昔は光源が当然ながら少なかった。
それこそ月明かりでは、今のように夜に行動はできない。
だから昔の人は早寝であった。
時折夜遅くまで起きて出歩いている人が、
魑魅魍魎の類に出会った感じとなり、怪談が生まれたりする。
昨夜、郷土史家の友人と沼巡りをした。
何がどういう経緯で沼を巡ったのかというのは省くが、
夜、明かりが少ない中で見る沼は果てがなく、まるで湖といっても過言ではない。
遠く向こうには煌々と巨大な建物が明かりを放っているのに、
沼は全く暗闇に包まれ、カエルだけが盛大に鳴き続けていた。
その後場所を移動して、とある小高い丘に行ったのだが、
突然暗闇の中に巨大な宙に浮いた“サカナ”が現れた。
あまりにも突然のことにあっけにとられたが、
よくよく見ると飛行船が停泊をしているのだと分かった。
CMで見かけるスヌーピーの図柄がプリントされているのが見えて、
趣を削がれたような気持ちになったが、
暗闇の中で突如として現れた“サカナ”は怪談を生み出すには十分な存在だろう。
僕らは便利な世の中でそうした想像を忘れつつある。
タネが分かれば何て事はないのだが、
人は考える葦であるなんて昔の偉い人は言っていた。
考え、想像してナンボである。
そこで取り出したのがパット・メセニーの『ファースト・サークル』である。
メセニーはフュージョン系にとられがちで、
ジャズを聴く界隈でも聴かないという人がいるぐらいである。
僕にとってメセニーのギターから広がる音は十分に想像を刺激してくれる。
タイトル曲では軽やかなリズムにのり、幾重にもメロディーが重なっていく。
ライル・メイズのピアノもその豊かな世界に彩りを加えている。
メセニーは最初から自分の作りたい世界を規定している。
そこに近づくために楽器の構成を考え、合った曲を作り出していく。
想像を具現化する力、それがメセニーの魅力でもある。
それは近年の活動でも言えるだろう。
奇を狙ったような企画もあるが、
結果としてそれがメセニーの想像世界の具現に必要なのだ。
それこそ月明かりでは、今のように夜に行動はできない。
だから昔の人は早寝であった。
時折夜遅くまで起きて出歩いている人が、
魑魅魍魎の類に出会った感じとなり、怪談が生まれたりする。
昨夜、郷土史家の友人と沼巡りをした。
何がどういう経緯で沼を巡ったのかというのは省くが、
夜、明かりが少ない中で見る沼は果てがなく、まるで湖といっても過言ではない。
遠く向こうには煌々と巨大な建物が明かりを放っているのに、
沼は全く暗闇に包まれ、カエルだけが盛大に鳴き続けていた。
その後場所を移動して、とある小高い丘に行ったのだが、
突然暗闇の中に巨大な宙に浮いた“サカナ”が現れた。
あまりにも突然のことにあっけにとられたが、
よくよく見ると飛行船が停泊をしているのだと分かった。
CMで見かけるスヌーピーの図柄がプリントされているのが見えて、
趣を削がれたような気持ちになったが、
暗闇の中で突如として現れた“サカナ”は怪談を生み出すには十分な存在だろう。
僕らは便利な世の中でそうした想像を忘れつつある。
タネが分かれば何て事はないのだが、
人は考える葦であるなんて昔の偉い人は言っていた。
考え、想像してナンボである。
そこで取り出したのがパット・メセニーの『ファースト・サークル』である。
メセニーはフュージョン系にとられがちで、
ジャズを聴く界隈でも聴かないという人がいるぐらいである。
僕にとってメセニーのギターから広がる音は十分に想像を刺激してくれる。
タイトル曲では軽やかなリズムにのり、幾重にもメロディーが重なっていく。
ライル・メイズのピアノもその豊かな世界に彩りを加えている。
メセニーは最初から自分の作りたい世界を規定している。
そこに近づくために楽器の構成を考え、合った曲を作り出していく。
想像を具現化する力、それがメセニーの魅力でもある。
それは近年の活動でも言えるだろう。
奇を狙ったような企画もあるが、
結果としてそれがメセニーの想像世界の具現に必要なのだ。