国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

魔都へようこそ

2012年04月03日 | ヒップホップについて
人は街に住む。
それがいかなる街であろうと、
人は産土に守られるようにやがてはその街の匂いが身に付く。
そしてまたそこに住む人によって街も成長していく。

三菱地所のCMで夜の工場が黙々と明かりに照らされ、
静かに煙を上げているものがあった。「工場萌え」である。
これはその銀色の無骨な体とともに自然の魅せる融合が魅力的などと思うが、
実はここにもう一つ隠れて見えていなかったものも僕たちを惹きつけるのだと思う。
それはやはり「人」なのだ。
工場の中で働いている人がいることを自然と理解することで
人工物と自然、そして人という三位一体の魅力が「工場萌え」につながっているのだ。

工場でさえ、そうなのだから多くの人の住む街もまた魅力を育てている。
僕は結構そういった様々な文化が融合し、また独特の魅力を持った都市に惹かれる。
LA、つまりロサンゼルスもそんな印象を持っている都市だろう。

アメリカの西海岸に位置し、映画の都ハリウッドを有する。
どこまでも広がる太平洋と空の青。
砂浜にはビキニの女性が寝そべり、気分は常夏である。
だが一方でそうしたイメージが、あくまでもイメージであり、
実際のところは多数の人種が生活をし、またギャングなどの組織が形成され、
暴力や差別、薬の売買などが影では行われているとしたならばどうだろう。
LAという都市の持つ二面性が混在化し、
グルグルと渦を巻くような恐怖と一方での好奇心をかき立てられるであろう。

マッド・リブの『ジ・アザー・サイド・ロサンゼルス』は
そうしたロサンゼルスの持つ様々なイメージを音楽化したものである。
稀代のトラックメーカーであるマッド・リブは、
南米風の音楽から近未来的電子的な音楽まで
幅広くLAという都市をとらえるトラックを作っている。
そこには都市の混沌とした印象と同時に
そのグチャグチャ加減が魅力的に映るようにも感じられる。

旅行者は都市へのイメージを持って行くだろう。
だがその都市に惹きつけられてしまうのはやはり人なのだ。
マッド・リブはそのことを表している
過去のLPなどの演奏を抜き取りながらも、そこに人の手を加え、
時には演奏を加え直したりすることで人の生きる魔都を再構成しようとしているのだ。
さぁ、あなたも魔都へ旅立ってみないか?

マイルス発、イージー・モー・ビー作の『ドゥー・バップ』

2012年02月08日 | ヒップホップについて
ある友人にマイルス・デイヴィスの『ドゥ・バップ・ソング』を聴かせたところ
「これはヒップホップではない」と言われた。
確かにオリジナルをイージー・モー・ビーがいじっていて、
なおかつマイルスが監修したというわけでもない。
つまり正式にはマイルス・デイヴィスの作品と言えないものもある。

では、友人は何を基準に「ヒップホップではない」と考えたのだろうか。
理由を聞けばよかったのだが、会話から察するに
「ヒップホップとしてノレない」というのが大きかったようだ。
加えて彼が持っている考えの中に、ヒップホップはいわゆる「格好」も大事であり、
そもそも「ジャズ・ミュージシャンがヒップホップに手を出しても
それは真似事にすらならない」というものがあるようだ。

それは一理あると思う。
中山氏が話題として提供した
「ジャズのもっとも優れた部分が、今ヒップホップに継承されている」という考えは
非常に唐突感もあるし、
ジャズ好きを公言している人の神経を逆撫でする以外の何者でもないだろう。
(そういう人はエレクトリック・マイルスでさえイヤなのだ!)

だが、マイルスはヒップホップの要素をジャズに持ち込もうとしていたのは
紛れもない事実である。
ここまでヒップホップについて述べてきたが、
そもそも「ヒップホップというのはどういったものなのだろうか。」
という点をもう一度考えてみよう。

そこで重要なワードとなるのが「ループ」であり、「リズム」である。
加えて「ストリート性」が入るだろう。

マイルスは早くからオーヴァー・ダビングなど録音技術も取り入れ、
アルバムを作っていた。
そこにプロデューサーが作る「トラック」に
自分のトランペットをのせることなど造作もないことだろう。
アルバム『ドゥー・バップ』のプロデューサーは
ニューヨークでストリートDJをしていたイージー・モー・ビーである。
彼が作るトラックには「ループ」がある。
実際に聴いてみてもそのトラックはどこにも行かず、同じ部分が永遠と繰り返される。

リズムは正確性を極める。
以前にもマイルスはドラム・マシーンを使っているし、
変わらなく単調なリズムキープというのは意外にマイルスのテーマなのかもしれない。
早くは『イン・ア・サイレント・ウェイ』のあの崩れないリズムが思い出されるだろう。

つまりここまでのトラックの作り方というのはヒップホップの要素を含んでいる。
元々『ドゥー・バップ』は2枚組になる予定もあり、
パブリック・エネミーのチャックDやフレイヴァー・フレイブとも
打合せをしていた事実が残っている。

マイルスがそこまでヒップホップにこだわった理由は「ストリート性」だろう。
兼ねてからマイルスは自分の音楽がラジオで流れないことを嘆いている。
ラジオは黒人に音楽を伝える重要なツールであった。
1つに曲の長さもあるだろうが、マイルスの音楽というのは「ノレない」のだと思う。
これはマイルスの善し悪しを言っているわけではない。
マイルスの音楽にある特徴とも言えるだろう。
『オン・ザ・コーナー』でもストリートを意識して作ったのに
「踊れない」と不評をかってしまった。
僕は自分が踊らないためそこら辺の実感がわかないのだが、
ジワジワと盛り上がってくるマイルスの曲というのは踊りに向かないのかもしれない。

それでもマイルスはストリートを意識して製作をしようとする。
そこにはある種のポーズもあったのかもしれないが、
これも当時のアメリカの黒人への差別状況が如何なるものだったか分からなければ、
正確に理解することもできないだろう。

やがて、ジャズは聴かれなくなり、
巷では大きなラジカセを担いだ若者が闊歩するようになる。
そこにマイルスは「これだ!」と思ったとしても不思議ではない。
パブリック・エネミーなどは政治性も十分に含んでいる。

だがここで予想外のことが起こる。
それがマイルスの死である。
ヒップホップを取り込もうとしたマイルスはトラックと自身のトランペットの融合を
ほとんど聴くことなく死んでしまう。
残された音源をイージー・モー・ビーが何とか『ドゥー・バップ』に仕上げる。
加えてイージー・モー・ビーが2匹目のどじょうを狙ったのか
ミックス・ヴァージョンも出す。
つまりはマイルス自身が目指したヒップホップと言うよりも
イージー・モー・ビーが作ってしまったアルバムと言える。
でも、マイルスの影は残る。
何しろそれは普通のヒップホップではなく、
「ヒップホップを取り込もうとした」ジャズのアルバムで、
マイルスを聴くためのアルバムなのだから…

アメリカの今の社会状況と「内省性」化するヒップホップ

2012年02月07日 | ヒップホップについて
「駄目な僕」というのは、
ビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』に入っている曲(邦題)である。
「僕は時代に合っていないんだ…」と鬱々としたつぶやきを
美しいブライアン・ウィルソンの声で聴くと、
「そうだよなぁ。そう思うことってあるよなぁ」と妙に共感してしまう。
まぁ、今風に言うとブライアン・ウィルソンは元祖草食系男子とでも言えるのか。
(「草食系」などという言い方は好きではないのだが…)

つまりは自分の心の中、「内省性」を歌うのがロックの特質でもある。
反社会的な歌詞というのは、いわゆる「自分はこの社会に合っていない」という
逆説的なメッセージに成りうるし、
「みんな平和で行こう」という歌詞はやはり内面から溢れ出るものだろう。
その反社会的な思いが評価され、
社会で成功をしてしまうという矛盾をロックは含んでいる。
それに引き裂かれてしまい、悲劇的な死を選ぶロッカーもいるわけだ。

ところがヒップホップは全く「内省性」とは無縁の音楽と言える。
元々「金・女・社会的成功」という人間の欲をストレートに歌い、
そもそも成功することが目的のため音を出しているような部分がある。
社会的に成功できれば大成功という目的もはっきりしている。
とても内面をラップにのせるといった状況ではなかったわけだ。

しかし時代は流れる。
アメリカの9.11や様々な経済状況、世界に対しての強攻的な戦争という
世界のリーダーたらんとする姿は、
一方でその国に暮らす人々にいったいどのような影響を与えたのだろう。
こうした状況は日本も他人事ではないのだが、
そういう時についつい「オレってさぁ…」などとつぶやくこともあるだろう。
政治に対して激しく憤りを覚えていながらも、それに対する手段を持たず、
どことなく「なあなあ」で済ませてしまう自分に嫌気が差すこともあるだろう。

ヒップホップが最後の聖域に踏み入れるのも自然の流れなわけだ。
アメリカでは黒人大統領も誕生して、黒人の社会的な地位も一応の上昇が見られる。
今のヒップホップを牽引するプロデューサー、DJ、ラッパーは
決して昔のような荒々しさがない。

前に取り上げたカニエ・ウエストの映像でも
彼はスーツやシャツをオシャレに着こなし、激しく感情を吐露する様子はない。
最近、話題のドレイクの『テイク・ケア』のジャケットも見てほしい。
物静かに金色のワイングラスを持つその姿は、
「これから欲を満たそう」というよりも
「叶ってしまった欲をどう処理していいのか」と戸惑っているようにも見え無くない。

一方でネットが広がり、大手のレコード会社に頼らず、
自分で作ったトラックを無料で公開したり、配布したりするという人も増えている。
タイラー,ザ・クリエイターの『ゴブリン』では、
ゴキブリを食うという衝撃的かつ
「中学生の悪ノリ」(長谷川氏言)的映像で話題をかっさらい、
加えて鬱々として一向に光の見えない社会に不満をぶつけている。
リルBは『アイム・ゲイ』というカタリタイトルでアルバムを出し、
(正確にはネット配信しかされていない)
『千と千尋の神隠し』のテーマやら岡田有希子やらからトラックを作っている。
今までの威勢の良いギャングたちの音楽から
一気に「なんでもあり」の音楽になっていることが分かる。

これからヒップホップがこの路線を行くかどうか分からない。
だが、ネット社会において誰もが自分のトラックや曲を発表して、
「場」に参加ができるようになってきている。
『文化系のためのヒップホップ入門』ではお二人がこの現象を
「初音ミク」と同じと語っている。
確かにYouTubeに大量にアップされている「初音ミク」は、
「場」を共有し、その中で優れた物を競い合っている。

さて、随分と長くなってしまったが、
『いーぐる』でのヒップホップ講演はその大筋の流れを追うことができ、
とても分かりやすかった。
一方でお二人が取り上げなかったJやラッパーもいる。
実はここら辺に中山康樹氏の語らんとしていったことを理解する鍵があると思った。

それについてもう少しこの話題を続けよう。
その前にまだ本を読んでいない人はぜひ読んでみて、
ヒップホップの歴史にふれてみるのもいいかもしれない。
普段はジャズ聴きの僕も折に触れて色々なジャンルを聴いてみる。
そこには今まで知らなかった未知の音楽が溢れているのだから…

「いきなり日本語で来るので気を付けてください」

2012年02月05日 | ヒップホップについて
と言ったのは大和田氏である。
ミッシー・エリオットの「ゲット・ユア・フリーク・オン」を流す前である。
そして流れる
「これからみんなでめちゃくちゃ踊って、騒ごう、騒ごう」という暗めの男性の声。
初っぱなから吹き出さざるえない状況だ。
加えて「ぺんぺぺぺぺぺん」とまるで三味線が鳴るかのような音。
一体何なのだ、これは!という度肝の抜かれるトラックである。

東西抗争によりヒップホップの動きは南へと動いていく。
ジャズが様々な音楽様式を吸い込みながら大きくなっていったように、
ヒップホップも南部に広がる「ソウル」やら「R&B」やらを取り込みながら
それまでのヒップホップとは異なる姿へと変わっていく。

今回の『文化系のためのヒップホップ入門』で長谷川氏や大和田氏が
最も新しく取り出したのがここからだそうだ。
日本におけるヒップホップの印象は腰パンに野球帽で
気怠そうなラップというステレオタイプで固まっている部分があるのだが、
それはあくまでも東西抗争辺りまでの話であり、
歴史としてもよく語られる部分なのだそうだ。

問題はその後であり、しかも現在のヒップホップの現状である。
ヒップホップが南へ進出してくる中で1人のキーマンが登場する。
ティンバランドである。
彼は自分の作った曲をミッシー・エリオットやジェイZ、果てはマドンナまでに
提供をしているプロデューサである。
自分もアルバムを出しているのだが、
ティンバランド自身はトラックしか作れないそうだ。
そのトラックはサンプリングした「何か」がループをしているのだそうだ。
「ループ」はヒップホップがヒップホップたらん由縁の1つの要素である。

加えてティンバランドは曲のスピードをドレーよりも落として処理をしている。
これによりまるで三味線のように「ペんペん」とギターが鳴るのだ。
加えて遅くなることで更に空間ができ、
その間を歌とラップが自由に組み込むこめ、ほぼ即興的に作り上げられていくそうだ。

何よりも大事になるのが、ティンバランドの作り出すリズムである。
メロディーはティンバランドは作れないのだが、
リズムはそれまでの「2拍4拍」ではなく、
むしろカリブ海周辺諸国に伝わる「クラーベ」に近いという。

ここで前に『いーぐる』でやっていた村井康司氏の講演とつながりが出てくる。
村井氏はジャズの起源がニューオリンズだけではなく、
実はカリブ海周辺諸国からの影響があったことを前に話している。
その時にリズムとして出てきたのが「クラーベ」である。
「クラーベ」はニューオリンズの葬儀のパレードで流れた
「セカンド・ライン」のリズムと通じ合っているというのが村井氏の考えであったが、
ヒップホップでもここでつながっていくこととなる。
ヒップホップは東や西海岸で生まれたが、
巡り巡って黒人音楽のルーツリズムと言われるものと結び付いていった、
つまりは「先祖返り」をしていったと聴くことができるのだ。

1990年代も中頃である。
それなりに新しい機械や楽器が出て、電子的な音も生まれているのに
リズムは古くから伝わり、伝統の中にいつの間にか埋もれていってしまったものが
再び脚光を浴び、しかも「新しい」感覚と混じり合っていったというように考えられる。

確かにここら辺になってくるとそれまでの東西のヒップホップと違っていて、
果たして歌なのか、ロックなのか、ヒップホップなのか、それ以外なのか、
ジャンルとしても不明確となり、音もザラザラとした妙な緊迫感がある。
それでありながらT-ペインのような「チョップド・N・スクリュード」のように
更にレコードの回転数を落として、それこそテクノのように
「ふぁふぁふぁ~ん」としたまるでパフュームのような音楽を作っている。
(ちなみに件の曲が入ったアルバムが出たのが、パフュームのデビューと重なる)

サンプリング(もしくは演奏)でリズムを作り、それをループさせるという
最小限のヒップホップ条件を用いて、サウスで作られたヒップホップは、
それまでのDJやラッパーたちからは「あんなのヒップホップじゃない」という
ちょっと年期のいった人のような評価を下されている。
それはそうだろう。まるでどこかの応援団がやっているような曲だってあるのだ。
だが丹念にリズムに身を任せてみると、
それはやはりヒップホップの最も深い部分に眠る核がある。

いよいよ最後に現在のヒップホップへと進んでいく。
行き着くところまで行った感のあるヒップホップだが、
「ロック最後の聖域」とも言われる場所が残っている。
それは「駄目な僕」という自分の心の中である。

西海岸でロックは「平和」を歌った。だがヒップホップは「抗争」に発展した

2012年02月03日 | ヒップホップについて
人は進みすぎてしまうと、取りあえず原点へ回帰したくなるようだ。
それは文明にしろ、文化にしろ、様々なことに起こりえることである。
ヒップホップもアフリカ・バンバータの作り上げたエレクトロの近未来的な音から
初期のパーティで鳴っていたような太く、荒々しいような音へと
憧憬を深めることになる。
東海岸側では、特にサンプラーの登場により、今までのドラム・ブレイクだけではなく、
音楽のありとあらゆる部分が切り取ることができるようになった。
そうなると自分たちで演奏をしなくても曲を作ることができる。
しかも楽理通りでなくてもいいのだ。
とにかく「カッコいい」という基準でトラックが作られ、
そこに洗練されたクールなラップがのるようになる。

『いーぐる』で流れたのはピート・ロック&C.L.スムースの
「ゼイ・レミニス・オーヴァー・ユー」である。
これはヒップホップの超名曲にもなっているそうだが、
トム・スコットのサックスを数音切り取ってそれをループさせ、リズムに乗せている。
ラップの後ろで鳴り響くサックスは、決して有名ではない部分から取られたそうだが、
この曲の中ではとてつもなく効果的に響き、
ラップの合間に合いの手のように入る部分では
「くーっ」ときてしまうほど哀愁に満ちている。
もともとギャングの抗争中に死んでしまった友人を思っての曲らしいが、
その感じはラップが分からなくても伝わってくる。

話は並列で語るのは難しいのだが、同時進行で西海岸でもヒップホップに動きがあった。
こちらはギャングたちがその発展に手を出している。
つまりは「ギャングスタ・ラップ」である。
前にも書いたが、僕は英語が分からないため、ラップも音として聴き取っている。
友人の中にはこの「ギャングスタ・ラップ」の
女性軽視や暴力的な部分に嫌悪感を抱いている人もいる。
正直、僕もビート・ナッツの歌詞カードを見た時に、
「こりゃあ、どえれーものがあるもんだ」と陰鬱な気分になった。
だが、逆にいえば歌詞カードを見なければ、そうしたものを意識する必要はない。
しかも聴いてみると結構これがいいのだ。
ドクター・ドレの『クロニック』などは、何度聴いたって気持ちがいい。

この頃ぐらいからヒップホップは車で聴かれることが意識されるようになるらしい。
西海岸と言えばロックでも「夢のカリフォルニア」やら
「花のサンフランシスコ」のように明るく華やかなイメージがある。
加えて海、水着美女、そして車という三種の神器そろい踏みである。
だから車で美女を連れて海に行く途中にカッコイイヒップホップがかかっていると
何だか「イカした」感じになるのだそうだ。
(こういった人たちはきっとラップを気にしなかったのだろう)
しかもサンプラーを使うのを少なくし、生演奏でバッチリと演奏する方に戻っていく。
アドリブは認められず、とにかく同じリズムやメロディーをループさせていくのだ。
だんだんとサビメロも生まれるようになり、歌とラップが入った物が生まれる。

1990年代にイーストとウエストでこうした動きが同時多発的に起こった。
音楽の歴史はこうやって同時多発的に起こることが多い。
だが「両雄並び立たず」と言うべきか、元々血の気が多い人たちの音楽である。
東西で「おれらが一番だ」という争いが起こっていったそうだ。
しかも本当の殺し合いまで起こってしまったというヒップホップならではの
エピソードがある。

こうしたことが現実的に起こったことでギャング色の強かった西側が
壊滅的にダメージを受けてしまう。
確かにギャングに所属をしていたラッパーやDJはいたのだが、
その実は意外に高学歴だったり、
他人の武勇伝をまるで自分のことのようにネタにしたり、
といういわゆる「なんちゃってギャング」の人もいたのだ。
しかし世間に売っているイメージが先行しすぎてしまい、
東側よりも西側のダメージは計り知れなかったそうだ。
再び浮かび上がってくるまでにはドクター・ドレの『2001』まで待つしかない。

この1980年代後半から1990年代のヒップホップは、
『いーぐる』のオーディオで聴くとおそろしいほどに低音が響いてくる。
クラブで低音が「ズドンズドン」とうなり声を上げるように聞こえることがあるが、
『いーぐる』の音は低音が乾いていて、なおかつストレートに心臓に響いた。
おそらく普段よりも音量は上がっていたと思う。そこに低音の素晴らしい響きがあった。
これは講演をしていたお二人も「う~ん」と感心していた様子だった。
やっぱりオーディオも侮ってはいけない。いい音で聴くと曲の印象も変わってくるのだ。