では、
テーマのあとにパウエルの軽やかにメロディーを流す。
だが時折落ちる和音が要石の如く重い。
跳ねるような音ではなく、横に連なるようなメロディーは艶やかで美しい。
しかし明るさはなく、音に濁りがあり、どこか忙しなさを感じさせ、
深くどこまでも落ちていくような陶酔感を与える。
「クレオパトラの夢」と情調的タイトルは付いているが、
それもあくまで雰囲気的なタイトルであり、意味があったわけではない。
それでもその灰色の夢は悲劇的で美顔の女王が見た夢の印象を与えてくる。

最後にひとつこぼれ話。
パウエルから影響を受けた秋吉敏子はずいぶん後になってこの曲を知ったそうだ。
初めて聴いて「なかなか良い曲ね」と感想を言った。
パウエルの曲はこれ一曲では決まらないし、
この曲だけではパウエルの凄みにははまれない。