国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

ディランのライブ No2

2010年03月31日 | マスターの独り言(ライブのこと)
今回のディランのライブで最大の特徴は、ライブハウスで行うということである。
今までディラン来日はあれども大きなコンサート会場等で行われてきた。
ディランの自伝にも出てくるのだが、
ディランが今までのマンネリ化した歌手活動に疑問をもち、
濃厚で自分も楽しむことのできる場としてライブを実施していきたいという希望をもった。
それが「ネヴァーエンディング・ツアー」である。

より観客に近い場所で、より熱くなれる、
歌手として最も基本的な欲求を満たそうと思うのは当然のことであろう。
事実前回の来日の際にも「もっと小さいライブハウスでもやってみたい」という
希望をディランが言っていたようだ。
今回の来日ではそれが実現した形になる。

1Fはオールスタンディング。2Fも限られた席しかない。
僕は2Fのスタンディングだったのだが、それでも充分に近い距離だったと言えるだろう。
もちろん贅沢を言えばキリがない。
聴く場所というよりも、その場で生で歌が聴けることを喜ばなくてはいけない。

一言で言うならば「カッコイイ」に尽きるだろう。
68歳? ぜんぜんそんな様子は感じられなかった。
黒を基調とした服装で、縁ありの白いハットをかぶっていた。
元々ギターを弾いていたのだが、最近はキーボードということが多いようだ。
ハーモニカも健在で、時折スパイスのように吹いては
その見事さに感動してしまう。

そして何よりも声である。
あのダミ声に1歩引いてしまう人もいるかもしれないが、
より艶やかで張りのある声は、とても70近い人の声とは思えないほど
美しく、胸に突き刺さった。

「ライク・ア・ローリング・ストーン」や「風に吹かれて」、
「オール・アローン・ザ・ウォッチタワー」など昔の名曲も取り上げるが、
完璧にアレンジを変えており、
ちょっと聴いた前奏では全く別の曲のようになっている。
ところがそのスピードを変えたり、音程を変えたりすることで
ディランが昔の曲に縛られず、さらに突き進んでいこうとする姿が感じられる。
「追憶のハイウェー61」など、その疾走感はたまらないほどエネルギッシュだった。
『モダン・タイムズ』や『タイム・アウト・オブ・マインド』など
近年の作品からも曲を取り上げ、一所に止まらない
ディランの歌手魂がうかがえるライブだった。

幅広い年齢層が集まり、ディランの声に酔いしれた。
ときどきすっと左手を水平に切って、ポーズを決める。
もうカッコイイの何者でもない。
2時間立ちっぱなしで歌いっぱなし。
止まることを知らない68歳は、溢れ出るエネルギーを隠すこともせずに
一夜一夜を完全燃焼していった。

正直「最高!」の言葉以外が見つからない。
ぜひ、もう一度、来日をしてくれないものか?

ディランのライブ No1

2010年03月30日 | マスターの独り言(ライブのこと)
ボブ・ディランはまだ生きている。
こんな情報を去年の「いーぐる」の連続講演で聞いて、
僕はとりあえず「ふ~ん」と思った。
何度もディランとの出会いについては、このブログで書いているが、
そこから「洋楽」にのめり込むわけでもなく、
ただ名前を聞いたことがあるからという安直な動機だったため、
それ以降も率先してディランを聴いていたわけではない。

ところが「いーぐる」のスピーカーで
ディランの最新アルバム『トゥゲザー・スルー・ライフ』の
1曲目「ビヨンド・ヒア・ライズ・ナッシン」を聴いて度肝を抜かれた。
あのダミ声はまだ健在をしてる。
しかも年を重ねたせいかそこに凄みまで生まれていて圧倒されてしまった。
とにかく新アルバムは購入をして何度も聴き返しをした。
良さなどすぐに分からないことはジャズでもう充分に分かっている。
何度も聴き返すことで聞こえてなかった音が耳の届くようひたすらに慣れていくしかない。

そして1月1日の新聞広告。
遅きに逸したところがあるのだが、ディラン来日を知る。
インターネットで確認すると、すでに先行予約は終了。
ライブはとにかく有名どころを聴きに行かなくては、というモットーがあるため
電話での勝負に出るしかなかった。
結果、無事に2枚のチケットをむしり取った。

そこからディランのCDをとにかく聴く日々が続く。
驚くべきことに日本では大々的に宣伝されていたわけではないが、
ディランはかなりのアルバムを出していて、
今でも現役でコンサートを続けているということまで分かってくると
否が応でも期待が膨らんでくる。

68歳となった、まさに「おじいちゃん」というべきディランが
どんな演奏を繰り広げるのか
関連本も買い込み、ディランのライブの作法も勉強した。
そして28日、29日の2日間をむかえた。

「ゲッツ!」とゲッツ

2010年03月28日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
「ダンディ坂野」という芸人がいる。
一発ネタの「ゲッツ!」で有名(?)だ。
僕は彼がテレビに出てくると安心してしまう。
出てきたときには「一発屋だろう」と思わせながらも
しぶとく芸人として生き残っているのは立派だ。
この世知辛い世界でそれなりに辛苦を舐めながらもがんばっているのだろう。

彼のギャグは正直面白くない。
どうも本人も分かっているようだ。
だから彼は「空気」を使う。
「空気が読めない」という言葉が流行ったが、
彼の場合は会場や観客が「読めてしまった空気」
(つまり「やっちゃったなぁ」的な雰囲気)を笑いにしている。
一瞬の空白を笑いに変えているわけだ。きっと。

と、勝手な講釈はここまでで
ジャズミュージシャンにも空気を支配する者がいる。
まぁ、ジャズ・ジャイアンツと呼ばれている人たちのほとんどは
空気の色をぐっと変えてしまうのだが、
その中でも特別に冷たい張りつめた空気を作り出してしまうのがスタン・ゲッツだ。

ゲッツの音楽は「クール」という一言でよく表されるがまさにその通りである。
燃えたぎるような熱狂がない。
曲全体隅々まで行き渡った緊迫感が張りつめている。
白人だからというわけではないだろう。彼の気質がそんな音楽を作り上げているのだ。
『アット・ストーリービル』は、ゲッツの初期のライブ盤だ。
11曲目「ジャンピング・ウィズ・シンフォニー・シッド」では、
ライブのため良好な音質ではないのだが、
音が小さくともゲッツのうねるようなテナーのサウンドが全体を引き締める。
冷たさだけでなく、少しだけ温かみも感じることができるから
僕は非人格者と評されるゲッツを嫌いになれない。

人から注目される職業に就けば特有の苦労があるだろう。
それはお笑いであれ、ジャズミュージシャンであれ今も昔も変わらないのだ。

今日はキャノンボール、20%引きの日

2010年03月27日 | マスターの独り言(日々色々なこと)
ようやく苦労していた仕事が一段落ついた。
仕事の忙しさとボブ・ディラン来日に
すっかりジャズがお留守になってしまった。
今日は最後の確認ということで、職場に午前中から出向き、
午後からはフリー。
「今から都内に出るのもなぁ」と思いながら
隣の市にあるツタヤにジェリー・マリガンの『ジェリー・マリガン・カルテット』が
20%引きで売られていたのを思い出した。
たいがいに大手CD店ではない店のジャズコーナーというのは寂しい。
多数の売れ残りや「ちょっとこれは…」という物、
ジャズと言いかねる物にオムニバス盤と何だか残念な状況が通常だ。
ところがそんな中、人が手に取らないからこそお宝が眠っていたりする。
しかも格安で!

一路車をツタヤまで走らせる。
ジャズコーナーには全く人がいない。
「うん?」と思えば、
キャノンボール・アダレイの『キャノンボールズ・ボサ・ノヴァ』があった。
最近のジャズ離れを考えると、ちょっと奮発してもいいだろうとこれも購入を考える。
まぁ、何せ20%引きだし。

と、肝心要のジェリー・マリガンの『カルテット』が無い!
慌てて端から端までしっかりと棚を見る。
あまりにも焦っていたせいか
ジェリー・マリガンの名前さえ一瞬ど忘れしてしまったほどだ。
いくら探しても見あたらないということは、売れてしまったのだろう。
こんな片田舎でもジェリー・マリガンに興味をもち、
長らく店ざらしになっていたCDを買っていった人がいたということだ。
(自分がそうなっていたかもしれないのだが…)

学んだことはやっぱりジャズなどは見つけたら「すぐ!」というのは大事なのだ。
「まぁ、後で」というとこんなことになる。
仕方ない。また中古屋を探して見つけるしかないだろう。

と、再びキャノンボール・アダレイのところで『イン・サンフランシスコ』を発見。
前に「Lacuji」の記事で書いたナット・アダレイと写ったジャケットのやつだ。
…仕方がない。
収まりを付けるにはこの1枚か?
まぁ、いい。やっぱり20%引きだし。