国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

こんがらがった毎日に、ほんの一時の息抜きを…

2011年11月30日 | マスターの独り言(日々色々なこと)
明日からいよいよ12月である。
あっという間に1年が過ぎてしまうのがびっくりな状態だ。
12月の上旬がもの凄く忙しい。
今でもいくつかの仕事を並行して行っていて、正直頭の中は混線状態である。
僕は意外に計画をしっかり立てて、それに従って動くことが多い。
多少の変更であれば、筋を書き変えるのは難しくないのだが、
一斉に来ると一気に古いパソコン並に処理速度が遅くなる。

だが、頭の中はただ今それに割り込むかのようにヒップホップを
どう聴いていくかという欲求で一杯でもある。
ジャズとヒップホップの親和性というテーマがなければ
手を出すこともなかったであろうジャンルに、
どうやら輪郭線がおぼろげながらにつかめてきたのだと思う。

目の前の忙しさから逃げたいのは山々なれど、
そうもいかないから今年の年末年始はヒップホップ漬けになるのだろう。

そうは言いながらも今宵もビル・エヴァンスを取り出してしまう。
エヴァンスのいいところは決して安易なメロディーだけではないということだ。
「美しい」というのは時として緊張感を強いる。
ジャズにしても名盤と言われているものは聴くにはそれなりの覚悟が必要である。
何せちゃんと聴くためにはそれなりに集中をしなくてはならない。
聴き終わるとぐっと疲労に襲われることもある。

もちろんエヴァンスだって基本的にはそんな状況になる。
だが、ちょっと聴きでもエヴァンスの弾くピアノは心地よい。
ときおり「来るぞ、来るぞ」と思いながら、
期待通りにピリッとしたフレーズが出てくると「キター」と胸が高鳴ってくる。

そんなわけで今日もエヴァンスの
『パリ・コンサート・エディション1』を取り出してしまう。
円熟しきったエヴァンスの高みにふれるのに絶好の1枚である。
寒さ深まる夜にピアノの音が静かにとけていく。

2011年、ラブホテル群に近未来を感じる

2011年11月28日 | マスターの独り言(日々色々なこと)
今日は出張でちょっと遠くまで行ってきた。
最近では車中で「短い時間ならば…」と音楽を聴くよりも
ラジオを聴いてしまうのだが、遠くまで行くとなると別だ。
朝、忙しいにもかかわらず、眠い頭で今日に合ったアルバムを思い浮かべる。

そこで今日出てきたのが、デレク・トラックス・バンドの
『ソウル・セレナーデ』である。
これは先日もブログで取り上げたピーター・バラカン氏が、
『ピーター・バラカン音楽日記』(集英社インターナショナル)で
ふれているアルバムでもある。
バラカン氏はこのアルバムを車で聴いてとても気に入ったと書いている。
「それならば」と思って、取り出してみたわけだ。

出張が少々長引いてしまい、帰りは高速を使おうと
とあるインターから乗り込んだ時のことである。
インターはちょっと近未来的な曲線を描いた道路が特徴的である。
しかもその外側に林立するのがビル上のラブホテル群。
特徴的な明るい外光と窓にぼんやりと映るほのかな明かり。
ちらりと動く人影。
疲れのせいか意味もなく気分が盛り上がってくる。

そこに『ソウル・セレナーデ』の「アフロ・ブルー」が流れ出す。
あのコルトレーンもやっている曲だ。
デレク・トラックスの激しく身悶えもするようなギターの音が
たまらなく僕を刺激して、グッとアクセルを踏み込む。
凄まじいまでの高揚感と渦を巻くような感情がほとばしり、
ふっと気が付くとスピードがかなり出ていた。

「アフロ・ブルー」が終わると、その気持ちも随分と収まったのだが、
高速道路をひた走っていると、それこそ時間や空間から切り放たれたように
自分の存在が一時何か別のものに取り込まれていくかのようだ。

残念ながらこのアルバムのジャケットのように道端を歩く女性はいなかった。
だが、道はどこまでも真っ直ぐに続いていた。

『五十歩百歩』は「結局は同じ」なのだが、「100」と「1000」は全然違う…

2011年11月26日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
今日はこのブログを始めてから1000日目だそうだ。
実感はわかないが、それでも1000日も
このブログが続いていたことに驚く。
思えばこのブログを始めた時には、
「よし、とりあえずマクリーンからいこう!」と思って、
Ipodにもマクリーンしか入れていなかった。

それから1000日の間にロックが加わり、
そしてヒップホップ、ワールド・ミュージックと
ジャズだけではなく多種多様の音楽を聴くようになってしまった。
誰がそんなことを予測できただろうか?
しかし肝心のジャズでさえ、深すぎてちゃんと追求もできていない。
それだけ広大な世界に挑んでしまったことを今更ながら感じてしまう。

今日取り上げようと思っていたのが
ミシェル・ペトルチアーニの『ハンドレッド・ハーツ』であった。
実は1000日が近くなって、「1000日目はこれだな」と思っていたアルバムだ。
記憶の中でこのアルバムが『1000ハーツ』と勘違いをしていたのだ。

今日になって取り出してみたら『100ハーツ』と書いてある。
「あれ?」と思ってみたが、自分の中では
「1000日目に『1000ハーツ』を聴く」というネタで決まっていたので、
とりあえず強引に推し進めていく。

このアルバムのB面にタイトル曲がある。
が、その前の「ポプリ」というメドレー曲がある。
14分にも及ぶ曲だが、「いつか王子様が」や
「オール・ザ・シングス・ユー・アー」などジャズを聴いたことがある人ならば
一度は耳にしたことがある曲が自然とつなぎ合わさっている。
ペトルチアーニは僕とは違ってかなりしなやかなのだ。
タイトル曲では音が寄せては帰るかのようにメリハリがあり、
いつの間にか呑み込まれている。
途中で口笛も加わり、ご機嫌な演奏なのだ。

まぁ、そんなこんなでまだ続いていく予定だ…

ジャケットの持つ怖ろしい魔力について

2011年11月25日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
あと1ヶ月もすればクリスマスである。
世間も徐々にクリスマス色に染まりつつあるし、
何よりも某ファーストフード店のチキンのCMが輝かしい。
残念なことに僕はそちら側の宗派ではないため特に感慨がわくわけでもない。
ただ当たり前のようにクリスマスを迎え、
当たり前のように何事もなく新年を迎えることになるのは毎年のことだ。

さて、話はガラッと変わるのだが、僕は基本的にはオムニバス盤は買わない。
そもそも「ジャズを聴こう!」と思って買ったのが、
『ジャズ・スタンダード集』であり、そのスタンダード集が
僕のジャズ史において全く意味をなさずに、
ただ「寄せ集めのアルバムでは何も分からない」ことを教えてくれただけであった。
まぁ、今ではオムニバスを買っても、
それが持っているアルバムと重複してしまうだろう。

ところがである!
このオムニバス盤は「買おう!」と思った。
それが冒頭のクリスマスの話とつながる。
どうだろう、このジャケットは!
『ア・ブルーノート・クリスマス』
一応はブルーノートの名前が入っているが、
これはジャズ全盛期の頃のブルーノートとは違ったものと考えた方がいい。
だが、そのジャケットセンスは何とも言えない。
まずはパッと目を惹くのが、こちらを振り向く美女のサンタクロースだろう。
ミニスカからは長いおみ足がすらりと伸び、袋にはサックスなど楽器が入っている。
口元が涼やかな笑みを浮かべているが、どうにも言いようのない美しい笑みだ。

それもいいのだが、背景がまたいい。
どこかの古めかしいビルの壁際である。
通りには誰も姿が見えない。
こんな古通りの、もの寂しい場所で美女のサンタが微笑む。
たまらなくミスマッチでありながら、ぐっとジャケットに惹き付けられる。

肝心の音楽は?
まぁ、それはご愛敬といこう。

「黒い」音が分からない? ならばこのジャズ・アルバムはいかかが?

2011年11月21日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
急激に寒くなってきた。
寒いと温かいものが欲しくなってくる。
そうなるとジャズもコッテリ系が欲しくなる。
どうしてそうなるかって?
ノリのいいリズムに合わせて身体を揺すってみれば、
いつの間にか、ほら、温かくなってきてるだろ…

まぁ、それはともかくとしてコッテリ系のいいところは、
身体に与える電気ショックのような影響がある。
とにかく元気になれる。しかもバネのある演奏はやっぱり気分が高揚してくるのだ。

そんなわけで2人の名手が共演した1枚が今日のアルバムだ。
『バグズ・アンド・トレイン』
ミルト・ジャクソンとジョン・コルトレーンの二枚看板である。
そもそもミルト・ジャクソンのヴァイブは、もの凄くコクがある。
これは聴いてみて欲しいのだが、ヴィブラホーン(ヴァイブ)を演奏すると
どことなく冷たく、硬質な音がカッチリと出てくる。
だが、ミルトのヴァイブは、なぜかただ爽やかな涼感のあるだけの音ではない。
どこに秘密があるのか分からないのだが、
音をこし取ってなお残るかのようなそんな奇妙な残物があるのだ。

そこにコルトレーンのテナーがのる。
このころのコルトレーンはとにかく明瞭だ。
吹きまくるでもなく、ノリが決していいわけでもない。
だが、真面目で一途な音がミルトのヴァイブと混じり合い、いい具合にコッテリしてる。

バックにいるピアノのハンク・ジョーンズも忘れてはいけないだろう。
そこに一流のベーシスト、ポール・チェンバースが加わり、
ドラムはMJQのコニー・ケイだ。
これで濁った粘りのある音が聞こえてこないのはおかしい。
特にタイトル曲はどこがどう間違ってこんなに黒いのかというぐらいに
僕たちに「黒い」音を教えてくれる。

ほら、言ったとおり。
聴いていれば胸の奥からじんわりと温かさが湧き出てきてるはずだ。