国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

深夜の冒険は想像を刺激する。それを具現化できた時表現者となる

2012年05月04日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
昔は光源が当然ながら少なかった。
それこそ月明かりでは、今のように夜に行動はできない。
だから昔の人は早寝であった。
時折夜遅くまで起きて出歩いている人が、
魑魅魍魎の類に出会った感じとなり、怪談が生まれたりする。

昨夜、郷土史家の友人と沼巡りをした。
何がどういう経緯で沼を巡ったのかというのは省くが、
夜、明かりが少ない中で見る沼は果てがなく、まるで湖といっても過言ではない。
遠く向こうには煌々と巨大な建物が明かりを放っているのに、
沼は全く暗闇に包まれ、カエルだけが盛大に鳴き続けていた。

その後場所を移動して、とある小高い丘に行ったのだが、
突然暗闇の中に巨大な宙に浮いた“サカナ”が現れた。
あまりにも突然のことにあっけにとられたが、
よくよく見ると飛行船が停泊をしているのだと分かった。
CMで見かけるスヌーピーの図柄がプリントされているのが見えて、
趣を削がれたような気持ちになったが、
暗闇の中で突如として現れた“サカナ”は怪談を生み出すには十分な存在だろう。

僕らは便利な世の中でそうした想像を忘れつつある。
タネが分かれば何て事はないのだが、
人は考える葦であるなんて昔の偉い人は言っていた。
考え、想像してナンボである。

そこで取り出したのがパット・メセニーの『ファースト・サークル』である。
メセニーはフュージョン系にとられがちで、
ジャズを聴く界隈でも聴かないという人がいるぐらいである。

僕にとってメセニーのギターから広がる音は十分に想像を刺激してくれる。
タイトル曲では軽やかなリズムにのり、幾重にもメロディーが重なっていく。
ライル・メイズのピアノもその豊かな世界に彩りを加えている。
メセニーは最初から自分の作りたい世界を規定している。
そこに近づくために楽器の構成を考え、合った曲を作り出していく。

想像を具現化する力、それがメセニーの魅力でもある。
それは近年の活動でも言えるだろう。
奇を狙ったような企画もあるが、
結果としてそれがメセニーの想像世界の具現に必要なのだ。

若き日の4人の記録

2012年05月03日 | マスターの独り言(ジャズ以外音楽)
講談社の『モーニング』に連載されていた「僕はビートルズ」の
コミックがどうやら完結したようだ。
「ビートルズのコピーバンドが、
 ビートルズがデビューする前の1962年にタイムスリップをしてしまったら…」
というストーリーである。
ビートルズ好きというか、
ビートルズを超えるバンドは先にも後にも出てこないだろうと思っている
僕にとってはとても興味深いマンガであった。

結論からいってしまえばマンガには終わりがあるということである。
それがどんな結末であれ、ある程度予定調和的な部分があり、
ま、上手いところに収まりをつけるのが必要なことなのだろう。
おそらく原作者の人はビートルズについての音源も多数聴いているだろうし、
あれこれと細部につっこみを入れるほど、僕もまたビートルズ史について詳しくはない。

ただ、タイムスリップをしてしまった4人が剽窃をしたくなるほど
ビートルズの楽曲には魅力がつまっていたというのは分かる。
ビートルズが残したアルバムは全部で13枚しかない。
ジャズは大量のアルバムが残るのだが、ロックミュージシャンは決して多作ではない。
加えてビートルズのデビューを1962年とするならば、
実質活動期間は8年となる。(正式な法的解散は1975年)
その期間に楽曲は大きく変化をしている。
これはライヴからスタジオレコーディングという時代的背景の変化もあったのだろう。

では、実際に1962年、ビートルズはどんな演奏をしていたのか。
残念ながらライヴアルバムがビートルズにはない(ライヴ音源はある)
そこで出てくるのが非公式のアルバムである。
『1962・ライヴ・アット・スター・クラブ・イン・ハンブルク』
これは、62年の12月にビートルズが最後のハンブルク公演のものである。

ビートルズは1960年から全部で5回ハンブルクで公演をしている。
『プリーズ・プリーズ・ミー』が1963年に発売されていることを考えると、
メジャー・デビュー直前のライヴ音源ということになる。
その前にすでにシングルが発売されているため
ある程度ビートルズはそれなりに“知られた”存在になっている。
事実ハンブルク公演は、ハンブルク側から請われて行ったものであり、
1962年の段階で3回行っている。

確かにビートルズのスタジオ録音アルバムは面白い。
1960年代後半にただ演奏するだけではなく、
アルバムに世界観を込め、楽曲に彩りを添えている。
(こういったアルバムづくりはマイルスも似ている)
今もってビートルズを超えるバンドが出てこないのは、
結果としてこうした手法が当たり前になりすぎて、
それを抜け出すことができないからだろう。

だが、このハンブルクの演奏を聴いてみると、
ライヴでのビートルズも凄みを備えていたことがわかる。
今と違ってミュージシャンが粗末に扱われた時代に、
ただ客を踊らせ、喜ばせるためにひたすら演奏をし続けるという鬼の特訓は、
ビートルズの演奏技術の向上にも一役かっていたのだろう。

音はひたすら悪い。
だが、そこに音楽を追究していくことになる若き日の4人の姿がある。
それはアイドルでなく、演奏をただひたすらに繰り返すミュージシャンの姿である。


※なお、この文章を書くために
 『僕はビートルズ』(講談社)かわぐちかいじ画 藤井哲夫原作
 『伝説のロック・ライヴ名盤50』(講談社文庫) 中山康樹著
 を参考にしました。
 表記等の間違いがありましたら、全て私の責任であります。ご了承ください。