国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

ユーミンにまつわるいくつかの話

2012年09月27日 | マスターの独り言(ジャズ以外音楽)
ほんの数ヶ月前のことだと思う。
職場の旅行で僕はバスに乗っていた。
バスで繰り広げられるのは酒宴である。
様々なアルコールその他の飲み物が飛び交い、おつまみがテーブルの上に散乱する。
そんな酒宴を盛り上げるのがカラオケである。
僕もひとかどの人間であるため昔はよくカラオケに行った。
年若いこともあると、一番手を持たせられるのだが、
正直もう人前で歌うのは結構厳しい。
歌うのは好きであるが、場に合った選曲というのが難しいからだ。

そんな中1人の同僚がユーミンの「中央フリーウェイ」を歌った。
ささやかな声で歌詞をなぞり、柔らかなメロディーにのっていく。
上手いという言葉よりも、その風景というのが記憶に映像化される。

そういう曲がある。
カラオケで歌われた歌が何とも言えずに心に残っているのである。
それは風景だったのかもしれないし、
はたまた遠い記憶の底と結びついたのかもしれない。
なにぶん僕はユーミンの「中央フリーウェイ」を片手で数える分しか聴いたことがないのである。
それなのに、失礼ではあるが、素人の歌った歌でも心を打つことがあるのだ。

何でこんな話を持ち出したのかというと
急にユーミンが聴きたくなったからである。
これには理由がない。
前段の「中央フリーウェイ」があったからでも、心に残っていたからでもない。
突然に、まさに啓示のように、
「ユーミンを聴かなくてはいけないのだ!」と思ったのである。

そう一度思ったらいてもたってもいられない。
早速地元のCD屋へ行って、荒井由実の『MISSLIM』を買う。
値段がいくらとか、名盤か名盤じゃないかなどどうでもいいのだ。
とにかくユーミンを聴かなくてはいけないという義務感に駆られる。

聴いてみて思った。
あぁ、まだまだ知らない音楽がたくさんあったんだな…と

若き日の4人の記録

2012年05月03日 | マスターの独り言(ジャズ以外音楽)
講談社の『モーニング』に連載されていた「僕はビートルズ」の
コミックがどうやら完結したようだ。
「ビートルズのコピーバンドが、
 ビートルズがデビューする前の1962年にタイムスリップをしてしまったら…」
というストーリーである。
ビートルズ好きというか、
ビートルズを超えるバンドは先にも後にも出てこないだろうと思っている
僕にとってはとても興味深いマンガであった。

結論からいってしまえばマンガには終わりがあるということである。
それがどんな結末であれ、ある程度予定調和的な部分があり、
ま、上手いところに収まりをつけるのが必要なことなのだろう。
おそらく原作者の人はビートルズについての音源も多数聴いているだろうし、
あれこれと細部につっこみを入れるほど、僕もまたビートルズ史について詳しくはない。

ただ、タイムスリップをしてしまった4人が剽窃をしたくなるほど
ビートルズの楽曲には魅力がつまっていたというのは分かる。
ビートルズが残したアルバムは全部で13枚しかない。
ジャズは大量のアルバムが残るのだが、ロックミュージシャンは決して多作ではない。
加えてビートルズのデビューを1962年とするならば、
実質活動期間は8年となる。(正式な法的解散は1975年)
その期間に楽曲は大きく変化をしている。
これはライヴからスタジオレコーディングという時代的背景の変化もあったのだろう。

では、実際に1962年、ビートルズはどんな演奏をしていたのか。
残念ながらライヴアルバムがビートルズにはない(ライヴ音源はある)
そこで出てくるのが非公式のアルバムである。
『1962・ライヴ・アット・スター・クラブ・イン・ハンブルク』
これは、62年の12月にビートルズが最後のハンブルク公演のものである。

ビートルズは1960年から全部で5回ハンブルクで公演をしている。
『プリーズ・プリーズ・ミー』が1963年に発売されていることを考えると、
メジャー・デビュー直前のライヴ音源ということになる。
その前にすでにシングルが発売されているため
ある程度ビートルズはそれなりに“知られた”存在になっている。
事実ハンブルク公演は、ハンブルク側から請われて行ったものであり、
1962年の段階で3回行っている。

確かにビートルズのスタジオ録音アルバムは面白い。
1960年代後半にただ演奏するだけではなく、
アルバムに世界観を込め、楽曲に彩りを添えている。
(こういったアルバムづくりはマイルスも似ている)
今もってビートルズを超えるバンドが出てこないのは、
結果としてこうした手法が当たり前になりすぎて、
それを抜け出すことができないからだろう。

だが、このハンブルクの演奏を聴いてみると、
ライヴでのビートルズも凄みを備えていたことがわかる。
今と違ってミュージシャンが粗末に扱われた時代に、
ただ客を踊らせ、喜ばせるためにひたすら演奏をし続けるという鬼の特訓は、
ビートルズの演奏技術の向上にも一役かっていたのだろう。

音はひたすら悪い。
だが、そこに音楽を追究していくことになる若き日の4人の姿がある。
それはアイドルでなく、演奏をただひたすらに繰り返すミュージシャンの姿である。


※なお、この文章を書くために
 『僕はビートルズ』(講談社)かわぐちかいじ画 藤井哲夫原作
 『伝説のロック・ライヴ名盤50』(講談社文庫) 中山康樹著
 を参考にしました。
 表記等の間違いがありましたら、全て私の責任であります。ご了承ください。

物語の主人公が口笛で奏でるメロディーは?

2012年02月21日 | マスターの独り言(ジャズ以外音楽)
高校時代に毎日のように本屋に通っていた。
ちょうど『少年マガジン』で「金田一少年の事件簿」を連載している時であり、
それに見事にはまってしまったのだ。
そこで終われば「ただのマンガ好き」なのだが、
名台詞「ジッチャンの名にかけて」の「ジッチャン」が気になってきた。
そのため角川文庫から出版されていた「金田一耕助シリーズ」を
毎日のように買い漁ったのだ。

時はちょうど本格ミステリーブームでもあり、
推理小説の虜になってしまった僕はある程度「金田一耕助シリーズ」を読み終わると
島田荘司、綾辻行人、京極夏彦などなど、とりあえず毎日読み続けたのだ。

その中で異彩を放っていたのが笠井潔の「矢吹駆シリーズ」である。
読んでみるも普通の推理小説と違って重々しい。
加えて推理の楽しみを味わうと言うよりも思想的な対決場面が多い。
主人公の矢吹駆は魅力的であるが、どこかニヒリズムも漂っている。
正直、書かれている内容がちゃんと理解できるようになったのは、
ここ数年前のことである。

さて、その主人公、矢吹駆は犯人と最後に対決する時に必ず出るテーマがある。
マーラーの交響曲『大地の歌』の第1楽章である。
「現世の寂寥を詠える酒宴の歌」という副題が付いているのだが、
これは中国の詩人である李白の詩から始まっている。
中国の詩がドイツ語となり、テナーが押しては寄せる波のようなメロディーにのる。

本を読んでから長らく忘れていたのだが、ふと思い出して買ってみたのだ。
矢吹駆はこの歌の中で何度も使われている
「生は暗く、死も暗い」という言葉をつぶやき、そのメロディーを口笛で吹く。
一体どんな曲なのかと思っていたのだが、
冷え冷えとした秋風が吹き、やがて冬の冷たさが襲ってきそうな夕刻に
たまらないほどの悲しみを覚えるような情景である。

こうした悲しみというのは唐突に襲ってくるものだ。
孤独の淵に立ち、先に進むことも苦しみに変わってしまう。
やがて待ち受けるは全ての人に訪れる死という当然の結果。

悲しいことは悲しいのだが、まぁ、そこに浸りきるわけにはいかないのが実状だ。
それでも時にこのアルバムを矢吹駆という主人公と共に思い出す。

僕は他にも持っているのだが、
このワルター盤はやっぱり心を打たれる悲しみがある。

変化に対応するには少々の時間がかかる

2012年01月27日 | マスターの独り言(ジャズ以外音楽)
一度聴いただけではなかなか分からないアルバムというのがある。
そうした時の人の行動は3パターン考えられる。
1つ目は聴くのを止めて、倉庫に眠らせておく。
2つ目はすぐさま売りに行って新しいアルバムを買う資金にする。
この2つのパターンは1で置いてあったのが邪魔になって、
売りに行くなどの応用パターンも考えられるが、
まぁ、要するに聴くのを止めるというパターンだ。

3つ目は我慢をするかどうかは人それぞれだが、
ことある事に取り出して聴いてみる。
その時のCD置き場と相談ということもあるだろうが、
果たしてどれが良いのかはその人の音楽人生によって変わる。

デレク・トラックスにはまった時、ほとんどのアルバムを一斉に買い集めた。
そして最新作が奥さんのスーザン・テデスキと組んだ新バンドで、
テデスキ・トラックス・バンドであることを知り、少々の違和感を覚えた。
「あれだけスゴイギタリストが、奥さんにすべて持っていかれてる!」
『レヴェレイター』と題されたアルバムは、そう感じずにはいられない。

「あぁ、2人で公私合わせて協力するのだな」と好意的にとらえようとしても
デレク・トラックスのそれまでのアルバムの持つ超絶的ギターテクと
その選曲センスを思い出してしまい、「う~ん」とならざるえない。
まして、『レヴェレイター』がアップテンポの曲が無く(全曲夫婦のオリジナル曲)、
ほぼ全曲に近いぐらいスーザン・テデスキの歌が入っている。
インストルメンタルでギターの凄みを味わっていただけに、
「何もそんなに歌わなくても…」と思ってしまったりもする。
(まぁ、それまでにも歌付きのものはあったのだが…)

ところがだ。
それでもデレク・トラックスが入っていると思いながら、
何度か聴いてみると、これはこれで良いように感じられてきた。
何もスーザン・テデスキが悪いわけではない。
その変化に僕が対応しきっていなかっただけなのだ。
歌の後ろでデレクはしっかりとギターを披露しているし、
全体として曲調は、コッテリ感のあるブルース風味である。
何がきっかけになったのかは分からないのだが、ある時突然にそう思った。
きっと耳のチューニングがふとした拍子に合ってしまったのだろう。

そんなわけで今日も『レヴェレイター』を聴くのだ。

「アイドル界の天宇受賣命」 ももいろクローバーZの歌とダンスは世の中を明るく照らす?

2012年01月23日 | マスターの独り言(ジャズ以外音楽)
原田和典氏は『いーぐる』の連続講演で話をしている時に、
マックス・ローチが歌手と演奏するのが好きだったエピソードを話した。
その際に
「きっと今、マックス・ローチがいたら、
 「ももクロ」の後ろでも叩いてたかもしれない」的なことをポロリと言った。
それは冗談であろうと思っていて、軽く流れていってしまったのだが、
そもそも「ももクロ」が何のことなのか分からない人もいたと思う。

「ももクロ」とは「ももいろクローバーZ」というアイドル・グループである。
元々原田氏は、『いーぐる』の掲示板に書き込む時、
本名の後ろにカッコ書きで「パフューマー」と書いていた。
これは「Perfume」のことを指している。
原田氏が「Perfume」のファンであることは前々から知っていた。
しかし今回の連続講演の告知文にはカッコ書きで「パフューマー ももクロ」と
今までのものに付け足しがされていた。

まぁ、僕も詳しく知らないのだが、
「ももいろクローバーZ」は、テレビで何度か見たことがあり、
またよく行くコンビニのチラシに
「週末ヒロイン」なる肩書きで載っていたのも見たことがある。
まるでゴレンジャーを意識したように一人一人が戦隊ヒーローもののような衣装であり、
とりあえずアイドル・グループであることは認識ができた。

さて、本題はここからなのだが、
マックス・ローチの講演についてブログを書こうと思い、
『黒い太陽』を取り寄せている間に、原田氏がポロリと流した言葉を思い出した。
今の時代はとりあえず便利である。
YouTubeで「ももいろクローバーZ」と調べて、
とりあえず音源だけでも一度耳にしてみようと思ったわけだ。

そこでこの言葉と再び出会う。
「天手力男」という曲が「ももクロ」の曲の中に存在しているのである!
となるとここでマックス・ローチと「ももクロ」が結び付いた。
2011年のよみうりランドで行われたライブDVDのプロモーションの一環で
「天手力男」の曲が取り上げられているのだ。
これはぜひ見てほしい。

世はアイドル戦国時代などと言われて多数のアイドルたちが乱立している状態であるが、
一回聴いただけで、良い意味で「う~ん」とうなってしまう曲である。
歌詞に意味があるわけではないと思う。
だが、そのメロディーは巷に溢れるアイドル曲とはまた違った
いわゆる「マニア受け」しそうなものなのだ。
おそらくラテンのメロディーを意識したものだとおもうのだが、
完璧にラテンになりきれない感じが耳に残る。
加えてダンスである。
一部のグループが口パクであると批判されるが、確かに歌いながら踊るのは難しい。
しかし「ももクロ」の売りは全力投球というあまりにも当たり前のことを
一生懸命にやることであり、その一生懸命さがダンスにも表れていて
思わず「うわぁ」となってしまうのである。

もうそうなるといてもたってもいられない。
とにかくCDを購入してできるだけ聴いてみるという作業に入ったわけである。
(CDの商法については正直残念に思うのだが…)
思うのは音源だけよりやっぱりDVDなど動いている映像の方が
パンチがあると言えるだろう。
ダンスと楽曲が一体になっているところにエネルギーを感じるようだ。

さて、「ももクロ」の後ろでマックス・ローチがドラムを叩いている姿を想像してみる。
なるほど、意外にローチの正確のドラミングが生きるかもしれない。
そんな風に僕は感じた。