国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

僕がジャズを聴き続ける理由?

2011年11月05日 | 僕のジャズ歴史物語
音楽の幅が広がるのはいいことだが、僕はジャズに戻っていく。
古くからの友人はおそらく僕が
ジャズを「かなり」コアに聴いていることは知らないだろうし、
そもそもなぜそんなにジャズを聴いているのか分からないだろう。

僕にも「なぜそれほどジャズを聴くのか?」という理由がよく分からない。
時々ふと我に返って、
「もしかして誰かへの対抗意識?」とか思ったりもするのだが、
どうもそんな理由でもないようだ。
確かに「密林」のクリックが押しやすいという
ある種買い物形態の変化は理由の1つとしてあげてもいいのかもしれない。
いわゆるマイナー盤や歴史的名盤が検索1つで手に入るのは非常に楽だ。

でもそんな単純なことではないだろう。
ワールド・ミュージックを聴くことを経て、
それでもジャズに戻る理由はなんだろうかと思ってみてある1枚を取り出してみた。
ジョージ・ウォーリントンの『アット・ザ・ボヘミア』である。
ジャズ聴きにはたまらない1枚だ。

まずはメンバーである。
ドナルド・バード、ジャッキー・マクリーン、ポール・チェンバース、アート・テイラー
B級どころがズラリと名前を重ねている。
ジャズの巨人たちとは別の熱気がプンプンとある。
3曲目「マイナー・マーチ」のバードとマクリーンの吹き合いを聴いて欲しい。
出だしから自然と身体が熱くなってくる。
バードの素朴ながらも張りのあるトランペットと
マクリーンの艶やかで光沢のあるアルトの音色は
「ジャズを聴いてて良かった」と感じさせてくれる。

ポール・チェンバースのゴリゴリッとしたベースの低音に
アート・テイラーの職人的リズミカルなドラム。
リーダーのジョージ・ウォーリントンの訥々と語るピアノ

「これがジャズだ!」と思える1枚があるから
だから僕は結局ジャズに戻るのかもしれない。

世間では「海賊」人気が高まっているが、こちらの「お宝」も見逃せない!(2)

2011年06月10日 | 僕のジャズ歴史物語
「ブートレグ」とは海賊盤のことである。
語源は禁酒法時代に、
密酒をブーツに隠して運んだことから来ていると言われている。
「ブーツ(長靴)」と「レッグ(脚)」という2つの言葉が結びつき
それを組み合わせたとなれば納得がいく由来だろう。
「ブートレグ」の主な音源になるのが、ライブであったり、
未発表のスタジオ音源であったり、ラジオ音源であったりする。

一方で海賊版とは、「パイレーツ」と呼ばれるようで
こちらは元音源を無許可で並び替えたり、焼き移したりしたものである。
つまり「ブートレグ」と「パイレーツ」は根本から違っているのだ。

では、僕らが「ブートレグ」に何を期待するのかと言えば
やはりライブ音源である。
公式盤で録音されている音源は、まさに創り上げられた作品である。
だが、ジャズは「アドリブ」に代表されるように
その場その時に生まれる音楽の煌めきを聴くものである。

現在では著作権問題がかなり厳しくなっているし、
ほぼ無許可で録音されたものが巷に出回るのをミュージシャンたちが
どう思うのかという問題はある。

その反面、体験できなかったライブを体験できるというのは魅力的だ。
加えて、公式では録音されることがなかったグループや
一つの曲が練り上げられていく過程を聴くことができるのはたまらないだろう。

ミュージシャンへのイメージというのがいつの間にか組み立てられている。
例えばビル・エヴァンスを語る言葉は「リリカル」であり、「耽美」であることが多い。
だが、ライブでのエヴァンスは決して静かな演奏だけではない。
時に激しくピアノを叩き、スピードを上げ、
かと思えば現場の緊張感の中で恐ろしいほどに静かに音を紡ぎ出す。
決してリヴァーサイドだけがエヴァンスではないのだ。
「ブートレグ」には正しいミュージシャン理解につながる音源も数多くあるのだ。

マイルスが600枚とも言われている。
あのビートルズにもブートレグがある。
ボブ・ディランは自分で「ブートレグ・シリーズ」と銘打って
過去の未発表音源をコンスタントに発表している。
ビーチ・ボーイズの幻『スマイル』の断片も耳にすることができる。

全てが全て良いというわけではない。
だが、ミュージシャンが生み出す音はいつも輝きを持っているのだ。

世間では「海賊」人気が高まっているが、こちらの「お宝」も見逃せない?(1)

2011年06月09日 | 僕のジャズ歴史物語
駅前でとか、路上でだとか、何故か安いCDを売っていたりする。
時はCD流行の時代を過ぎて、音楽ダウンロードの時代。
それでも人は音楽を聴くためにCDを買う。(少なくとも僕はそうだ)
だが、1枚3000円近いアルバムは高いだろう。
そこに駅前の1000円CDが導入編としては燦然と輝いて見えてくるのだ。

僕もボブ・ディランとビーチ・ボーイズとはその1000円CDから始まった。
だが、果たしてそれは正規版であったのかというと、
まぁ、そうではなかった訳だ。
そういったアルバムを通称「海賊版」と言うようだ。
お隣の国ではそういったものが公然と売られていたりして、
そのことが批判の対象になったりしている。
元々ある正規版の音源を使って、新しくアルバムを1枚作ることなど
コンピューターを使えばお茶の子さいさいだろう。

一方で「海賊盤」と呼ばれているものもある。
「ブートレグ」と呼んだりもする。
こちらはどうやら同じ海賊でもちょっと違うようだ。

僕がブートレグに出会ったのは、
ジャズを聴き始めて、一年ぐらい経ってからのことである。
近くの本屋でむちゃくちゃ高いマイルスのディスコグラフィーを見つけた。
『マイルスを聴け! Ver6』(双葉社)である。
筆者は言わずもがな中山康樹氏である。

そのころマイルスに対して特別な感情があったわけではなく、
ただジャズ・ジャイアントの一人だ、ぐらいにしか思っていなかった。
ところがこの本、何故だか紹介アルバム数が多い。
大手から出ている公式盤のアルバムについてはほとんど知識で知っていたが、
それにしても「全381枚」というアルバム数は異様であり、異常である。
しかも読んでいて全く訳が分からない。
「何故、こんなにアルバムが多いの?」
それが「ブートレグ」という言葉との出会いだった…

僕がパーカーに還るとき

2011年06月01日 | 僕のジャズ歴史物語
ここのところCDを買う量が再び増えてきて、
考えてみれば、自分がどんな音楽を聴けば楽しめるのかが分からなくなるときがある。
たくさんのCDやレコードを用意しても
結局限られた時間の中で聴ける分量は決まっているのだ。

そんな心持ちの時、パーカーのサボイ盤を取り出してみた。
パーカーの演奏はとにかく理解をしたくて、
このマスター盤を何度となく聴き返した。
1枚目の5曲目「ウォーミング・アップ・ア・リフ」から
14曲目「ブジー」までパーカーの最絶頂期をたどるように…

1945年11月といえば、まだ日本は終戦間もないころだ。
そのころにすでにアメリカではパーカーが活躍を始めていた。
いろいろなアルトサックス奏者の演奏を聴いてきたが、
パーカーの演奏は格別である。
音色、リズム、スリル、そしてその存在感。
「ここでパーカーが来る!」と分かっていても
その音が聞こえた瞬間に、新たな扉が開いたかのように新鮮さが失われない。

パーカーというと、とかく高速演奏とも思われがちだが、
マスター盤に入った演奏は意外にゆったりしたものが多い。
だが、パーカーの演奏には早い、遅いという時間的なものを超越した感覚がある。
絶妙な間があり、ほんの僅かなズレが演奏全体を生きたものにし、
僕らの通常持っている時間的感覚を破壊していく。

パーカーの演奏を聴いていると不思議に他のミュージシャンたちが消えてしまう。
どこにでもその存在感を感じ、結局パーカーの演奏という印象しか残らない。
3分という限られた演奏時間(SPへの収録時間が約3分)の中で、
パーカーは焦ることなく、一曲一曲を仕上げていく。
もちろんテイクを重ねてはいるのだが、
パーカーの演奏はただそれだけで心地よさを与えてくれる。

あぁ、僕の中に音楽を聴く喜びが再びよみがえってくる。

ビル・エヴァンスがやって来た日

2011年05月22日 | 僕のジャズ歴史物語
何がきっかけになるかなどは分からない。
たまたまその日が来ると、まるで閉じていた扉が開くかのように
すっと新しい世界が見えてくる。
音楽を聴くという行為も、感覚的には「聴いている」のだが、
それを越えた「聴く」という行為があることにまで気づけるのは
本当に偶然的な可能性の方が高いのではないだろうか。

買っておいたビル・エヴァンスの公式ラストレコーディングである
『ターン・アウト・ザ・スターズ』のボックス盤を昨夜開けてみた。
買った理由は単に「安かった」からである。
元々ボックス盤というのは資料的価値はあれども
音楽として聴くのには少々辛い部分もある。
何せCDにして6枚を聴くというのはかなり大変なことだ。
しかも加工がされているわけではない。
1枚60分を越えてもいる。
大人になれば金は稼げても時間は減る。
そんな狭間にボックス盤があるため、手はそんなに喜んで出せるものではない。
たまたま6枚で5000円もいっていなかったから
「安いなぁ」と思いながら、購入をしただけのものだ。

エヴァンスといえば、リヴァーサイドの4部作に尽きる風潮がある。
もちろんリヴァーサイドの4作品が良い作品であることは誰もが認めるところだろう。
だが、それはエヴァンスの活動の前期にしかならない。
1980年9月15日にエヴァンスが亡くなるまでの間、
一体どんな演奏をしてきたのかというのはあまり多くの人に聴かれていない。
僕はいわゆる名盤系でないエヴァンスも何枚か持っているが、
繰り返し聴こうという思いが生まれなかった。
それはやっぱり「リヴァーサイド4部作を聴けば…」的なものもあったのかもしれない。
エヴァンスが何を伝えたかったのか受け取れなかったわけだ。

『ターン・アウト・ザ・スターズ』は、
エヴァンスと縁のあるヴィレッジ・バンガードでの最後のライブ盤である。
とりあえずと思ってディスクの1枚目を聴く。
1980年6月4日、死の3ヶ月前である。
ここに予想もしなかったエヴァンスの真髄が隠れていた。
と、同時にエヴァンスがやってきたことが逆算的に全てとまではいかなくても
ある程度のことが「ピン」と伝わってきた。

それは巷の言う「リリカル」とか「叙情的」とか「繊細」とかではなく、
エヴァンスのジャズ・ミュージシャンとしての
そしてピアニストとしての生き様なようなものであると思う。
人は何故音楽に惹かれていくのか、
どんなミュージシャンに惹かれるのか、そんな深い部分もストンと落ちてきた。

思えば僕の最初はエヴァンスであった。
聴いてもう7年を越えるだろうか。
これまでに胸の奥底でエヴァンスのピアノの音の意味が分かったことはない。
だから今宵もエヴァンスを聴く。その思いを確かめるように…