国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

ジャズ喫茶で過ごす幸福な時間 「BIG BOY」編 Vol.2

2010年01月24日 | 他店訪問
「BIG BOY」は、地下鉄神保町駅から徒歩すぐのところにある。
ドアは写真にあるようにカラフルな黄色で、一見するとジャズ喫茶ではないような感じだ。
大きな窓際にマスターの林さんが並べたレコードジャケットと
漏れ聞こえてくるジャズの音がなければ
おしゃれな神保町のカフェといった雰囲気だ。

ジャズ喫茶に入るのは、最初誰でも勇気がいる。
「暗い」「きたない」「こわい」の「3K」が揃った昔のジャズ喫茶のイメージは
多くの人がジャズ喫茶は「虎の穴」のような恐ろしい場所だと
誤った認識を持ち続けている。
だが、大きな窓から興味ありげに店内を覗き込む人たちは多くいる。
ふと足を止めて、ジャケットに見とれる人たちがいる。
老若男女問わず「BIG BOY」は、誰もが入りやすいジャズ喫茶なのだ。

林さんと話しているとジャッキー・マクリーンの『ブルースニク』の話が出た。
ブルーノートでマクリーンが録音したブルージーでレイジーなアルバムだ。
この前来た人に聴かせたら、初めて聴いたらしく
帰りに買って、窓のところで林さんに嬉しそうにジャケットを見せてくれたそうだ。
僕はマクリーン好きだから『ブルースニク』も聴いている。
一方でそれを初めて聴いた人がいる。

僕がジャズ喫茶へ行けば当然ながら知らないアルバムがかかることが多い。
知っていても洗練された高音質で聴くジャズはまた違った世界を魅せてくれる。
それがジャズ喫茶だ。
数多のジャズアルバムがあり、1人で全てを集めることは無理だ。
だが、ジャズ喫茶がある。
ジャズがあり、コーヒーがあり、そして人がいる…
ジャズ喫茶は未知のものと出会い、興奮する場所なのだ。
そんなジャズ喫茶に僕は惹かれてしまう。
ねぇ、そこの君、
君も携帯なんかいじってないでジャズと出会いにジャズ喫茶へ行ってみないか?

ジャズ喫茶で過ごす幸福な時間 「BIG BOY」編 Vol.1

2010年01月23日 | 他店訪問
コーヒーを飲むにはそこら辺にあるコーヒーショップで事足りる。
ほら、ちょうど都合良くジャズもかかっている。
だが、ジャズにどっぷりはまりたいのなら
やはりジャズ喫茶に行かなくては!

ひさしぶりに神保町の「BIG BOY」に行ってきた。
ここ数日、「BIG BOY」のサンドウィッチが食べたくて仕方がなかったのだ。
僕は基本的に土曜日しか出掛けられない。
ジャズ喫茶に行くのも土曜日に限られてくるのだが、
最近は「いーぐる」の連続講習会への参加であったり、
「BIG BOY」が休業日(第1、第3土曜は休み)で合わなかったりと
なかなか訪問の機会を逸していた。
もう週中頃から「よ~し、何が何でも今週は行くぞ!」と気合いを入れての訪問だった。

12時半ごろに店に着くと、店内にはお客の姿がなく
マスターの林さんと奥さんしかいなかった。
林さんは変わらず黒で統一したダンディーな装いで「ひさしぶり」と迎えてくれた。
まずはご挨拶に鵠沼海岸にある「響庵」のマスター、大木さんの話題から話が始まる。
「BIG BOY」ができるずっと前に神保町にはジャズ喫茶「響」があった。
「響」が閉まり、
大木さんが鵠沼海岸に「響庵」という小さいジャズ喫茶を作ったのは有名な話。
たぶん「BIG BOY」の林さんも「響」に通っていたのだろう。
僕が「響庵」に行ったことがあると話をしてからは、訪問すれば必ず大木さんの話になる。

その後最近聴いているジャズの話だ。
僕がウィントン・ケリーを聴いていると話すと、
林さんは惜しげもなくケリーのアルバムやレコードを取り出して見せてくれる。
『枯葉』の別テイク集をかけてくれ、オススメのアルバムを教えてくれる。
ちょうど頼んでいたBLTサンドとコーヒーも出てきて
僕にとって至福の時が訪れる。
これがジャズ喫茶だ!

ガンプラの合わせ売りも買ったことあったなぁ

2010年01月22日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
携帯電話で「2in1」という機能がしきりに宣伝されたことがある。
1つの電話で番号が2つ持てるというやつだ。
実は輸入盤CDにも「2in1」のものがある。
アルバム2つ分を合わせて売るという方法だ。
2枚のアルバムを1枚にまとめたものもあれば、
2枚のアルバムを1枚ずつにして合わせた形式の物もある。
どちらにしろ通常よりも安く2枚分を手に入れられるので得なのだが、
ジャケットがオリジナルとは違うことが多いため
ちょっと気になったりもする。

今日のアルバムはウディ・ショウの『ラヴ・ダンス』であるが、
僕の持っているのは『カサンドラニテ』と合わせてある物だ。
『カサンドラニテ』は単独でも持っているため最初は買おうかどうか迷った。
しかしショウの『ラヴ・ダンス』はなかなかCDでもレコードでも見かけないため
「…仕方がないか」と思いながら購入を決断した。

『カサンドラニテ』にはハービー・ハンコック、ロン・カーターや
ジョーヘンなど有名どころがサイドメンで参加しているが、
『ラヴ・ダンス』の方は、
知られているのはルネ・マクリーン(ジャッキー・マクリーンの息子)や
セシル・マクビーぐらいなものだが、演奏の質では負けてはいない。
ウディ・ショウもソロイストというよりは楽曲重視派の感が強く、
どの曲も演奏全体がよくまとまり、勢いもある。
ショウのトランペットには瑞々しさとどこまでも広がろうとする懐の深さがある。
ちょっと聴きには耳当たりが良いため軽く聴くこともできるのだが、
聴き込むほどにショウの創り出す空気には緊張感が溢れていることに気づく。

ミューズ時代のショウは結構いいアルバムが多いが、
それを手に入れるのは今では難しい。
『ラヴ・ダンス』も以後見かけることがないため、
あの時の判断はどうやら間違ってなかったようだ。

コルトレーンからのメッセージ

2010年01月21日 | マスターの独り言(曲のこと)
コルトレーンについては散々このブログでふれてきたが、
後期コルトレーンはまだ解決の糸口が見えそうにない。
ジャズというにはあまりにも荒々しく、
高速でブローしまくり、高音と低音を激しく入り交じらせながら
強引に空間をこじ開けようと進んでいく。
今の「しらけ」時代では
それこそ「どっちらけ」で、冗長な演奏となり飽きてしまうのだろう。
ジャズからはみ出したぐちゃぐちゃな音楽は、
それこそ聴く必要もないか、それとも騒音かと見なされ
皮肉なことに静かに消えていってしまうのがオチだろう。
大体そんなもの聴かなくたって世の中には「楽しいこと」がいっぱいあるのだ。

ところが1960、70年代のジャズ全盛期ではコルトレーン・サウンドが神様だった。
激しく難解な音楽は当時の社会情勢や政治状況と合い重なって、
「わけが分かんないから素晴らしい」というまさに訳の分からない理由でもてはやされた。
その代表格がコルトレーンだったわけだ。

僕にはコルトレーンが何を考えていたか分かるわけもないが、
時々その激しいブローの中に一抹の悲しさを感じたりもする。
途切れることのない音は、吹いていないことへの不安だったりするのかもしれない。

そんなコルトレーンへ捧げられた曲がある。
「ア・メッセージ・フロム・トレーン」
ジャッキー・マクリーンの『デモンズ・ダンス』に収録されたものもいいが、
僕はアーチ・シェップの『スチーム』を推す。
コルトレーンに心酔していたシェップが
ピアノレスでテナーをブリブリに吹きまくっている。
その演奏はまさにコルトレーンが乗り移ったかのようであり、
途切れることなく一本のメロディーが蕩々と流れだし、やがて空間へと広がっていく。
そこにはタイトル通り「コルトレーンからのメッセージ」を受け取った
1人のテナー奏者がいたのだ。

コルトレーンと対決のため

2010年01月20日 | 休業のお知らせ
ときどき後期のコルトレーンを聴きたくなる。
今持って全く分からないのだが、
その「分からない」を何とかして「ちょっとは分かる」ぐらいまでにはしたい。
それにはちょっと腰を据えて聴くことが必要になる。

そんなわけで今日はコルトレーンを聴くため休業します。
またのお越しをお待ちしております。