国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

思ったときに思ったものが見つかる。これほど気持ちのいいことはない!

2011年09月29日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
ある程度毎日ブログを書いていると、書くネタに困ることがある。
聴くべきジャズなどは山のようにあるのだが、
人間、脳は1つに耳は2つだ。
仕事終わりから限られた時間の中で聴くものは、自ずから限られてしまう。
プラス、いつでも音楽が聴きたいかといえば、そうでもなかったりすることがある。
そういうときは益々ネタに困ったりするわけだ。

逆に「ピン」と鬼太郎の妖怪アンテナのように髪が立ちそうになるときがある。
「今日は○○○が聴きたいなぁ」というときだ。
だが、収納スペースの都合から簡単に聴きたいものが見つからないこともある。
「あれ? あったはずなのになぁ」とあちこち探しても
何故か捜し物をしているときほど見つからない。
結局あきらめて別な物を聴いてしまうと、すっかり出鼻を挫かれたような気分で
どうにもスキッとしない。

「今日はアーマッド・ジャマルかな?」と
日常全く意識をしないピアニストの名前が出てきたのは宿命だろう。
漁っているとなぜだかすぐにCDがポロッと出てきた。
アーマッド・ジャマルの『バット・ノット・フォー・ミー』である。

アーマッドと言えば『バット・ノット・フォー・ミー』であり、
『バット・ノット・フォー・ミー』と言えばアーマッドであると言えるほど
彼の代表作である。
何がそれほどまで有名にしたのかというとアーマッド・ジャマルは、
マイルス・デイヴィスにとって新たなスタンスを築く際に
影響を与えたピアニストなのだ。
アーマッドの弾きすぎないのにスイングする感覚がマイルスに影響を与え、
それが空間を生かした演奏へとつながる。
ミュージシャンというのは音が止まることが最も怖いわけだ。
特にライブに一瞬の静寂が訪れるというのは、なかなか勇気がいる。
だから音を重ねたくなるのだが、逆に音数を減らし、止まるか止まらないかという
ギリギリの空間を作り出すことで、想像の余地を残すことができる。

タイトル曲も良いのだが、6曲目の「ポインシアナ」の演奏もゆるゆるとしていていい。
昔やったコーエーの『水滸伝Ⅱ』で聴いたことのあるような音楽なのだが、
ドラムのバーネル・フォーニアのピリッと利いたドラミングが
爽やかな雨後のような印象を与えてくれる。

出てきて満足、さらに聴いて満足の1枚だったのだ。

オーネットの変曲を演奏し隊

2011年09月26日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
パット・メセニーとくれば、今ではジャズ界のみならず、世界有数のギタリストである。
ジャズ界では何かと倦厭されがちな存在でもあるのだが、
メセニーの音楽がやはりジャズを基盤としていること、
そして同じく有名なギタリストであるビル・フリゼールと同様に
“アメリカ”という国を体現していることに、一聴の価値があるのではないだろうか。

近年は『オーケストリオン』での野心的な試みを見せて、
ちょっと「ポップスか!」とジャズファンが眉をひそめそうなアルバムを出し、
多種方面に手を広げているところが何ともジリジリとしてしまう。
来年の1月には再び来日をしてベースとのデュオ公演をするような話も聞いた。

まぁ、それらの試みにも目をやりつつ
メセニーの本質に迫る1枚、『リジョイシング』を聴いてみよう。
僕が買った初めてのメセニー盤でだが、実はあまりよく分からなかった。
ふわぁ~んとした輪郭線のぼけたようなメセニーのギターが
聴き取りづらいということもあったのかもしれない。
ギター・トリオなのだがハード・バップのようにグイグイと来るような感じではなく、
やはり機械のような力の抜けるようなサウンドが耳に合わなかったのかもしれない。

改めて聴き直してみると、「なるほど…」と思わせるところがあった。
そもそもオーネット・コールマンの曲にメセニーが関心を持ったところが
アルバム製作のきっかけらしい。
元オーネット組のチャーリー・ヘイデン(ベース)と
ビリー・ヒギンズ(ドラム)という2人を脇に置いて、
オーネットの曲を3曲演奏している。
オーネットの曲は「これだ!」というようなちょっと変わった曲である。
そこにメセニーのぼやけたサウンドが乗ると、
オーネットとはまた違った魅力を備えた曲に生まれ変わる。

1曲目に「ロンリー・ウーマン」とオーネットの名曲を添えたような形で始まるのだが、
実はホレス・シルヴァーの同名の曲であり、こんなイタズラ心もメセニーの愛嬌だろう。
このアルバムでのメセニーの音はどこか土臭くもあり、
メセニーのギターの良さが感じられる1枚でもある。
オーネットの変曲をどう料理してやろうかと喜々としている様子がある。

ついつい美メロの人だと思われてしまうが、
やはり技術、演奏共に一流のミュージシャンなのだ。

どこを切ってもリー・モーガン印の1枚

2011年09月25日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
ひさしぶりに純粋にジャズアルバムを取り上げようと思って、
ふと「あれ?このアルバム前に取り上げたっけ?」と考えてしまった。
それを確認すると、無事(?)に取り上げたことがなかった。

今日の1枚はリー・モーガンの『キャンディ』である。
あまりにも名盤中の名盤であるため、当然ながら知っている人の方が多いだろう。
(注 ジャズ好きであれば、である)
まず何がスゴイかというとリー・モーガンである。
天才ともいわれるモーガンであるが、ジャケットの幼顔を見てほしい。
弱冠二十歳のトランペッターが、ワンホーンで吹き込んだのがこのアルバムだ。
サックスとはまた違ってトランペットが一人でソロを取り続けるのは
なかなかに難しいという。
何せ音の出し方は唇の当て方によって変わるし、
音を出すためのピストンは3つしかない。
音を途切れさせずにソロを一人で取るのには、かなりの自信がなければできないだろう。

当時の有名なバップ系トランペッターはクリフォード・ブラウンであるが、すでに亡い。
艶やかで豊かな響きのある音色をリー・モーガンは目指して、
ブルーノートで録音を重ねていく。

タイトル曲の「キャンディ」は飴のことだけを指していない。
甘いキャンディと共に女性の名前を表しているという。
それを伝えるかのようにモーガンのトランペットはどこまでも甘く、愛らしい。
勢いでグイグイ行くようなイメージもモーガンにはあるが、
一方でグッと抑えたようなえんそうもこれまた素晴らしいのだ。
33歳で女性に射殺されてしまうというプレイボーイぶりのあるモーガンが、
その甘く囁くような音で演奏する。
3曲目の「C.T.A.」では一転して、鋭く勢いのある吹きっぷりだ。

ジャケットの瓶に入ったキャンディのごとく、
リー・モーガンの魅力が色々と楽しめる1枚なのだ。

一本の糸にぶっとい楔を打ち込むように…

2011年09月24日 | マスターの独り言(ライブのこと)
僕はビル・メイズについては全く知らない。
ジャズの世界においてミュージシャンのことを知ろうと思っても
なかなか情報を仕入れるのが難しかったりする。
そもそも興味を持たなければ、ビル・メイズというピアニストの名前に
かすることもなく人生を終えてしまうことだってあるのだ。

『Tokyo TUC』の会場はコンサート会場と比較すると
とても小さい。
ジャズの生演奏をコンサート会場で行うか、
それとも小さなライブ・ハウスで行うかはその演奏の聞こえ方も違ってくる。
今回、僕が座ったのはまさにジョー・ラバーベラの真ん前である。
ドラムセットが目の前に並び、
通るときには本当に数センチの間を抜けていくような場所だ。
目の前でジャズドラムの妙技を見ることができるというのは
コンサートには無い醍醐味である。

今回、ビル・メイズはライブが始まる前からちょくちょくと会場で談笑を楽しんでいた。
こういったフランクな雰囲気が『Tokyo TUC』にはある。
ピアノの前に座ったビル・メイズはすでにテンションが高い。
1曲目はおそらく「モーニン」だった。
あの「蕎麦屋の出前のアンちゃんが口笛で吹いた」というぐらいの有名曲だ。
ライブを始めるにはちょうどイイほどの景気づけだ。
ビル・メイズの演奏は、いい意味で非常にノリがよかった。
テクニックもあるし、自分を鼓舞して演奏を盛り上げようとするところも
ライブならではである。

日本人のジャズの楽しみ方にも通じるのだが、
ジャズは静かに聴くものだという意識があり、ソロ終わりに拍手という
ある種型にはまった聴き方がある。
まぁ、それはそれでいいのだろうが、
ビル・メイズは「もっと食いついてこいよ」といった視線をちらちらと見せていた。
僕も先陣を切ってというタイプではないので、申し訳なく思う。
それでもちゃんと「やっぱり生でジャズを聴くのはいいよなぁ」と思っていましたよ。

さて、ジョー・ラバーベラであるが、かなり力強い印象を受けた。
ブラッシングで緩やかに通せそうな曲でも、
スティックに持ち替えてリズムを叩き出し、強弱の機微がしっかりとしている。
後期のエヴァンスにも通じるのだが、エヴァンスは曲の中で拍を意図的に変えていた。
当然、それにベースとドラムは対応しなくていけない。
ビル・メイズも同様にリズムを引き延ばしたり、縮めたりした。
さすが、ジョー・ラバーベラである。
クイッとリズムが変わり、魔法のように曲の印象が変わる。
メロディーは一本の糸のように続くのだが、
そこにどうリズムを打ち込むかで曲想が変わってくるのはおもしろい。

演奏を聴いてみてエヴァンスがザ・ラスト・トリオで求めた形と音が、
少しばかり実感できたのでよかった。
おそらくエヴァンスは晩年に力強さを求めていたのだろう。
それがマーク・ジョンソンというベーシストとジョー・ラバーベラというドラマーに
つながっていったのと思う。

エヴァンス関係で「ワルツ・フォー・デビィ」と
「ユー・マスト・ビリーブ・イン・スプリング」をやった。
「ワルツ」は、本アルバムと同様最初はスローで後々テンポを上げていった。
「ユー・マスト」は、なかなか本アルバムの静寂感を超えるのは難しかったようだ。
あとセロニアス・モンクの曲も2曲ほど取り上げていた。
僕が聴きに行くライブではモンクの曲がよく取り上げられる。
つまりそれだけ魅力的な曲がそろっているということなのだろう。
『Tokyo TUC』の壁にはモンクの写真があり、
ビル・メイズは冗談でモンクに話しかけ、会話をしていた。

演奏終了後、意を決してジョー・ラバーベラに近づく。
ぜひとも『パリ・コンサート』にサインが欲しかった。
図々しいとは思うが、エヴァンス本人に会うことができない今、
エヴァンスと共演していたミュージシャンに会うということは
僕にとっては重要なことなのだ。
最初にビル・メイズと共演をしているアルバムにサインをしてもらう。
これは礼儀だ。
その後、『パリ・コンサート』を2枚差し出す。
一瞬驚いた表情のジョー・ラバーベラ。
「僕はこのアルバムが好きなんです」とつたない英語で伝えると
「ミー・トゥ」と笑顔でサインをしてくれ、握手をしてくれた。
リップ・サービスであったとしても、そっと握ったあの大きな手は忘れない。
あの手が幾多の日々に、数々の名演を叩き出してきたのだ。

君はジョー・ラバーベラを知っているか!

2011年09月21日 | マスターの独り言(ライブのこと)
と、勢いよくゲートを飛び出した感のあるタイトルだが、知らなくても大丈夫だ。
というかほとんどの人が知らないだろう。
そもそも僕だってその名前をスラスラと言えるようになったのは
ここ2,3ヶ月の間のことである。

ジョー・ラバーベラといえば、
ビル・エヴァンスのザ・ラスト・トリオのドラマーである。
今ではエヴァンスの音源はブートレグも含めてたくさんの晩年のものもあるが、
ちょっと前までは『パリ・コンサート』ぐらいしか一般的ではなかった。
エヴァンスのトリオといえば、
スコット・ラファロ(ベース)とポール・モチアン(ドラム)の
ザ・ファースト・トリオが有名である。
ジャズに詳しくなってくるとそこに11年連れ添った
エディ・ゴメス(ベース)が加わってくるのだが、
残念なことに日本ではなかなかザ・ファースト・トリオのメンバー以外は登場しない。
まして音源の少なかったザ・ラスト・トリオの演奏は余計である。

1978年、9月にエヴァンスは最後の来日をはたしているが、
ドラマーはフィリー・ジョー・ジョーンズであった。
翌1979年の1月にジョー・ラバーベラが加わり、トリオの活動が始まる。
それから約1年半強でエヴァンスが病死をしてしまうのだが、
エヴァンスの最後の創作意欲を支えたドラマーとも言えるだろう。

そのジョー・ラバーベラが
神田の岩本町にあるライブ・ハウス『Tokyo TUC』に来るというのだから
行かないわけにはいかない。
エヴァンスと共演したミュージシャンというのは
まだ存命の人が多いのだが、日本ではあまり聴く機会に恵まれない
同じ『Tokyo TUC』でエディ・ゴメスを聴いたことがあるのだが、
間近で聴くエディの演奏は素晴らしく、コンサートホールで聴くよりも刺激的であった。
奇しくも同じ場所であるが、目の前でミュージシャンの演奏を聴くことができるのは、
まさにライブ・ハウスならではの喜びである。

今回はビル・メイズ・トリオとしてフューチャリングされている。
エヴァンスとの時と同様にピアノトリオである。
ならばエヴァンスの演奏のちょっとした端にもふれられるのではないだろうか。
時間も16時から18時半と良心的だ。
そんな様々な良さを取り上げながら、19日にライブに参加をすることにした。